気紛れ雑記(滓)

気が向けばまた…

殺人社会。

2005-11-30 | Weblog
 昨日の国会中継、そして、広島のダンボール。
直間ではあるが無関係とも思えない。
片方は擦り付け合い且つ責任逃れの逆ギレ、もう一方は、
「キミワテンパーテーン~♪」
と、些か古い歌を、つい口ずさんでしまいそうな容疑者逮捕。
お題目の様に、「人の生命は…」
何物よりも重いんだとすれば、人の生命以外の何かは、頗る軽いんだなぁ…と感じる日々。
人命なぞ大して重くも無ければ、尊くも無い。
寧ろ、不必要な重量感を持たせる事が、人間の傲慢であり、業の深さと謂われるモンであり、
何より、不確かな自己を何とか正当化させる為の口実に外ならない。
なまじ生命の尊さだとか謂うモンだから、自尊心ばかり膨らんで、他を自の為に利用する。
人の生命なぞ、何物にも増して軽く壊れ易いとさえ感じていれば、逆に大切にでもしよう…
況や、自分なぞ大した代物では無いと自覚していれば、荒唐無稽な妄想に、ユメと云う二文字は付けず、
しっかり目標を据え、計画を遂行する堅実さを身に着けた社会に成る筈だ。
以前も書いたが、夢は夢で無ければ成らない。
実現させる物では無い。
実現させられるものは夢では無く、目標に過ぎない。
現実的ではなく、叶わないからこその夢であり、其れに近付こうとする時、理想が明確になる。
明確になりさえすれば、目標の為に計画を立てる。
夢は夢想や幻想や妄想で善い。
が、目標は其れでは行けない。
そんな簡単な事なのに、夢を叶えるだとか、莫迦莫迦しい科白が僕の耳を衝く。
「なら叶えて見せて呉れよ…」
って、独り言にも満たない呟きが僕の中で虚しく響く。
子供はちゃんと夢を持って居るのに、大人と来たら…
「僕の夢はウルトラマンになる」
果たして、そう云う子供の夢は叶うんだろうか?
無論、中の人に成る事だなんて、其れこそ「夢の無い話」はしない筈だが、
「努力すれば必ず夢は叶う」と云う御仁にこそ聞いてみたい。
ま、裏を返せば夢が叶うだとか、夢を持てだとか、そう云う綺麗事が、
連日見ている下らない事件の下地にも繋がっている気がしてなら無い。
一体、個人の身勝手な夢の為に、どれだけの人が故人に成って仕舞ったんだろう…
おまけに、夢とカネを履き違えて仕舞った、手段を目的にしてしまった現在、
自ら捩れる事を望む風潮に気付きもしない事が恐ろしい。
少なくとも夢を語るのであれば、目的ならまだしも、手段が最優先はおかしいだろ。
「お金持ちになる」って何だ?
想像力が完全に停止している。
想像無き創造は無いんである。

成功を金銭的で云々する間は少なくとも、人の生命はカネよりは軽い。
保険屋が儲かるシステムを見れば明白。
何の疑いも無しに、命にカネを賭けて居るんだから…
此の自覚を見失う風潮が継続する限り、社会は殺人を繰り返すに違いない。
僕は軽いからこそ大事にしたいと思う一人であり、愛だとかを信じたい夢想家である。
今は余りにも愛が乏しい。
愛の前から「自己」を抜けば善いだけの話なのに…

吾に返る

2005-11-29 | Weblog
 先週末の夕刻は久々に、繁華な街に足を運んだ。
すっかり年の瀬を思わせる雰囲気と、季節外れの暖かな気温のおかげで必要以上に暑い室内暖房は、
僕を精神的に不安定にさせるのに充分であったのは云うまでも無いが、
それよりも、僕以外の他人の落ち着きの無さに、浮かれていると云うよりは、浮かされているとでも感じる気配に、少し恐怖さえ覚えた。
きっと此の空気感が歳末商戦のカラクリなんだろう。
常に醒めている積りの僕ですら、必要の無い、生活の幅を考えれば無駄以外の何物でもない大きな買い物をしかけた。
兎に角、判断力に乏しい時節である。
自分に対する言い訳と云う後悔の無き様、何かと気を配り過ぎても過信には成らない筈なので、自己抑制に努めて行きたい。
ま、そう思う反面、冷静な時よりも、熱っぽくなり判断力を逸した時こそ、真に自分であるとも云えなく無い訳で、
何処か、一時の熱情も棄てない必要もあるんだが…。
無論、こうやって外側を向いて何か呟いている今は、到底冷静である筈も無く、
へべれけになる事で有効?に遣っている訳で…。
だからと云って、此れが僕かと云えばそうでは無く、本当の僕は非常に臆病で狡猾で駄落しないおっさんであろう。
ま、足りないのはお年寄りな強欲さと、自己保身や隠蔽にはまるで興味の無い事くらいだろう。
そう云う青さは嫌いでは無いから、身体が着いて来る間は頑固に成らず、鈍ら刀で居ようと思う今日この頃。
還れない自分になる無責任さも亦、大人と謂われる存在なんだなぁと、吾に返る循環に陥るんであるが…。
あんまり泥酔する訳にも行かんのである。
今日も御洗濯の途中。
近頃、脱水槽がけたたましい音を立てる事がある。
20年選手だから仕様が無い。
でも、次も僕は二層式を買うだろう。
そりゃ、斜めドラムだとかは楽だろうし、洗浄力も高いだろう。
が、僕は人間これくらいの便利さで善いと思う。
例え脱水槽が壊れても、洗濯自体は出来るし、逆なら手洗いで脱水だけは可能である。
便利な時よりも、不便な時の幅の広い物を選びたいんである。
でも、ついつい歳末は新しい物が欲しくなる。
年賀状すら一通も出す事も来る事も無い僕なのに、今日か明日、プリンタが届く。
どないやねん?
である。
おまけに、洗濯機の考えで云えば、プリンタならプリンタ。
スキャナならスキャナ、コピー機ならコピー機を買う筈である。
のに、複合機を買った。
実際人間とは、その場のご都合で、何とでもなるんである。
そう云う自己矛盾を常に自覚していれば、そうそう他人を責められなくなるんである。
無論、僕は誰よりも僕が一番嫌いであるし、僕を一番好きなんである。
だから、誰も解って呉れないなんて嘆く事も無く、
誰かを解った積りに陥る事も無く、
僕を解られて堪るかぁ!
であり、
例えば同居人に対しても、理解なぞしちゃ居ない。
価値観の相違なぞ、寧ろ人同士の付き合いに必要である。
価値観を云々する奴に限って、其の人の価値観とやらが疑わしい。
ま、大した代物で無い事だけは断言しておこう。
 なんて書きながら、「あ、脱水した侭やった…」
と、洗濯の途中であったと、われにかえったんで、此れにて失敬。
んじゃまた。

