にじがきえるまで

世の中には譲っても差し支えないことが多い。
                     新渡戸稲造

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主任航海士は公開したけど後悔するな。

2010年11月12日 | 過去記事
私はまだ買って読んでいないのだが、いま「田母神国軍」という本が売れている。この出版不況と言われる世の中で増刷される本も珍しい。しかも、それが田母神氏の本だというから、世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。また、産経新聞の宣伝広告にみつけたが「国防の入門書として、これ以上の本を私は知らない」と勝谷誠彦氏が絶賛しているのも面白い。いわゆる「田母神論文」が世を騒がせたとき、勝谷氏は「論文の内容はともかく、現職の幕僚長が個人の意見を公にしたのはいかがなものか」というスタンスだったが、どうやら考えを改めたのであろう。

シビリアンコントロールを取り違え、当時の麻生政権やマスコミは「軍人が政治や歴史に口を出すなどトンデモナイ」とやったわけだ。そしてその後、多くの日本人は「軍人が政治や歴史に口を出すのは当たり前」だと学ぶことになった。「軍人は意見を述べるな」などという主権国家は地球にない。続けて田母神氏は「いざとなれば部下に死ぬかもしれない命令を下すのに、その護るべき対象が“悪い国”だと言えるのか?」という、あまりにもわかりやすい、あまりにも臨場感あふれる現場感覚での正論を述べられた。私もまったく同感である。

しかしながら、田母神氏は解雇された。当時、支持率ダダ下がりの麻生政権は速攻で田母神氏を「切る」ことを決めた。いまは誰に文句を言われるでもなく、日本の世の「言論の自由」を謳歌されている田母神氏であるが、いつの間にやら心ある日本人の相当数が後ろを歩き、東京だけではなく、日本各地で何千名もの「愛国者」が自然発生してしまった。日本の売国マスコミは書かないが、これは戦後最大規模の「デモ行進」だと自明である。

田母神氏は「ルール破り」だと非難された。シビリアンのコントロール下における自衛隊の最高幹部が、長らく日本を縛りつけている「村山談話」に反する論文を書いて発表するとはなんたることかと、せっかく60年以上かけて日本人を洗脳したのに、なんてことするんだと慌てる人が浮き彫りになった。しかし、多くの日本人は氏の「国を愛する心なくして国防の任務は適わぬ」に賛同した。それは「悪い国であろうが、自分さえよければいい」という国から尖閣諸島を侵犯されたり、日本の海上保安庁の巡視船が攻撃を受けたり、ロシアの大統領が日本の領土である北方領土、国後島に不法入国したりしたから、ますます「氏の主張」の正しさを証明してしまっている。軍事的背景なくしての外交など、ただでさえ絵に描いた餅であるのに、この前代未聞の無能政権は餅の絵すら用意していない。

さて、今回、例のビデオを流出させたとして、神戸海上保安部所属の巡視船「うらなみ」の主任航海士が名乗り出た。早速にも「公務員による不祥事」として叩く連中も出てきている。いかにも正論吐いて悦に入るのは結構だが、何とも浅慮なクソつまらん発想しかできん低脳であると断じておきたい。言っていることが仙谷と変わらない。





先ず、だ。

田母神氏も解雇を受け入れている。事の善悪はともかく、その「処分」とやらを受け入れている。この「sengoku38」と名乗った42歳の主任航海士も、起訴されて有罪判決を受ければ刑に服することになっている。事実、すでに家宅捜索もされて身柄は拘束されている。

実はこの「悪いことは悪い」とだけ言う愚かな発想は、戦後の日本をいつまでも謝罪させてきた自虐史観と地続きでもある。日本はぐうの音も出ないほど焼かれた。戦争に負けるということはこういうことだと思い知るほど都市を焼かれ、大量の日本国民、それも非戦闘員である民間人も殺された。それだけではない。戦後も戦勝国の復讐心を満たすためだけに「戦犯」の汚名を着せられて、多くの日本軍人が甘んじて処刑を受け入れた。英霊は鬼畜英米の報復感情すら引き受けたのだ。また、未だに「戦後補償」を言う日本の国会議員もいる。そのひとりは先日、ついに日本の国家公安委員長になったりもしたが、この頭のおかしい老婆はなんとも「個人補償」までを言い出している。

この愚か者の発想の根源とは、戦後日本に刷り込まれた洗脳の結果、いわゆるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)であると「sengoku38」を逮捕せよ!という連中でも知っているはずだ。そのくらいは理解できよう。

日本は欧米列強と比しても「それほど悪くなかった」ことは周知であるが、そんな弁明など一切せず、いわれるがまま、日本国は戦犯を引きうけて国家賠償もした。未だに総理大臣が自国の神社に参拝するかどうかに気を使わねばならぬ妙な国となった。それでも日本は多くの戦勝国と国交を結び、平和条約も締結した。そして現在までも領民を拉致され、領土を奪われても「武力による解決」には踏み切っていない。つまりそれは「悪いこと」だと教え込まれたからだが、すなわち、あるかないか不明瞭な「悪いこと」ですら、悪いことは悪い、という天使のような無邪気さで受け入れ続けてきたのがこの国の戦後でもある。もういい加減、両手両足を縛られながら「ルールは大切だよね!」という己の馬鹿さ加減に気付け。その偉そうに持っている「原理原則」は正しいのか?ちゃんと学んで世間を知って、金も稼いで女を惚れさせてから、よく考えてみよ。

