創価学会というところは不思議なところで、2世3世以降は、全く知らない間に「学会員」になっていても、届を出さないと「非会員」になれない。
そういう意味では私は脱会届は出していないから、今でも「学会員」であることには違いない。
さて、私の周囲の人も次々と学会活動を辞めていったが、「昔は良かった」と言う人が今でもいる。その理由は人によってさまざまだが、組織の上の方の、本当の目的・戦略は何だかわからないにせよ、ご利益(現世利益)を求めて一生懸命に祈っている人が多かった、自分もその一人だ、という人も結構いる。
確かに学会に対して最初から批判的な人であっても、少なくとも一部の人は学会活動でテンションがあがり、「救われた」「大丈夫だ」という安心感を得て頑張り、結果的に世間的な面では成功している人がいることを認めている。もちろんそれは、「ご本尊のご利益」でも「センセイに〇〇を合わせた」結果ではない。学会幹部の中には本尊の代わりに何かの者に向かって祈ってもご利益がある、という人がいたから、それならば日顕師の本尊でも御利益はあったはずである。
とにかく今は座談会でも協議会でも、冷めている人が多い。現実が良く見えるようになったからだと思う。
しかしもしかして、他人に利用されない限り『自分ひとりで一心不乱に祈って心が落ち着き気分がハイになり、結果的にうまくいく』のならそれでも良いかも、とは思うが、実際はなかなかそうはいかない。ただ、現実を見据えつつ一生懸命活動していたかつての活動家の中には社会的に成功した人もいたのは確かである。
ある大学教授が教え子の学会活動家の件について「A君には学会が合う」と言っていた。もちろん、純粋な信仰活動に限ってだが。そのA先輩も定年退職すると同時に学会から離れたが。
「昔は良かった」と言っている人たちは、今ほど金儲け・個人崇拝・政治活動などが露骨でなかったため(*見えなかったため)純粋に祈っていた、という面があったからかもしれない。
『創価学会に利用されず、自分を支えるために信仰として活用する』、というのはほとんど無理に近いが、もし可能ならばその段階までは私も認める。