200円アップは厳しいなぁ…

2005-11-26 | Weblog
 欠陥マンションのニュースを見るにつけ、ヒューザーの社長の喋りが、
懐かしくも「ナイスですねぇ~」のムラニシ監督に聞こえて仕方が無い。
それだけで十分な胡散臭さを醸し出して居るとも云えなく無い訳で…。
ま、住人の安全を早く何とか…
ってな、少々偽善とも取れ無くもない、でも気の毒だなぁとは思いつつ、
所詮他人事と、好き勝手に話題のネタにでもしていれば好いと感じる今日この頃。
決して声を大にして「許せない!」なんて事だけは云う積りは無い。
少なくとも、此のスカスカな好況の一因に、マンションの売り上げも一役買っている現実もあるんだから…。
建てば売れる、売れるから建てる。
市場原理に従順過ぎるのは、何も供給側だけの責任では無い。
全く筋違いも甚だしい事は自認しつつ、敢えて書くが、援助交際と謂われる物、
より罪が重く問われるのは需要側である。
常に供給側だけに責任があるとは云えないのも、市場原理では無いだろうか…。
 ま、僕には他人が右往左往している様を見ている分には、恐らく娯楽の範疇なので「騒げ騒げ…」である。
 それよりも、どうやら煙草税がアップするらしい。
僕は綺麗事で書けば「愛煙家」
真っ当な眼で見れば「ニコチン中毒患者」
である。
此れ迄、何度か止めようとしたが上手く行かず(本気で止めようって気は無かったに等しいが…)、
結局、10代半ばから吸い続けて居る。
僕の場合、背伸びから始まったのは否めないにしても、
誰かの前だからとか、ガキの大人振る行為では無く、独りでコソコソ吸ってたクチだった。
そして、孤独を誤魔化す様に嵌まり込んだ高校時代のパチンコが完全に喫煙者にしては呉れた。
そう云う点では、格好付けは寧ろパチンコだった訳で、煙草を吸う行為自体に余り自己満足は無かった。
だからこそ、逆に止められない。
確かに、会話の下手さを補うアイテムとして利用した事はあったが、
ダンディズムだとか、格好だとかで吸った自覚は未だに無い。
作業効率的にも、金銭的にも、無駄だと云う事に異論は無い。
情けなくも僕は中毒患者である。
そして、開き直る勇気も無いから、マナーを守りながら吸っている。
外出する際には、外出ギリギリ前にニコチンを注入し、外には持って行かない。
多分僕の喫煙する姿は、此処数年同居人以外見ては居ない筈である。
何も其れを立派だ等と叫ぶ積りは無いが、虐げられるのは我慢が成らない。
嫌煙家に対してでは無い。
寧ろ、空気の読めない愛煙家にである。
クソガキや強面の方々には諦めもある。
が、スーツを着用し、ネクタイを首に締めている、所謂「立派な社会人」に怒りを覚える。
そう云う連中の歩き煙草、信号待ちで路上に棄て、吸殻を踏み潰す様を見ると、
此の国の今が凝縮されている気がしてなら無い。
ああ云う奴に限って「近頃の若いモンは…」を云々する。
其の前に、貴様等がそうだから若いモンは見習っただけだ。
灰皿が無いのなら、ある場所で吸えば好いし、携帯灰皿を持てば済むし、何より、場所を弁えろよ…。
(無論、灰皿があるから吸っても善い場所ではないし、
携帯灰皿を持って居るから、何処で吸っても好い訳では無い。)
そして、目立つのが女性の吹かし煙草である。
あれは一体何がどうしたいのか謎である。
口の中は気持ち悪く無いんだろうか?
不思議でなら無い。
ま、愚痴めいた事を並べても、僕の大嫌いな自己正当化に成るんで止めておくが、200円アップが厭らしい。
止めれんでは無いか!
いっそ1000円くらいにすれば善い。
そもそも、もう煙草は嗜好品に過ぎない。
不必要以前に、害悪なんである。
そう云う物を欲しがる奴は弱者では無い。
謂れの無い虐待は受けているとは云えなくも無いが、どうにも喫煙者の行動を見ていると当然の報いだとも認めるしか無い。
もう我慢ならないのは、嫌煙家よりも、寧ろ自分の世界でのみな中毒患者を足蹴にする、尊大な愛煙家だ。
何ともそう云う奴と一蓮托生なのは悔しいが、やめない僕の責任だから仕様が無い。
ただ、200円アップなら買えて仕舞う。
今でもセコい工夫(100sサイズを買って、一本を何度かに分けて吸っているんである。これで一箱で三箱分を…)はしちゃいるんだが、
流石にこれ以上は無理だ。
懐具合を痩せ細らせるか、背に腹は返さなくするか…
肺を患って早死にする事は寧ろ好ましいから、健康志向をきっかけには出来ないし、
乳首恋しさから派生した幼児行動の名残と謂われても、別段否定もしない自分に甘い僕ではあっても、
200円あれば今なら美味しい立派な野菜鍋は作れるしなぁ…と、金銭的な勿体無さは切実である。
1000円アップが望ましい。
きっと其れしか無いだろう。
そうなれば僕は止めるんだろうか?
其れでも燻らせて気がするんだが…

