以前書いたかもしれないが、20代の時の発想の一部である。そのころ私は、通常の心理学的研究のほかに、人格相対論や適応相対論というものを体系づけようと懸命であった。
それは簡単に言えば、世間では「あの人は良くわからない人だ」と言われる場合、相手もまた良く理解出来ない場合が多いことから来た発想である。ところが世間では、「多数派」や「その集団の主導権を握っている人」の判断が正しく、そうでない人の判断は間違っている、とされてしまう場合が多い。
だからいわゆる世俗的心理学(*世間受けを狙った、一見アカデミックな心理学を装った話)では、「世間から理解されにくい人」というのは本人に原因があり、またそういう人が他人の考えを理解できないのも本人の理解力欠如のせいだという。
これはおかしい。なぜなら、「世間から理解されにくい人」と言われる人は、本当は世間、つまり多数派の人たちが理解できない人のことであり、考えようによってはいわゆる多数派の人たちの「理解能力欠如」が原因と言えるからである。
ところがわが国では(他の国でも同じかもしれないが)多数派の基準こそおおむね正しく、多数派が少数派や特定の個人を理解できないのは、多数派の方の「理解力欠如」によるのではなく、少数派や特定の個人が『あまりにも偏って』いるのが原因、とされてしまう。
この気持ちはある意味、分からないでもない。しかしこのような発想が続く限り、世の中の少数派の人たちは理解されず偏見を持たれたり誤解されたりする状況がずっと続くだろう。
それはまた、多数派と言われる人たちが「思考停止」に陥っても安定しているのはなぜかと説明する。世間の「変わった人」に対してレッテルを貼ったり勝手に決め付けて、そういう人たちに対して本当にその行動・言動を『なぜか?』と考えない人は、心理学者の中にも、特に対人関係を専門とする実務家(*例えば臨床家)のなかにもいくらでもいる。しかもかなり昔からそういう多数派・常識派の人たちが心理学の世界でもてはやされる状態になっている。
ある中学校には、3人もの『臨床心理』の専門家が週何回も派遣されていた。一人は教育委員会系列の、教育相談所の相談員、もう一人は大学院博士課程を出たベテランの臨床心理士、そして臨床心理士の資格を取ったばかりの熱心な大学院生であった。
だがその中学校では立て続けにいじめによる自殺が、そのあと生じた。
『悩む者がいる場合には、基本的にその本人に原因がある』という発想から、彼らは3人とも抜けられなかったのである。
お互いに『理解し合う』、『理解させ合う』という発想は、学校の管理者にもほとんどの教師にも無かったし今でも恐らくは無いだろう。
この状況は、この中学校だけとは限らない。今でもずっと続いている。だからいじめ事件、自殺事件は残念ながら今後も続く可能性が大きい。
それは簡単に言えば、世間では「あの人は良くわからない人だ」と言われる場合、相手もまた良く理解出来ない場合が多いことから来た発想である。ところが世間では、「多数派」や「その集団の主導権を握っている人」の判断が正しく、そうでない人の判断は間違っている、とされてしまう場合が多い。
だからいわゆる世俗的心理学(*世間受けを狙った、一見アカデミックな心理学を装った話)では、「世間から理解されにくい人」というのは本人に原因があり、またそういう人が他人の考えを理解できないのも本人の理解力欠如のせいだという。
これはおかしい。なぜなら、「世間から理解されにくい人」と言われる人は、本当は世間、つまり多数派の人たちが理解できない人のことであり、考えようによってはいわゆる多数派の人たちの「理解能力欠如」が原因と言えるからである。
ところがわが国では(他の国でも同じかもしれないが)多数派の基準こそおおむね正しく、多数派が少数派や特定の個人を理解できないのは、多数派の方の「理解力欠如」によるのではなく、少数派や特定の個人が『あまりにも偏って』いるのが原因、とされてしまう。
この気持ちはある意味、分からないでもない。しかしこのような発想が続く限り、世の中の少数派の人たちは理解されず偏見を持たれたり誤解されたりする状況がずっと続くだろう。
それはまた、多数派と言われる人たちが「思考停止」に陥っても安定しているのはなぜかと説明する。世間の「変わった人」に対してレッテルを貼ったり勝手に決め付けて、そういう人たちに対して本当にその行動・言動を『なぜか?』と考えない人は、心理学者の中にも、特に対人関係を専門とする実務家(*例えば臨床家)のなかにもいくらでもいる。しかもかなり昔からそういう多数派・常識派の人たちが心理学の世界でもてはやされる状態になっている。