また、私自身のスタンスを明確にすれば、もちろん、この主任航海士は責められるべきではない。しかし、日本は法治国家であるから、起訴されて有罪とされたならば、粛々と刑に服せばよい。裁判で決めることが出来るのは「有罪か無罪」であり「事の善悪」では決してない。これを素人童貞はわからない。亀井静香を「静香ちゃん」とするキモイ奴にはわからない。馬鹿だからだ。

私事で申し訳ないが、私の勤めていた会社は昨年末に「廃業」した。詳細は書けんが、ざっくり言うと「廃業させた」が正解だ。誰がさせたかと問われれば、それは私だと答える他ない。本来ならば「現在でも運営していることは可能」であった。しかし、私は私の中の正義を優先させた。その結果、私や私の部下だった人は「無職になる」というリスクを引き受けた。この時代である。小泉政権の負の遺産がどうのという前に、私よりも年上の人も苦労して再就職したことだろう。もちろん、私の収入も大幅減であるから、妻も働く時間を増やしてくれている。私は事前に妻にも相談したが、妻はふたつ返事で「おとしゃんが正しいと思うならそうすればいいよ、わたしも子供も犬もついて行くから」と言ってくれた。これは私の誇りであるし、だから男は「外で戦える」のだと言っておく。

当時、社の就業規則には「守秘義務」のことも書いてあった。これの元は私が作ったのだから知っていて当然でもあるが、ちゃんとそれらの区分もあって「社外秘」「部外秘」「極秘」など種類があった。社で知り得た情報は外部に漏らしてはならぬという、極当たり前の規則である。そして、私はそれを破ったわけだ。

無論、それは面白半分でもないし、私利私欲を優先させたわけでもない。しかしながら、その結果、私は年収や社における職責、あるいは社会的なステイタスなども尽く失うことになった。昨日まで本部長本部長と頭を下げられていた人間が、次の日からぺこぺこ頭を下げて商売をすることになったわけだ。これは素人童貞クンにはちと辛いかもしれない(笑)。

しかし、である。



世の中にはそれよりも大切なことがある。







それが「自負心」であり、誇りである。



何度でも書くが、これは綺麗事ではなく、猛烈な利己主義、あるいは打算的な思考からなる「得策」なのである。私はよく「正直者は馬鹿をみる」という言葉は「悪人の負け惜しみ」だと言う。もちろん、私は自分を善人だとは思わないし、思いたくもないが、損をしたいとも思わない。「悪銭身につかず」や「あぶく銭」という言葉に代表されるが、要するに「誇りを手放してまで得るモノ」とは、その金銭的価値や希少価値がどれほどであれ、それは無価値だと判断した方がいい。繰り返すが、これは綺麗事ではない。「ガチコメ印・必ず儲かる方法」としてもよいほど、自分が得をするマニュアルである。


どんな金も、どんな地位も、どんな名誉も、どんな安定も、どこの正社員でも(笑)「自分は今幸せ♪」には敵わない。ましてや死期を迎える間際においてはなおさらだ。

生きてきて(いて)よかった、と感じるのは、己の中の「誇り」を実感できる瞬間だ。そして、人間の場合において言えば、それは「人間とのかかわり」でなければ得られぬ多幸感のことだ。目の前で不正が行われていたり、悪行を知りうる立場にある者が、それを知らぬ存ぜぬ、ルールだから、規則だから、法律だから、慣例だから、関係ないからと放擲し、そのあとに浸る贅沢に何の意味があるのか。そんなことを続けていれば知らぬ間にハラワタが腐り、神経は死に絶える。そうなれば、もう、目の前でどんなことが行われていようとも無痛となろう。世の中には、そんな連中がごまんといるではないか。

リスクを引き受ける覚悟を固めたら、己の正義に問えばいい。そして、その「己の中にある正義」を検証してみよ。その根拠がどこにあるのかを自問するのだ。

わかるはずだ。それは連綿と続く御先祖様から「教えられたこと」だと。すなわち、親から言われたこと、であると。そして、それらの「教え」は、例えば靖国神社にもある。何が正しくて、何が正しくないのか。ちゃぁんと先人は教えてくれている。知らない、わからないのは聴かないからだ。観ないからだ。だから、私は英霊に感謝するのだ。

この主任航海士は「義憤に駆られたのではないか?」とされてもいる。動機とすればそれしかないが、法で裁かれるならば身動ぎせず、それを受け入れればいい。堂々と前を向いて、だ。無実になる公算が大きいと思うが、それもとくにどうでもいい。大切なのは「己の心の中の声」に正直に向き合い、それを行動に移したことだ。後戻りはできないのだから、あとはもう、前を向くしかないはずだ。小さな子供がいるらしいが、大きくなったら「武勇伝」を聞かせてやればいい。そして親として言うのだ。


「お前もこう生きるのだ」と。



コレは民主党の人間には逆立ちしても真似できぬことだ。こいつらは例外なく「オレのようになるな」と言って死んでいくのだ。哀れなものだ。
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