空虚な思い上がり

2005-11-25 | Weblog
 何かと思い上がりの甚だしい奴だけが籤を引く権利を持って居る時流である。
だが、実際の処、本当に爪を持って居る鷹は息を潜め、吠えるに長けた鴉ばかりが羽ばたいて居る気のする社会。
己の優しくない行動に目を瞑り、他人の優しさに触れたがる。
善い人は、単に「都合」の二文字を抜いたに過ぎず、パッと見の善行は安っぽい偽善。
本当に優しい人は身ばかりか魂を削りながら、小さな世界を護る為に必死ではあるだろう。
が、そう云う人に限って、自己PRなんて事はしないし、極めて自己の無力さを痛感しているから表には出て来ない。
例え出て来たとしても、他人から莫迦にされるか、若しくは嬉しくも無い賞賛を与えられる。
其の度、その人は自己の偽善と無力振りに苛まれ…。
ま、そんな事はどうでも善いっちゃ、どうでも善い。
其れよりも、男の強がりが成立しない感じが辛い。
そもそも雌雄と云う概念に於いて、男は全く存在する価値は無い。
優柔不断を優しさに摩り替え、脆弱な精神を強靭な肉体で補って来たんである。
男の社会なんて、聞こえは男の自己都合に思えるが、実はそうで無ければならなかっただけである。
其れは遺伝子の為でもあり、孕めない侘しさの裏返しだったんである。
だから男は常に優しく在らねば成らず、女は厳しかったんである。
無論、僕自身、女性への畏怖と尊敬入り混じった感覚、何より、男に較べ極めて動物的な感触に気色の悪ささえ覚える日々である。
男は物に成れても、オンナは肉の壁を越える事は出来ない。
物に成る為の構造が、所謂オトコ社会なんである。
肉が物に成ろうとしても、土台無理なんである。
其れは、オトコが論理に逃げても、感覚に鋭いオンナの嗅覚には太刀打ち出来ない事からも明白では無いか?
オンナに人生を狂わされるオトコは多数居られよう。
が、オトコに人生を狂わされたオンナなぞ居ない。
オンナが男に狂わされた風の事件ですら、実はオンナの女の性が招いたに過ぎない場合が殆どである。
「冗談じゃ無いわ!」
と仰言っる女性も居られよう。
が、其の「冗談じゃ無い」と思う事こそ、肉が発して居られる事を自覚して頂きたい。
少なくとも、誰かに物を食う状況を見せる事に羞恥心があるかどうかを自問して見て欲しい。
何かを食う…
此れは欲を満たす、最も解りやすい卑猥な行為である。
ある意味、セックスで喘ぐ姿と変わらないと云っても言い過ぎでは無い。
別段、隠せと云いたい訳では無いが、平気であればある程、美徳から掛け離れ、オトコは幻想を破壊されるんである。
優柔不断なオトコは、女性と云う得体の知れない幻想に頼る部分が大きい上、胃腸も弱く、生肉には中る。
ま、今後もそう云った点で、美徳を強要する事の成立しない幼女に対する悲惨な事件は頻発するだろうし、
先天的では無いホモセクシャルも増加するに違いない。
僕の勝手な思い込みではあるが、確率的に男前にゲイは多い気のするのも、不思議では無い。
とは云え、近頃の男は優しく無い。
僕も亦優しく無い。
何故なら、後悔ばかりが後に立って来やがる。
思い上がってるなぁ…
と、熟く思う今日この頃、同居人を送り出しちゃ後味の悪い僕である。
今晩は何を作ろうかな?
其れより、お昼のパンは美味しく食べて呉れるだろうか…
何て、メンツから逃げる自分に嫌気が刺す。
上手に生き過ぎている。
下手な筈なのに…
何となく苦悩が足りない。
自分から逃げれば逃げる程、虚しさばかりが膨らんでいく。
人並みの仕合わせなんて僕には空虚に外ならないのに…
人の僕が人並みなんて口走る事自体思い上がりに外ならない。
ただ、哀しい哉、僕はオトコなんである。

懲りないなぁ。

2005-11-23 | Weblog
 もう、うんざりである。
小林薫の事件から一年だとか、そう云うニュースが頻繁に流されて居るにも拘わらず、
今度は小1少女のダンボール死体…
「何をやっとるんだ?親は、その地域社会は。」
少子化への危惧が囁かれる今、何故子供の生命を護らないんだ?
子が簡単に殺される社会は、其れ自体、未来を否定しているとも云えなくは無いと思うんだが…
やって遣りすぎることは無い。
過保護になれ!と、云う積りは無いが、いい加減にして欲しい。
常に日本中、おかしな奴はウロツイテイル現実を識って居ても不思議では無いだろうに…。
何の根拠も無い性善説は棄て去れよ…
そんなに皆真面目で清潔で理性的かい?
どいつもこいつも少しずつ狂ってるんじゃ無いかい?
自由の本質を知らずして、単に厚顔無恥に成る事を自由だと勘違いしているだけで…
 児童の列に突っ込む自動車だってそうだ。
先ず、緊急回避の出来ない自分を自覚していれば、運転する恐怖を持つ筈だ。
そもそも、自己を過大評価し過ぎる風潮が莫迦げている。
自己実現だとか、自己分析とか、何者かに摩り替わり、主観で自己肯定する事が、まるで素晴らしいかの様な風潮。
自分が望んで生まれて来たかの様な、気違いめいた、勘違いな実質自己軽視な莫迦さ加減。
何故、歩道を歩く人間が殺されなくちゃ成らんのだ?
想像力を働かせて欲しい。
あの軽自動車の常軌を逸した行動は、平然と街中で見られるチャリンコも同じである。
緊急時に車を停止させる、危機回避能力も無い奴は車に乗るなよ…
そして、人を避けて歩行者を妨げない奴は自転車にも乗るなよ…
クラクションや、呼び鈴は「そこのけそこのけ」の為では無い。
その為に音を、警笛に利用する事は法律違反なんである。
自分が法治国家に住んでいる自覚をして頂きたい。
何より、車に乗る事は、其れ自体違反なんである。
だからこその免許だ。
書いて字の如く、免れ許されているんである。
乗って善いんでは無い。
何とか乗る事を許して遣る!なんである。
ったく、そんな当然の事も無い奴が、運転するから凶器が凶器になってしまう。
物に罪は無い。
常に、其れを使う奴に罪はある。
 兎に角、社会はおかしいとかそんなんじゃ無く、劣化している気がする。
そもそも、こんなに春先の植物の様に、 ニョキニョキ乱立するマンション、手抜きしてて当然だろ?
欠陥マンションを買った連中の一体どれだけが、基礎工事から見に行ってたんだろうか?
買う積りの無い僕ですら「こんなんで本当に大丈夫なんだろうか?」と、基礎工事中のマンションを見て感じるのに…。
自己責任なんじゃ無かったけ?
欠陥住宅には余り大した保障も無いのに、何故マンションなら直ぐに保障をして貰えるんだろう…
少なくとも、一戸建てなら基礎工事から見に行っている人も多く居られるだろうに…
其れでもこっそり欠陥住宅を作られた人は、実に気の毒であるが、
何となく、値段の割に広く耐震構造だとか、そんな都合の善い話は無い筈だ。
と、まぁ被害者が悪いか様に敢えて書いてしまったのは、危機管理の余りの足りない世相にうんざりしたからだ。
例の欠陥マンションの一番の悪は、安直な規制緩和と、公共事業を与えられない行政が、
建てば売れるからを理由に、土建屋を護った構造に外成らない。
アネハはそんなに悪くない。
彼は寧ろ、闇に葬られる氷山の一角を社会に示してくれたとも云えなくは無い。
いっそ今直ぐ大地震が起きれば善いのに…
そうすればマンションよりも、妄信して来たあらゆる物が崩れるに違いない。
自分の護っている、下らない物とか…