ある中学校には、3人もの『臨床心理』の専門家が週何回も派遣されていた。一人は教育委員会系列の、教育相談所の相談員、もう一人は大学院博士課程を出たベテランの臨床心理士、そして臨床心理士の資格を取ったばかりの熱心な大学院生であった。
だがその中学校では立て続けにいじめによる自殺が、そのあと生じた。
『悩む者がいる場合には、基本的にその本人に原因がある』という発想から、彼らは3人とも抜けられなかったのである。
お互いに『理解し合う』、『理解させ合う』という発想は、学校の管理者にもほとんどの教師にも無かったし今でも恐らくは無いだろう。
この状況は、この中学校だけとは限らない。今でもずっと続いている。だからいじめ事件、自殺事件は残念ながら今後も続く可能性が大きい。










いつか、わかりあえる時がくると信じて、その日を待つ、そっと見守るようにして待つ、それだけで、けっこう年月が経ってしまいますが、祈るような気持ちで、弟の回復を楽しみに待つようにしています。
薬を飲んで寝ているはずの、私が軒ちゃん先生と、お話したくて書き込みしてます。
薬と病気のコントロールは、ちゃんと出来てるのですが、こんな夜もあるのでしょう。
長く付き合う、その覚悟で気楽に生きていけばいいのだと、そう思う毎日です。
少数派、と、多数派、まさしく軒ちゃんさんがおっしゃるように、「赤信号みんなで渡れば怖くない」少数派はどこの組織でも煙たがられます。娯楽であろうと、いったん会員になれば浮浪雲となることは嫌がられます。固まっていたいんですよね。
そこに怖さがあります。私は自由でいたい。
団体についていけない人は悩みます。分かり合える。理解し合えるなんて元々ないのではないのかと。やはり自分を大事にしたいです。
私は困っている人には寄り添いたいと思います。出来る範囲で。
茂木健一さんが、「人の脳なんかわかりっこないんだから、自分の脳を信じるしかない。」
私は名言だとおもいますが、
軒ちゃんさん如何でしょうか。
挨拶遅れました、双子座です。
夜空の星が見えればいいんですが。
歌はいいですね。聞くことも歌うことも。
これほど簡単で奥が深いことはありません。
静かなピアノを聞くことはいかがでしょう
歌は好きな歌を歌い慣れですから心行くまで楽しむことかと
軒ちゃんさん、また口出ししてしまいました。
白い花さんごめんなさいね。
お薬飲んで苦しんでいるのに、私も昔苦しんでいました薬もたくさん飲んでいました。
見違えるほど明るくなりました。だいじょうぶ。
白い花に声をかけてくださって有難うございます。
私、雅子さまご成婚の頃、統合失調症の陽性症状が出て、今も投薬治療中です。(弟も同じ病、でも、彼は病気であることを認めていません)
その私、今「走る専業主婦?」になっていて、毎日、元気に前向きに生きています。
薬は必要。長年、お付き合いのある医師との信頼関係があるからこその私です。
また、ここで、おしゃべりしましょうね^^
≪軒ちゃん先生≫
今日は、カミングアウトさせて頂きました。心の病について、ボツボツとこの場をお借りし、つぶやいていきたいと思っております。よろしくお願いします。
統合失調症などの内因性と考えられる病気は脳の中の何らかの問題が考えらていますが、発達障害と同じではっきりしたことはわかっていないのが現状です。それで薬物投与が中心となるわけです。
成長途中、特に乳幼児期において問題があった場合は、検査でも異常は全く出ませんのである意味かえって厄介かもしれません。心理療法などが中心になりますが、記事にも書きましたように乳児期に得られるべき親の愛が得られなかった場合の問題もまた、非常に深刻です。
私の場合も精神科も含めて異常がないことを確かめてもらいましたが、良くなるということ自体難しいです。薬の問題ではなく、成長期の脳の成熟過程における問題ともいえますので。
薬で治る、あるいは少しでも良くなる場合は大いに薬を利用してみましょう。
音楽療法もいろいろありますが、その時のムードや曲の種類によっては逆効果のことが知られてますので注意が必要です。
うつ状態の時には基本的に、明るい希望に満ちた曲は禁物でその反対の方がよいことはよく知られています。唄う場合も同じで、自分の気持ちにあった曲が良いというのが、音楽療法の基本的な立場です。
それで私も今は、暗い感じの曲を選んでいます(笑)。