蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

EUは世界の未来の雛形となりうるか?―そして、目下の「国民投票法案」とは!―

2007-04-20 00:49:53 | 時事所感
4月19日(木)晴れ。4~10度、肌寒い一日。

  4月17日付けの朝日新聞社説に『EU50年 熟年欧州の進化は続く』とあった。

この社説の中で『「血塗られた戦いと苦悩の歴史を教訓として、欧州統合は実現した。かって一度も手にしたことのない共存をいま、我々は達成した」 先にドイツで開かれた欧州連合(EU)特別首脳会議の宣言は、成果を高らかにうたいあげた。 …今から振り返れば、欧州統合は歴史の必然だったように見える。だが50年まえ、第二次世界大戦直後の欧州では、まだ「夢物語」の一つにすぎなかった。2度の世界大戦の舞台となった教訓から、なんとかして「不戦共同体」をつくり上げたい。その強い思いが出発点だ。  …だが、かって何度も敵として戦った相手と和解し、手を結ぶのは簡単なことではない。…各国なりの世論や利害のぶつかり合いの中から、今のEUが形成されていった。最初から高邁な理想のもとに結集したと見るのは単純にすぎる。時間をかけて各国の国益を調整し、最後は政策の共通化にむすびつけていく。これがEUの歩みを通じて欧州の人々があみだした知恵だろう。…』と紹介している。 

  翻って、わがアジアはどうだろうか。今、アジアでもそれへ向けての歩みは、ほんの少し始まっては、いるようだ。
だが、現状の日韓、日中、わけても北朝鮮との関係をみれば、それはまさに夢物語であり、むしろ一触即発の危機と隣り合わせていると言った方が、より現実的というべきであろうか。
  産業革命以来、アジアはいつまで欧州の後を追っていかなければならないのだろうか。

  そして、今、世界で一番のガキ大将とも言うべき、アメリカは自らの力と論理で、この世界をねじ伏せられると内心思っているのではないだろうか。
  アメリカは、世界の大国の中でその建国の時のいきさつは別として、自国を他国の侵略で蹂躙された苦しみをしらないのだ。
  個人にしろ国家という集団にしろ、自らの身に直接的な苦痛を感じない限り、真に目覚めることはないのではないだろうか。

  このように考えて見ると、EUの統合の姿を、世界の明日の姿と見ることは、まだまだ先の夢物語なのだろうか。
  
  それにしても、我々人類は、今や、地球環境の問題、先進国に蔓延する経済のグローバル化に伴う格差社会の拡大、社会の安全弁としての中間層の崩壊、これら差し迫った問題をどうやって解決しようというのだろうか。

  これらの問題解決には、地球規模での秩序の確立と合理的行動への合意がなければ、果たすことは出来ず、人類の未来は無いと思うのだが。

  そして、今、問題の憲法改正への前提としての国民投票法案は、果たして、このような世界統合への歩みに資するものとなりうるのか、それとも前世紀の概念である国民国家主義への逆行への歩みとなるのであろうか。

  山家の隠居は、所詮、残り僅かと知れた命のほどで、わが身のことは、どうということはないが、可愛いわが子や孫の行く末を思えば、腕を組んで考え込むばかりである。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。