 少なくとも僕は神戸の地震で学んだ一人である。

終わるのか…

2005-11-22 | Weblog
 どうにも天皇の万世一系すら失われつつある方向。
女系になれば、もう此の国に拠り所は無くなってしまうばかりか、
天皇陛下と云う存在が、象徴ですら無くなる。
どうして男女平等だとか、別物である他国の王族なんかと同列に語られるのかも不思議でならない。
そう云う事を云うのであれば、皇族にも人権を与えるべきであるし、税金で保つ事へも、
何より敬語を使う事にも反論を出して頂きたい。
憲法改正の為にも、先ず皇室典範を…、ってな具合で急ぐ必要はあるんだろう。
が、国の根幹を決め兼ねない事を軽々に僕達の世代でいじくって好いんだろうか?
僕は、今生きている此の時点が、此れまでの歴史の中で特筆すべき素晴らしい時代であると言い切る自信は無い。
寧ろ、何となく、かの20世紀よりも残したくは無い。
ま、有識者は熟慮の末の結論だろうから仕様が無いにしても、
街の意見とやらの女系容認の声に、余りに下らない意見の多いのが気にかかる。
「女性でしょ?え?女系?…ま、いいんじゃない?」
だとか…
民意だとか、そんな物は関係の無い部分で紡いで来た天皇の歴史。
将来の日本人に怨まれなければ善いんだが…
 何だか怖いなぁ。
何もかもが軽佻浮薄で。

後が大変。

2005-11-20 | Weblog
 APECに於ける小泉さんは個人的に中々御立派だったと思う。
先日、ブッシュ大統領の訪日で蜜月振り、
東アジアに対する姿勢を批判する論調は目立つが、
僕は寧ろ評価に値すると云いたい。
 確かに冗談じゃ無いとは思う牛肉輸入問題や基地問題。
然し、牛肉はこの際、余りにも自己の責任無しにジャンク化の一途を辿る、
この国の食生活に課題を変えれば好いだけの話。
疑わしくは食うな!
であり、食の安全とか言いながら、疑いも持たず与えられる侭に食ってしまう他力本願さ、
一度自分の食に対する無頓着振りに立ち返る機会を得たと思えば好い。
無論、吉野家に行列だった光景を思い出せば良く解るだろう。
 基地問題に就いては別の機会に…

 さて、手抜き建築に対する問題や、酒類販売の云々…
僕が思うに、既に反動が顕在化し始めたんじゃ無いかと云う気がする。
そう、あれだけどん底だった景気の低迷を一気に跳ね返した歪。
弱者を上手く切り捨てた奴は得意顔であろう。
が、末端に弱者を抱えている業界には皺寄せが未だに重い。
表向き株価は上昇した。
が、小さなバブルに違いない。
本当の景気回復は、もっと地に足を着けた感じのした時であろう。
何と無く今の軽薄さに満ちた好況には危うさが否めない。
一部の奴が「自己満足な努力」とやらを唄い、富を獲り過ぎている。
其の割に還元されている率が少ない。
循環こそ社会の根幹。
僕等の国は、何処か先天的に共産主義的な村社会に依って成り立ってきた節がある。
農耕民族であるからだ。
直感的に狩猟民族な生き方は肌の合わない感じがする。
そして、其の感覚がこの国の美徳の一因でもあったんである。
努力は必ずしも報われる物ではなく、報われないからこそ、努力が努力として成り立って来た。
だからこそ、出る杭を打って来たし、出過ぎる杭には従って来たんである。
が、今は違う。
IT関連の連中は出過ぎた感は無く、ハゲタカっぽい、禿げコウと云うか、
ハイエナよりも弱い、リカオンやジャッカルみたいな連中ばかりだ。
が、個体でハイエナはライオンには勝てない。
多分、世界に何かしらの暗雲が立ち篭めて居るのは、ライオンが居ないからだろう。
おかげで、社会は歪む。
が、此の国には暴動もテロも無い。
歪み方も緩やかである。

 虚業の引っ張ってきた景気、場当たり的なのか計算なのか良く解らないリーダーを選んだ此の国。
後々の事を思うと、何かと大変そうだ。
中韓に対して物を云う小泉さんを継承するのか否か…
その他諸々…
僕には関係無いけれど。

損を取って得を取れってなのは既に成立しないに違いない。

下ら ねぇ…

2005-11-19 | Weblog
 土曜日の今朝は、殺伐とした事件を餌に、尤もらしい語りで慢心する、
何者だか良く解らない、解っちゃない癖に、したり顔のコメンテーターを見なくて済む分苛立ちは少ない。
ま、肩書きで生きている軽薄な連中の、通り一遍等なのは昔も今も、そんなに変わらないんだろうが…。
 てな爺風の説教臭いのは、折角の週末なんで今日は止めよう。
とは云え、今しがた見たテレビに情けなくなった。
「イエカジって何ぞや?」
と取り敢えず観て見た物の、何て事は無い、単に当たり前の生活力の有無であった。
そもそも僕の大嫌いな言葉に「男の料理」がある。
阿呆か?
本来料理と云う物は男の物である。
数多居られるシェフに男性の多いのも、料理人に男の多いのも理由がある。
料理はデリケートなんである。
此れだけは男女差別だけでは無く、合理不合理な話。
ホルモンバランスによる体温は味覚に作用する。
一定の味を提供し易いのは、生理の無い男性であるのは解りきっている。
そもそも「男子厨房に入るべからず」なんて云いながら、女性に家事を押し付けてきた馬鹿男共が、
実際は厨房に男子しか居ない、割烹や料亭の出す繊細な料理に舌鼓を打って来たんである。
所詮、食通とか謂われた連中も胡散臭い代物なんである。
だから、僕はそんな莫迦げたオトコ社会にはうんざりしていた。
出来れば出来る方、向いている方が作れば好い。
男女平等だとか、ジェンダーフリーだとかはどうでも好い。
女性だから料理が出来なければ成らないなんて理由は無い。
何だか「肉じゃが」だとか、其れでオトコは落ちるなんて良く聞くが、其れはオトコが阿呆なだけである。
肉じゃがなぞ、サボり料理。
あんなもん料理の中では簡単過ぎる部類だ。
無論、お袋の味だとかは幻想であり、僕自身母親の作った肉じゃがよりも美味しい肉じゃがを作っている。
だからこそ、寧ろ僕の女性に謂いたいのは、
「若し、肉じゃがで惚れられたら、その相手の男性を疑って下さい」
である。
肉じゃがで釣られる様な男は、マザコンか、家事に協力しないか、
其れより旨い肉じゃがに巡り合えば、浮気をすると云うサインであると云う事を心掛けて頂きたい。
根拠は無いが、僕自身、女性の肉じゃがには釣られないし、家事には抵抗無いし、
浮気だとかは面倒だからしない、の裏返しでそう書いている。
本当に愛する女性に、美味しい肉じゃがを求めるのであれば、
先ず、そのオトコに作って貰えば好い。
それもしないオトコから、不味いと謂われる理由も筋合いも無いんである。
詰まり、男の料理なんて言葉自体がナンセンスなんである。
食べたければ自分で作れば善い。
其れを偉そうに「オトコの…」をする事自体莫迦らしい。
嘘だと思うのなら構わない。
が、食べて貰えれば簡単なんだが、そうは行かないんで、
書いた以上肉じゃがの秘訣は書いておこう。

