忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

とある「殺人鬼」の「それなりの理由」について

2012年02月23日 | 過去記事



1946年6月13日。ニュージャージー州ブレアーズタウン付近。ボーヒーズ家には長男が誕生したが、その子は先天性の病で顔面が奇形化していた。1957年、11歳になった少年はキャンプに訪れていたクリスタルレイクで、複数の友人らから虐めに遭う。化け物と囃されて湖に沈められて消息不明となる。

事件を知った少年の母親、パメラ・ボーヒーズは発狂。父親のエリアスは妻の異常を察して家を出る。1980年、頭がおかしくなったパメラはクリスタルレイクのキャンプ指導員を殺害、観光客にも襲いかかる。観光客の中にはアリスという女性がいた。アリスは少年の母親、パメラをなんとか返り討ちにする。その瞬間を奇跡的に生きていた「元少年」が目撃する。愛する母親は鉈で首を切断されて殺される。「元少年」は誓う。絶対に仇を取ってやると。それは、とある「13日の金曜日」のことだった・・・。

映画好きはわかっただろう。少年の名はジェイソン・ボーヒーズ。彼はこの後、何度も殺されて甦り、何度も人々を殺しまくる。最終的には2455年の未来、サイボーグ化していた。

つまり、だ。ジェイソンにも「そうなった理由」というのがある。その「可哀そうな生い立ち」というものは用意されている。だからといって無関係の人を連続殺人しても仕方がない、とは誰も思わない。アメリカのホラー映画でも、日本の怪談話でも同じく、現世の人間を殺す「理由・動機」というものは用意されていたりする。そのほうがわかりやすいからだが、しかし、これは映画の話だけでもなく、例えば「テキサスチェーンソー」というホラー映画は現実にいた猟奇殺人犯をモデルにしている。エド・ゲインだ。コイツをモデルにして1960年にヒッチコックも、あの「サイコ」を撮る。2000年には「エド・ゲイン」という、そのままのタイトルで映画になった。ま、有名なキチガイである。


エドの父親はアル中、母親はルター派の敬虔な信者だった。エドの母親はアル中の旦那を罵倒する。子供にも「父親が早く死にますように」と祈らせる。若い女は邪悪で堕落した存在、だから一切付き合うな、と厳しくエドを管理する。母親は毎日、エドに「堕落した世界は滅びる」と教えた。外の世界は悪徳と邪悪に満ちていると洗脳した。

エドは母親しかいない。だから病的なまでの愛情を持つに至る。そんな母親も先に死ぬ。するとエドの奇行は具現化する。満月の夜、遺体からくり抜いた女性器を陰部に巻き付けて農場を歩く。女性の遺体から剥ぎ取った頭皮をかぶる。自宅の寝台には頭蓋骨を飾り、スープボウルにも頭蓋骨を使う。遺体の皮膚でランプシェードをつくり、人肉で衣類をつくる。カニバリズムもあった。エド・ゲインは「死体は8人分。すべて墓場から持ってきた」と裁判で言うが、実は女性を2人殺していた。墓場から持ち去ったのはすべて「中年女性の遺体」で、それは母親を崇拝するあまり、母親に似た遺体を探していたとわかる。

逮捕されたエド・ゲインは「精神障害」と判断されて無罪。死刑にならず、刑務所にも入らず、その生涯を精神病院で暮らす。すなわち、いずれにしても社会からは隔離される。




山口県光市母子殺害事件で死刑断定と出た。薄気味悪いだけの「死刑反対派」は相変わらず、30歳になった「元少年」・・・大月孝之(旧姓・福田)の「過去」を取り上げて騒いでいる。「元少年の過去を知っているのか」「元少年はこんなに反省している」と繰り返す。

不気味な本も売り出されている。「単純な」死刑廃止論者がどれほどの無知、無定見、不見識なのかがよくわかる。民主党の平岡レベルの狂人であるが、コレが法務大臣になったことがある、というのは素人防衛大臣よりも、ある意味、民主党の腐敗の程度がわかりやすい。平岡なら言うだろう。「エド・ゲインにもそれなりの理由があった」―――

狂人は狂人同士、気が合う。だから、こいつらはエド・ゲインのような狂人を野に放とうと必死だ。例えば、死刑反対は当然、少年法改正にも反対だ、という平岡のような連中のお陰で「酒鬼薔薇聖斗」こと東真一郎は税金で建築の勉強をして資格を得た。溶接の免許も得た。少年院はヒマだったのか、勉強して漢字検定1級も取った。20歳のとき、更生施設で熱帯魚を飼っていたが死なせて悲しむ。これを周囲の大人、施設の職員は「命の儚さを知った」と報告する。だから、もう、近所の子供を殺して首を切断したりしないと。

