あっそうか!功徳はみんな、池田名誉会長のところに行っちゃってるんだ。だからわれわれ下々が功徳の話してないんだ。
確かに名誉会長殿のところには、具体的な物で功徳が行きます。財務のお金、聖教新聞の売上、そのほか多くの出版物の売り上げなどなど、これらはすべて、名誉会長殿とその取り巻きの職業幹部たちを潤わせているようですね。
われわれ下々は、コピー&偽装ご本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱えて“奇跡”が起きるのを待つよりほかに方法がないようです。
さてその時、残った粕のようなものから、少しでも功徳が得られれば、万歳!ということでしょう。
はたして功徳は生じるでしょうか?私はこれまで見聞きした範囲では、学会会合でのほとんどの功徳話は、偶然か大袈裟だと思います。
以前書いた“交通事故の宿業を持っている婦人部”は、先日の体験談で、また交通事故を起こしそうになり、夢中で“南無妙法蓮華経”と唱えたら、直前で車が止まって、人をはねるのを免れた、と言ってました。
私はこの人は、財務に何百万も出すのなら、その一部を使って自動車教習所に行き直したほうがいいと思いました(残りは貯金すべし)。見ているとすごく危なっかしくて近寄れないような運転をします。
ところが彼女はそれを“宿業”だと指導され、自分もそう思い込んでるので、危ない運転の方は一向に変わる気配がありません。変えるべきは“宿業”の方ではなく、本人の運転技術です。
さて人間というのは弱いところがあるものでして、私も思わず“南無妙法蓮華経”とコピー曼荼羅に向かって祈りたい衝動に駆られることがあります。一生懸命に祈ると、激しく運動した後と同じように、確かに一時的にすがすがしくなることがあります。
こういう状態は対人関係で落ち込んでいるときなどはある程度、効果的でしょう。だれでもびくびくしていて暗い人よりも、明るくて堂々としている人を信頼するものです。
その結果、仕事がはかどったり人間関係がうまくいく、ということはあり得ると思います。
だから私は、創価学会という組織を離れて一人で祈り、組織のために1円も出さず、池田大作氏を全く信じない、という信仰ならば、それほど害はないのでは、と思っています。
ただし功徳は、“ご本尊様”がくれたものではなく、自分の心の安定によって間接的にもたらされたのであろうと考えています。
もちろん、一生懸命祈りながら考えれば、意識が集中しますから、さまざまなアイディアなども浮かびます。
祈りの効果とはその程度のものか、あるいは病気の場合は、プラセボ(*偽薬)効果に、意識が前向きになって体が活性化するための効果がプラスされた程度だろうと考えています。