 先ず根菜類は大き目に切る。
肉に火を通しすぎない。
隠し味は赤ワインと蜂蜜。
蒟蒻類は肉を硬くさせてしまうので、極力鍋の中で同居させない。
逆に玉葱は肉を柔らかくするので、確実に同居させよう。
(これはすき焼きにも云える事だが、絶対に糸蒟蒻と肉は隣り合わせにしてはいけない)
そして、ジャガイモは綺麗に洗い、素人さを演出するのと、素朴な旨みを出すために皮を残して置く。
仕上げに七味をササっと振り掛ければ完璧。(此れは京都清水さんの七味に限る)

別段、料理講座なぞ開く積りは無いので微細には書かないが、
「僕の作っているだろう」事を、作っている人には解って頂けよう。
詰まる処、下らないんである。
自分で食いたい物を作る事に、お触書なぞ必要無いんである。
無論、自分が作ったんだから、煮た鍋、切った包丁、使った食器は、使った度に洗えば善い。
「男の料理は善いんだけど、後片付けがねぇ…」
なんてのも嘘である。
そもそも、調理具が散らかされた料理なんて、其の料理も亦、散らかった味なんである。
鍋の中の料理に集中するんであれば、その他利用した調理具が散らかっている筈も無い。
ま、それは一流シェフの厨房の整然とした様を見れば解るだろう…
使ったもので其の後使わないんであれば、そこで洗えば善いだけの話だ。
オトコの…を云々するのなら、仕事に於いても同じだ。
計算しなければならない時、引き出しから電卓を出す。
が、それが終われば卓上にある電卓は邪魔だろうから、引き出しに仕舞う。
料理も同じだ。
煮込んでいる最中に包丁は要らないし、濡れたままで放って置くと錆びる。
片付け云々ではない。
兎に角、下らない。
生きる為に食う。
食う為には作る。
そんな事に、男女は無い。
外食を否定する気は無いが、100円で作れる物を1000円も出すのは莫迦らしい。
第一、他人の作る物は信用し切れない。
自分が自分の食べない物を他人に作るとしたら食中毒だとかにだけ気を配るだけで、
温かみだとかの情感を差し挟む事は無い。
金を取らない事にこそ潜む温もり。
僕の料理を作るのは其れだけだ。
同居人の、皿まで舐めて呉れる様を見て、何となく嬉しい事。
別段、其れを「男の料理」だとか、傍迷惑な満足に溺れているんではない。
ただ当たり前の日常、彼女の作る物よりも僕の方が美味しいと云うんでは無く、
食材を無駄にしない、それだけである。
だから、料理教室に通う男は莫迦だ。
今まで何を食って来たの?と問いたい。
想像力を働かせず、ただ、喉と食道を通し、胃に消化させて来ただけ?
旨い物を食うと云うのは、作り方を想像する事無しに在り得ない。
オッサン達は帰りに寄る小料理屋で何も味わって無かったに相違ない。
旨い小料理屋に通ってたのなら、料理教室になぞ通う必要は無い。
いや、それはオッサンに限った事ではない。
食う事が余りに雑だ。
有名シェフと無名シェフの作る料理の差には敏感なのに、
実際の母親の味と、仕立て上げられたお袋の味の差には無頓着。
ほんとに下らねぇや…
家族崩壊だとか云う前に、一体どれ位真面目に食ってる?
煮物は作り立ても旨いが、次の日も旨い。
そして、僅かに残った煮物と何かを混ぜて作るのも旨い。
そう云う日々の連続無しに、連日完結な物ばかり食べていて、健全な精神が育つ筈は無い。
例えば、残ったグズグズの肉じゃがに少しエスビーカレーの粉を混ぜると、優しい和風カレーが出来る。
此れが亦甘辛くて旨い。
残り物の煮物は飯を進める。
ま、洋風の煮込みも同じ。
硬くなったパンとの相性は抜群だ。
そう云う工夫無しに、出来合えばかりが持て囃される。
即戦力は出来合えに過ぎない。
「味のある」
其れは一朝一夕には出来るモンじゃ無い。
が…

努力なぞ必要無い。
ただ、地に足を着け、足に根を張るか否かである。
其れは甘えていても好いんである。
即戦力のお袋なぞ何処に居る?
プロ意識と云うんは寧ろ、そう云う物に違いない。
求められる分には甘いが、存在としては厳しく在る。
だから母親は偉大なんである。
一流シェフだって、決して、母親の作った優しい煮物の味は出せやしない。
僕自身、旨さでは母の肉じゃがに勝る自信はあるが、何故か満足度の点では敵わない。
だが、母は肉じゃがに努力した何て事は無い。
其れで好いんである。
何故、何某で無ければならないんだろう。
努力は報われる為でも、苦痛でも無い。
頑張るとか関係無しに勝手にする自己満足だ。

う~ん、どうにも訳が解らなくなって来た。
飲むとヒステリックに書いてしまうのはいかんなぁ…
自分こそ下らない事を思い知る。
何の考えもなしに、進むままにキーを打っているに過ぎない。
ホント、僕は下らねぇ
と、思った瞬間から打つのが怖くなったんで逃げよう。
自分以外のアクセスってゾッとする。
「どうか、たまたま繋げてしまって、最後まで読んでない様に…」
「なんじゃコリャ?間違って来てしもた」って鼻で嘲笑って貰えれば…

