私は正直、社会化されていないうえに内向的な性格である。こういうタイプは虐めのターゲットになりやすい。実際私はいじめられ続けてきた。
幼稚園時代からずっと。否、これからもそうかもしれない。
好きな女性からは振られたり馬鹿にされたり、虐められさえした。
私は多くの人間を憎んだ。これは人間として正常な反応だ。
ところで、いわゆる不適応には大別して、外向的で反社会的な場合と、内向的で非社会的なものとがあるが、私は後者だった。
内向的だったからこそ、血の復讐をしなかった。いや、出来なかった。
臆病だと言われようが、結果的には犯罪者にならずに済んだ。
裁判というのは多くの場合、誠に不合理に私には見える。幼いころに不遇な生活を送った人の中には、その相手や世の中に対する敵意が湧くのは全く自然である。
ところが、裁判所は精神医学者の意見を採用しても一般的な心理学的見解を全く持たない。そして例えば「被告人は善悪の判断ができたはずであるから」などと言って有罪、とか判決を下す。人間は異常な心理でなければ相手に対する攻撃行動が生じないなどというのは根本的に間違いである。
ともあれしかし、裁判所のあり方が世界的に全く変わるというのは難しい。すごく残念で悔しいことだが。
そして結果的に、自分自身は直接的な攻撃行動ができなかったが故に、今も何とか存在している。適応しているとは思わないが、「準適応」ぐらいにはなっている。
内向的であるがゆえに、これまで何とか生きられてきたのも事実である。
幼稚園時代からずっと。否、これからもそうかもしれない。
好きな女性からは振られたり馬鹿にされたり、虐められさえした。
私は多くの人間を憎んだ。これは人間として正常な反応だ。
ところで、いわゆる不適応には大別して、外向的で反社会的な場合と、内向的で非社会的なものとがあるが、私は後者だった。
内向的だったからこそ、血の復讐をしなかった。いや、出来なかった。
臆病だと言われようが、結果的には犯罪者にならずに済んだ。
裁判というのは多くの場合、誠に不合理に私には見える。幼いころに不遇な生活を送った人の中には、その相手や世の中に対する敵意が湧くのは全く自然である。
ところが、裁判所は精神医学者の意見を採用しても一般的な心理学的見解を全く持たない。そして例えば「被告人は善悪の判断ができたはずであるから」などと言って有罪、とか判決を下す。人間は異常な心理でなければ相手に対する攻撃行動が生じないなどというのは根本的に間違いである。
ともあれしかし、裁判所のあり方が世界的に全く変わるというのは難しい。すごく残念で悔しいことだが。
そして結果的に、自分自身は直接的な攻撃行動ができなかったが故に、今も何とか存在している。適応しているとは思わないが、「準適応」ぐらいにはなっている。
内向的であるがゆえに、これまで何とか生きられてきたのも事実である。
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