東真一郎は現在30歳。もう保護司もいない。完全に「一般人」として、我々の中に入り込んで暮らしている。さて、彼はもう、本当に「普通に暮らせる」のだろうか。

東真一郎が「タンク山」で当時11歳の男児を絞殺し、その首を金鋸で切断して射精する3ヶ月ほど前、東真一郎は神戸市須磨区の路上で小学生の女児2名をショックレスハンマーで殴って1人を重症にしている。女児の父親が「娘がブレザーを見た。犯人はあそこの中学生かもしれない。写真を見せてほしい」と学校に言うと、学校側は「警察に届ければいい」と拒否した。それなら、と父親が警察に通報、警察から閲覧を要求するも、学校側は生徒のプライバシー、あんたら少年法を知っているのか、と拒否した。

東真一郎はその学校にいた。被害者の女児が写真を見ていたら、その翌月、小学校4年生の女児が金槌で頭を殴られて脳挫傷で死ぬこともなく、別の小学3年生の女児も刃渡り13センチのナイフで腹部を刺されることもなかった。ナイフは胃を貫通して背中の静脈の手前まで達していた。その2ヶ月後、東真一郎は男児の生首で遊び、ビニール袋に溜まった血を飲んでいた。先ずは学校が保身のために化け物を守った。

男児の生首を自宅に持ち帰り風呂場で洗っていた。東真一郎は勃起していた、髪にクシをいれたとき射精した、と供述している。それから「さあゲームの始まりです」という書き出しの犯行声明と共に生首を校門に飾る。メディアは「黒のブルーバード」だの「スクーター」だの「30代前後の黒い袋を持った男」だの「複数犯」だのと報道して東真一郎を助けた。コメンテーターも犯罪者が大好きだから「知的水準が高い」とか「高度な教育を受けている」と褒めた。東真一郎が捕まってからは、お決まりの「何が少年を追い詰めたのか」とやった。誰も何も追い詰めていない。変態は変態だっただけのことだった。雀百まで踊り忘れず、ここまで筋金入りのど変態サイコパス、私なら信用しない。

また、平岡がテレビで馬鹿を晒しながらも擁護した「青木悠くんリンチ殺人」の犯人もとっくに世に出ている。阿呆のツレの手紙に<ヒマヒマヒマ・・・>と書き、少年院を早く出たいとして<出たら単車か車でちょっと琵琶湖一周でもするわ。・・・題して「自分を見つめるたび」ですわ>と書いていた餓鬼は、とっくに琵琶湖一周したのだろう。青木悠くんがICU(集中治療室)で生死の境を彷徨うとき、この「少年A」は悠くんのお母さんの眼前、病院のソファで寝そべりながらアイスを喰っている。「なんでこんなことを?」と問うお母さんに「むかついたから」と返答している。そんな「少年A」はいま、我々と同じく、娑婆の空気を吸い、仕事もして、家庭を持ち、税金も払って暮らしている可能性がある。


ところで、悪夢の政権交代があった2009年。千葉景子が法務大臣になって世間は仰天した。その前は麻生内閣、自民党の森英介氏だった。358日間の在任中9人の死刑執行を命令した。その中には「2人の女性を生きたままドラム缶で焼き殺した犯人」やら「仮出所中に強盗殺人を起こした犯人」やら「連続殺人事件の犯人」という社会のゴミ屑がいた。すると「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」という怪しげな団体が抗議に来た。曰く<私たちは、死刑の廃止を願う多くの人たちとともに、また、森法務大臣に処刑された牧野さん、佐藤さん、川村さん、西本さんに代わり、そして連続的に死刑を執行させられている拘置所の職員に代わって、森法務大臣に対し強く抗議する>とのことだった。

福島瑞穂も「4人もいっぺんに殺したのか?」と驚き<社民党は死刑制度が人道と社会正義に反するものとして、その存置に強い疑問を呈してきた立場から、今回の4人の死刑執行に強く抗議する>という抗議声明を出した。オノレの国の法律、制度をして<人道と社会正義に反するもの>と現役国会議員が言う馬鹿さ加減はともかく、多くの普通に暮らす尊い命を奪った相手に「さん」をつけて呼ぶ感覚が不気味だ。