んじゃまた。

治す

2005-11-17 | Weblog
 今日は一年の経過した小林薫の事件ばかりである。
あいつを擁護する積りは無いが、此の社会じゃ無ければ…なんて事も感じる。
あいつはあの事件を起こすまでに、あいつを肯定する人間が居たんだろうか?
「人は信用できない」なんて事をのたまう事は、
「人を信じたいのに」の裏返しである。
少なくとも僕の様に、自分すら信じられない人間は口にしない科白だ。
確かに表層的には異常であった、犯行時の画像を他人に見せる行為。
これも一部社会性を垣間見せる。
何かを満たす為の行為なら、決して他人には見せず、自己満足に徹する筈である。
何より、デリヘルだのスナックだの、そんな希薄ではあれ、繋がりは持ちたがらない筈だ。
世が世なら違った生き方すら在ったかも知れない、なんて思わなくも無い。
ま、「関わりたくない」と一目で思わせる風貌ではあるんだが…
 被害者遺族の方に鞭打つ様で不本意ではあるし、故人に殺される理由は無かった事は理解している。
が、敢えて感じるのは、幼児性愛な奴がウヨウヨとしている現実を知らない訳では無いのに、
GPS携帯なぞで慢心し、子供を放し飼いにしていた落ち度も無い訳では無い。
何も被害者遺族に対しての苦言ではない。
寧ろ、あの事件の後も我が子を放し飼いにしている光景を見かけ過ぎる事に驚くからである。
若し僕に其の手の嗜好があれば、連れ去る事だって容易だと思わせる危険な状況に頻繁に出喰わす。
そんな子に限って、着せ替え人形みたいな服を着せられ、
多分名前も爺さん婆さんに成る事まで考えられていない名前を着けられているに違いない。
親に成っている連中に云いたい。
「ペットや無いで?」
帰巣本能だとかで好いんだろうか…
ガキの為に生きている親が一体何れだけいるのか、頸をかしげざるを得ない。
どうも、我がの為のガキと云うか、「子供の為」とか言いたがる、
親の愛情とか云う定義の為、即ち自己満足を満たす為にガキを利用しているだけじゃ無いんだろうか?
「子供の為」と云う言葉で、親たる自分に陶酔している風に見えて仕方が無い。
 そんな事より、性癖に正常異常があるんだろうか?
確かに、世相は強者はより強者に、弱者はより弱者である。
だから、ある意味幼児性愛もその一端を担って仕舞っている側面はあるに相違ない。
が、其れだけでは無いと思う。
金さえあれば、他人の目に触れる事無く、豪邸で買って来た子供を飼う事も出来よう。
然し、金が無いと…
臭い物には蓋でも構わないんだが、幼児性愛を持ってしまった人の性欲に罪はあるんだろうか?
種は、植え付ける母体に若さを求める事は不思議では無いだろう。
其れが母体には適さない処に迄至ってしまった奴が居るとて、別段無茶だとは思えない。
何より、多かれ少なかれ、誰にも何かしらの性癖はある筈だ。
其れをある程度健全に保つには、理性やモラルで押さえつける必要がある。
が、どうだ?
性的犯罪は増える一方なのに、女性の服装や意識は、セクシーだとか、エッチ云々だとか万年発情状態。
そんな物に辟易してしまっている男性諸氏も多かろう。
少なくとも実在する女性よりも、二次元の画にしか性的興奮を持てない男性も居られるのだ。
其れは「オタク」だの「キモい」で軽蔑している積りの女性を完全否定しているんである。
此れは同姓の男性側から云っても始まらない。
「モテナイ」奴の遠吠えに成ってしまうからだ。
女性は其れで好いんだろうか?
そろそろ女性が女性に厳しく成って欲しい。
無論、一部イカレタフェミニストでは無く、普通に羞恥心を持ち、健全に恋愛し結婚し、家庭を築きたい女性にこそだ。
母親やママで何が悪い?
「私は母親でありママだけど、一人の女なの…」
なんて、アホか?
一人の女なんかよりも、母親に成る事に誇りを持って欲しい。
哀しい哉、僕は「一人の女」的生き方は出来ても決して母親には成れない。
簡単な事だ。
母親に成る為には先ず、母体たるべきであり、臍出しなんて腹を冷やす格好は出来ない筈だ。
(…なんて書くと、少し古臭く、オトコ社会の都合善さで語っている風で不本意だが…)
僕が思うに、男女平等なんだろ?
少なくとも此れまでオトコは、格好好くも悪くも子供に背中を見せて来た。
特に息子は親父の背中を見て育って来た。
だから息子は親父に反発もし、反抗もし、闘って来たんである。
然し、オトコは既に其の役割を果たし終えた。
男女共同参画社会は素晴らしい。
なら、オンナも子に母親の背中を見せて子を育てるべきである。
母親の前に一人のオンナでは無く、オンナの前に一人の母親であることを弁えて欲しい。
そう云う事から始めるべきで、女性の得た権利で棄てられた穴は何で埋めるのか?等、
性癖を治す以前の、解決すべき問題が他にあると思うのは僕だけなんだろうか…
男女平等だとか理想論も飽くまで、功利的な大人の都合なんである。
短絡的な功利主義が続く限り、こんな類の事件は今後も無くならないだろう。

被害を受けるのは常に子供なんである。

大人の都合って言う、子供染みた逃げ口上を止めん限りはどうにも成らんに違いないと、
糞ガキ以下の僕は思う。
無論、僕にも何らかの性癖はある。
ただ、生活環境で変わる事も無い訳では無い。
異常性癖の裏には何かしら精神的な荒廃が無い訳では無い事もあるにはある。
そう云う奴にならない、成らせない社会作りこそ…とは思うんだが…

ま、それ以前に僕の性欲の希薄さこそ情けないばかりである。
別段、負け惜しみでも何でも無く、モテタク無い僕だから仕様は無いけど…
何となくあの生命力は羨ましい。
加害者になって世間に顔を晒される勇気すら無いや…

ただ、小林薫に死刑は罰には成らんだろう。
宅間と同様、死刑すら欲しがってしまう奴が現れている事。
何とも恐ろしくも哀しい世の中である。

今日もどうでもいい事。

2005-11-16 | Weblog
 先ずは、御結婚おめでとう御座います。
 
 そして、「良かったなぁ…」でもある。
僕も亦テレビを観る下世話な一般人に過ぎないが、インタビューを受ける連中に、
「良くもまぁ…」と、呆れた事の多かった。
失礼千万ではあるが、紀宮様は「美しい」か?「綺麗」か?
紀宮様の御結婚の一報の在った時、僕の素朴な感想は、安堵であった。
無論、昨日の様々な場面を見た後も同じである。
どう見積もっても、見た目は、御美しく無いし、御綺麗でも無い。
単刀直入に書こう。
「不細工である」
ま、美しいと心底思う人が居ない訳でも無いだろうから、
一概に言い切る訳には行かないが、其れは其れでマニアに相違無い。
車の中から御手を振られる御姿、先日の十二単も美しくは無かった。
寧ろ、鼻で笑って仕舞う始末で、気の毒にすら感じる程でもあった。

