<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

記号論理学のあれやこれや

2005-05-19 13:46:35 | ガルマルの鼻歌で散歩
私こと、ガルマルは論理的でないと言われます。言っていることが、めちゃくちゃだということだと思います。そのガルマルが論理学の話です。

アリストテレスがはじめた論理学は形式論理学とも言われています。それに対して、ホワイトヘッドとか、ラッセルは記号論理学を提唱しています。

(Pかつ非P)は偽
(Pまたは非P)は真

Pは、命題です。たとえば「東京は日本の首都である」のようなものです。たとえば、「ガルマルは論理的だ」です。
ここでPを「ガルマルは論理的だ」としましょう。すると
(ガルマルは論理的であり、かつ、ガルマルは論理的でない)は偽になります。
一方、(ガルマルは論理的であるか、または、ガルマルは論理的でない)は真になります。
まあ、当たり前といえば、当たり前のことです。

ところで、記号論理学の前提は、すべての命題は真が偽であるということです。命題には真と偽という二つの値しかないということです。この記号論理学は、コンピュータ回路の基礎になっています。電流が通っていれば真、通っていなければ偽とすることで、記号論理学の理論をそのまま使えるわけです。

そこで、ガルマルは思うのです。ホワイトヘッドやラッセルがインド人だったらどうなっていたかと。きっと、真と偽のように二つにわけることに同意しないでしょう。真、偽、真でも偽でもないと言う三つの記号論理学とか、真、偽、真でも偽でもある、真でも偽でもないという四つの値を持つ記号論理学を作っていたでしょうね。こんな記号論理学があったら、コンピュータももっと違ったものになっていたでしょうね。はじめから、量子コンピュータができていたかも知れません。その方が、面白かったに違いありません。ガルマルが論理的でないと言われるのは、きっと、三つとか四つの値を持つ論理で動いているからなのです。

今日の散歩は、鼻歌なしで記号論理学のことを考えていました。今日のしっかり歩き、6000歩、49分でした。毎分122歩と、考え事のせいで少しゆっくりでした。

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