今回の「死刑確定」を受けて「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長・亀井静香も怒っている。記者会見で<どんな犯罪者の命であっても尊い命であることには変わりない。それを国家権力が奪うことは、私としては許し難い>ということだが、やっぱり、私は百回読んでも意味がわからない。どうしても自分の中にある矛盾が溶解しない。ケビンクローンというインチキ外人が、例の動画の中で「ハムラビ法典に戻すのか!」と叫んでいるが、これと同じで「復讐」とか「報復」という感情を野蛮とすることができない。ケビンクローンは「民事でやればいい」とも叫ぶが、私はソレのほうが野蛮で短絡、粗野で粗暴な馬鹿の意見にしか聞こえない。ここに何度か書いたが、そもそも「ハムラビ法典」の「目には目を」は「報復の加重」を戒めている。あくまでも「等価」の原則を示している。つまり「目をやられたなら目だけにしとけ、それ以上はやるな」ということだ。報復感情は連鎖するし、エスカレートすると周知であるから、これを断ち切るための知恵だった。

家族4人皆殺し、となっても死刑で吊るされるのは犯人だけだ。本来なら「犯人の家族」も吊るさなければ「等価」にはならない。大月孝之も2人殺したが、吊るされるのはこのカスだけだ。本村さんも「もう一人出せ」とはやらない。実はこれが「ハムラビ法典」だ。何人殺されようが、その場合も「殺したヤツだけ殺せ」という教義になる。どうしても害を加える者と害を被る者との「格差」は埋まらない。本村さんの奥さんと子供が、その日その時間に「家にいたこと」に対する「過失」などあり得ないからだ。

この最低限の「等価」すら守らず、加害者の人権がどうの、今後の人生がどうの、更生するチャンスがどうした、とやるのがどれほど矛盾しているのか、と考えるとき、私にはどうしても亀井静香の言う理屈がわからない。「わかってたまるか」という個人的信条を横において考えてもわからない。たぶん、コレは一生わからないだろう。



いずれにしても、大月孝之が世に出ることはもうない。東真一郎とは違い、せっかく筋トレした肉体も吊るされるだけだ。だからテレビも実名でやりだした。ところで、妻も「んあ?こいつ福田じゃなかったか?」と不思議がっていたが、福田孝之を養子にしたのは大月純子、御想像の通り、ど左翼だ。「わたしたちの性と生を語る会・広島」の代表を務め「ジェンダー広島」とか「男女共同参画を考える会ひろしま」などにも関係する真正のアレだ。また、日本基督教団というところで牧師をしている。この教団の公式サイトを見ると、先ず「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」というのが目に入る。中身を読めば、つまり「日本が勝ちますように」と祈ってすいません、と書いてある。

<まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります>

こんな戯言を書いても自国の英霊には謝らんでいいらしい。つまり、気が狂うとるのであるから、福田孝之をして「養子にしてでも死刑にさせない」と息巻く変態になる。「祖国の罪」とは、いったい、何様になったつもりか知らんが、マトモな思考経路を辿って飛び出す言葉ではない。余所の変態が他人様の子供の首を切り落とした「罪」は庇うが、その「祖国の罪」とやらには「そうなった理由」も考えられない。阿呆左翼の典型だ。


ジェイソンは母親を慕うあまり、襲われた若者が「母親に化けて」逃れようとすると、殺意が消えてしまうシーンがあった。平岡というのはコレを「反省している・可哀そうだ」とやりかねない変態だ。何作目か忘れたが、若い女性を追ってジェイソンが森を抜けると、そこには米軍が待ち構えていた、というシーンもあった。ジェイソンは重火器で攻撃されてバラバラになる。もっとも、映画だからその後ちゃんと生き返るのだが、亀井静香などはこれに「ジェイソンにも尊い命がある。それを軍隊が奪うことは許し難い。心臓が生きていて蘇生した、と聞いて安心している。いままでの大量殺戮を真摯に反省し、自分と向き合い、命の尊さに気付いてほしい」とか言うのだろう。よくもまあ、人前で話すことができるものだ。

2 コメント

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Unknown (佳代)
2014-08-03 22:02:30
本当に仰る通りです。 なんだか真面目に生きていくのがバカらしく思えてきます…。
佐世保事件の「徳勝もなみ」も、結局は普通に生きていくのでしょうね。
Unknown (凶悪犯罪者はクズ)
2017-10-04 14:13:32
最後の亀井氏のコメントに笑ってしまいました(笑)彼なら本当に言いそうですね。
この国は加害者の人権ばかり考えて、不当に命を奪われた被害者達の気持ちを考えて無い人があまりにも多すぎると感じてます。
大月もまだ死刑執行されてませんし、早く執行して貰いたいモノです。

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