 然し、醜く無いのだ。
一連の流れの中、拝見する紀宮様、そして黒田さん、どちらも醜くは無い。
肉臭さが無いんである。
見た目こそ正直だが、その見た目の中に肉臭さを見せないんである。
紀宮様の姿勢、黒田さんの不器用さを隠さない佇まいは素晴らしい。
単に御育ちだとか軽薄な事で片付けたくは無い、セレブだとか謂われる連中には無い、謙虚な美しさが在った。
日本的高貴さ、所謂、セクシーだとか可愛いだとかを差し挟ませない美しさは確かに存在した。
内面だとか、そんな事では無い。
清々しく、自分を弁え、不必要な虚飾を嫌った御夫妻の在り方は美しい。
語られる御言葉の端々に、実に聞き心地の好い「日本語」が在る。
一生に一度の目出度い時なんだから無礼講的で軽佻浮薄な感覚を極力廃し、
一生に一度の目出度い時だからこそ、自分の身の丈にあった、寧ろ抑える方向へ持って行く御夫妻には、
僕等が失った主張を避ける日本人の美徳が在った。
努力では決して手に届くことの無い、生粋の潔さ。
聞けば、新婚旅行は国内らしいし、新居は1LDk、レンタル家具に、通販で購入した家電らしい。
出来過ぎと云うか、余りに演出され過ぎているとは思えなくも無いが、
此れも亦、新婚と云う未熟な結合体には丁度善いサイズである。
とは言え、何となく、この際紀宮様、いや黒田清子さんには弾けて欲しくもある。
自分の生き方は醜い癖に、皇室だけに日本人を押し付けた連中を幻滅させて貰いたくもある。
でも、恐らく出来ないだろう。
清子さんの茶髪なミニスカート、ボロボロデニムに臍ピアスなんて…
其れをして欲しくは無いのは此方側だろうし、其れを出来ないのは彼方側だろう。
然し、セレブだとか、上流と謂われている連中はどうだ?
裸同然のドレス、中途半端な主張、パパラッチに見せてしまう堕落し無さ…
少なくともそんな物が上品な事は無かろう。
本当の美しさ…なんてどちらだとかは解らない。
が、厳かと云う美徳は確実に在る。
僕はそんな日本人の卑屈な美しさが好きである。
そして、少子化を止める糸口は其処にあると常々思っている。
何でも遣ってみる…
じゃ無い。
余計な事(指輪の交換とかキャンドルサービスなんてのも)は控えてみる。
それだけだ。
皇室の方々こそ、最も異端な方々なんだろう…
ま、人権さえも無いから当然なんだが。

 さて、そんなご立派な御高説の後になんだが、社会にとって余計な存在は僕である。
今日も同居人を送り出した後、フラフラになりながら洗濯し、其れが終わるとテレビゲーム。
どうも、近頃FPSとかTPSばかり。
出てくる敵をヌッコロシ捲っているし、ヌッ殺され捲ってもいる。
勿論ネット対戦の勇気もカネも無く、只管機械相手に戦争三昧。
(次世代機の値段が下がった時を見計らう積りではいるが…)
どちらが面白いかの判断を下すには未だ早いが、スターウォーズバトルフロント。
先日届いた2をやってるんだが、どうもしっくり来ない。
1の時みたいな大雑把だからこその入り易さが無く、こだわった分小さく纏った気がする。
ま、楽しけりゃ其れで好いんだが…
 それより、一向におかしくならない。
確か、ゲームっておかしくなるんじゃ無かったっけ?
無論、GTAもやったが…
そう云えばPS2動かして無いなぁ…。
どうでもいいかぁ…

どう云う…

2005-11-15 | Weblog
 今朝のワイドショー。
先ず昨日書いた少年の事件、次いで霊園にあるお地蔵さんの頸落とし事件。
其の後に、紀宮様の御結婚。
失礼にも程がある。
無造作に転げ落ちたお地蔵さんの映像を流し続けた直後に、何故御目出度い話題を持って来られるのか、
マスコミってか、テレビ局、いやこの際名指しで書こう。
「テレ朝よ!頭がおかしいんちゃう?」
芸能人だとかの結婚ですら失礼な話だなぁと感じるのに、依りによって…
節操の無さは無論だが、疑わざるを得ない神経。
砕け転がり落ちる石像の後に、祝いの言葉だとか贈られる気分がどんな物か、贈る神経、配慮に欠けるとか以前の話である。
御目出度い話こそ冒頭に使うべきであり、然も皇室の話題なら、別枠別プログラムを組んで然るべきである。
 こんな頓珍漢な構成を見ると、おかしな事件を産む温床は、ワイドショーを造る連中の無神経さにもあるとさえ感じた僕である。
無論、その憤りが今朝も僕に酒を飲ませては呉れているので有難いが…
と、他人のせいにして自己正当化を云う僕は、ワイドショーよりも低俗なんである。
 まぁ、ワイドショーに限らず、テロ、グルメ、金儲け、格闘技、痴話話、精神的不健康なヘルシー志向…
何か、生々しい欲求不満を満たそうとする、エゴイズム丸出しな話題ばかり。
その実、一般社会には無機質さばかりが求められ、対話はディベート化するばかり。
本来、人間同士に「解りあう」なんて物は無いからこそ、何となく優しく居たい筈なのに、
解った風で居る為に、常に様々な肩書きやメンツ、屁理屈で自己正当化。
他人に優しくしたくても出来ない人は、只管手首に傷跡を描き続け、被害妄想に耽る日々。
他人の不理解ばかりを嘆いては、自己の理解力の無さを、見えない神棚にでも掲げ、
其れすらしない奴は、弱い奴を見つけ、少しでも自分を強い奴で居させる為に右に倣う。
僕もそうだった。
嘗ては周りに人が居た。
嘘ハッタリ、見栄を張り、虚勢を張って、無い事を有る事に摩り替え、流行に流れながら誤魔化していた。
無論、其の為に理由も無く弱い奴を虐めて居た。
然し、一旦そんな虚飾を棄てていくと、次第に人は居なくなった。
だからちっとも淋しく無い。
嘗ての僕の方が寂しかった。
そして、僕はしっかりと後悔している。
僕の虐めた御仁が、其の頃の傷の痛みを怨みに換えて、復讐と云う凶器で僕の背中を刺したとて当然だと思う。
僕に彼等の人生を狂わせる資格は無かったし、今も無い。
本当に申し訳なく思っている。
其れでも、勇気が無い。
言い訳ばかりである。
今直ぐ、彼等に土下座行脚をすれば善いんだろうが、勇気が無い。
ただ、惨めに生きていく道を棄てないで居る事。
其れだけが僕の下らない自己満足でしかない罪滅ぼしだ。
 と、まぁ酒に頼って書いている時点で嘘だろう。
所詮そんな下らん奴なんである。
ただ、人間三人寄れば、虐めの始まり。
そう云う醜い生き物なんである。
 僕に友達の居ない理由、要らない理由は、弱い自分をこれ以上卑怯な奴にしたく無いからである。
人脈とか云う便利な熟語を見ると反吐が出ちまう。
他人を便利に利用する為の詭弁じゃ無いか?
って、遠吠えているに過ぎないが…
そして、反響するのは、貴様は一体どう云う積りだ?
ってな、内なる自分の情けない独り言である。
 さて、泥酔状態が切れそうなので此れにて失敬。
はぁ…
溜息だけは上手くなるなぁ。
酒臭いんだろうけど…

僕がおかしいに違いない。

2005-11-14 | Weblog
 勤務中の乗務員室に息子を連れ込んだ運転士。
話題にする以前の問題だと思うのは僕だけなんだろうか。
鉄道会社の下した判断に挟む余地なぞ無い筈なんだが…。
熱し易く冷め易い世相の為せる業なんだろうか…。
多数の命を預かる身に公は在っても私は無い。
友達親子とか、歪でけじめの無い関係を持て囃す感覚が狂ってる。
そもそも、子供が乗務員なのか?
解雇が妥当。
単に其れだけの話であって、あの尼崎の事故を忘れたんだろう。
物忘れが余りに激しい。
運転士はプロであり、父親は教育のプロである。
嫁や子を自分の運転する電車に乗せるのなら、泣き喚かせない教育を経た後が当然である。
仕事をする格好善い父親であれば,其の背中を見せるだけで、子供は黙って敬意を抱くもんだ。
 少なくとも、其の電車で酷い事故の起こらなかった事が幸いだ。
若し、其のガキに気を取られた余り、大事故が起きていたら、其のガキの精神的ショックは計り知れない。
大量虐殺者に成ってしまったかも知れないんだから…。

 そんな事より、もう一つの事件が気になる。
同級生を殺した少年の事件。
云うに及ばず、殺した少年は悪い。
どんな理由があるにせよ、殺される理由なんてのは中々無い。
(少女が誰かを殺したのであれば話は別だが、そんな事は無いだろう…)
ただ、マスコミは殊更、殺された人を善人にしたがり、殺した奴を悪人にしたがる。
その癖、殺された人の必要以上の情報を垂れ流す。
殺された少女の生前の家庭用ビデオの映像に、なんの意味があるんだろう?
加害少年はAだろうし、被害者をBにすると、其処に人が存在し難い感じは否めず、
伝える側として不本意なのは理解出来る。
が、被害者の氏名以上の情報を垂れ流すのは、何となく死人に鞭打つ感じがするのは僕だけなんだろうか?
ま、其れは常に謂われている、事件に於けるプライバシーの問題で聞き飽きているんで止めたい。
其れより、少年を異常者の様に云う一つの理由に疑問を抱く。
殺して仕舞ったんだから、彼が異常なのは異論は無い。
ただ「一方的な思い」って言葉が僕には引っ掛かる。
此れは忘れた頃に起こるストーカー事件に於いても感じるんだが、
「一方的な思い」は否定されるべきなんだろうか?
「一方的な思い無しに恋をした人が居るのなら、僕に是非ご一報下さい」
と問いたくなる。
しつこく云うが、だからと云って、傷付いたから殺して善いなんて積もりは更々無い。
でも、殊更「一方的な思い」を連呼され、其れが異常だと謂わんばかりの論調は僕の理解力の埒を越える。
恋が一方的であるから、愛が問われ、苦しむんである。
恋愛観について書く積りが無く、それ以上に疑問があるから止めるが、恋はしちゃ駄目らしい。
 何より一番疑問なのが、思春期の頃、そんなに感情の制御が出来ていたのかが不思議なんである。
少なくとも僕は、あらゆる感情を持て余していたし、今よりもっと傷付きやすかった記憶がある。
ありとあらゆる事に影響され、感化され、常に何かを夢見ながら自分を見失ってばかりいた。
一度恋をしてしまうと、どんな時も熱病に魘されているかの様で、虚ろで浮かれ、恋の対象たる「あのコ」の事が気になって仕様の無かった記憶がある。
もう恋なんてしないと云って仕舞える今の僕には、美しくも恥ずかしく、懐かしいあの感覚。
肯定はしたくても、絶対に否定したく無い、青白く光る思い出。
其れすら異常だと云うんだろうか…
青春だとか云う言葉はもう過去の幻想に違いない。
歪んで見えるのは、少年の心よりも、寧ろ大人側の忘れ易い独善的な視点、而も、偽善のフィルタを通した眼球が歪んでいるだけ。
歪んでいるのは少年じゃ無い。
歪んでいる大人の心の眼だ。
とは言え確かに、少年は歪んでいる。
が、歪ませているのは何なのか?
自覚の無い大人達の心に問いたい。
子供は真っ直ぐな生き物なんである。
好き好んで曲がろうなんて、其れは一握りの天才だけであって、殆どは真っ直ぐなんである。
子供は太陽、なんて都合の善い言葉を使いたがるのは大人であるけれど、
実際、太陽で有るべきなのは、大人なんである。
其れだのに子供達の眼球を曇らせて仕舞っている。
其れは、大人が太陽で居ようとせず、自己都合の雲、屁理屈の雲で自らを覆い隠しているからだ。
大人と云う太陽を頼りに背を伸ばすのが子供。
皆りっぱなんだなぁ…
少なくとも僕は太陽になれやしないからガキは要らないし、作らない努力はしている。
右手の代わりに膣を使わない。

でも、そう云う僕は、おかしいんだろう。
だって、友達がいないしね?… 

ちぇーっすとぉぉおおおっ!

2005-11-11 | Weblog
 タイトルに意味は無い。
ただ、毎晩見ている空手バカ一代から頂いた。
昭和と云うか、たまに出喰わす梶原作品にはお手上げな僕である。
流行のお笑いやコントなぞより、沢山の「なんでやねん!」を頂ける。
きっとリアルタイムで観ていたら、こんな風な観方は出来なかったろう。
まぁ、其れが幸か不幸かの答えは出せないんだが…
何となく醒めた眼で見る卑怯さと云うか、社会全般に拡がるニヒリスティックな感じは好きでは無い。
寧ろ、熱い奴だとか、暑苦しい奴が羨ましい。
僕には出来そうに無いし、成れそうに無いから。
単に其れだけではある。
無根拠な自己を、何故其処まで正当化し、神聖化出来るのかが理解に苦しむ分、
僕の殻を覆しても呉れるので、何となく認めざるを得ん訳だ。
だから、例えばタイゾー議員なんてのも、素直に「凄いなぁ…」と指を咥えて観てしまう僕である。
とは書きつつ、絶対に関わり合いだけは持ちたく無いとも思う。
あんな自己顕示欲は手に負えない。
「君も頑張りたまえ!」
なんて肩を叩かれでもしたら、肩甲骨は砕け、腰骨から崩れ落ちるに違いない。

 ま、そんな事より、近頃妙に主張めいているのが不本意なのと、
何故か、自分だけのアクセス数とは思えない数字があったりするのが恐ろしくなった。
他人と関わり合う自信の無い僕。
殆ど恋愛感情の失せたが故に、彼女との生活に何となく苦痛が無い自分の卑怯さと、
出来てしまうからが故の、出来損ないの専業主夫状態。
無論、彼女自身の借金の返済と、僕の肩代わりした分が返されれば止める積もりでは居る。
最も信用に価しない僕を信用してしまった彼女を、以前の様に、社会の陰部に逃げながら、満足出来ない慢心で繋いで置くより、
少なくとも、生活基盤を支える為、昼間世界の真っ当な稼ぎで彼女自身の背骨で生きる方が善い筈。
其れは僕の独善に過ぎないが、人間、悪事を働く事より善行に徹する方が、実際のところ楽なんである。
確かに、背徳心の甘さは、中に居る間はしんどくない。
が、一旦自覚し、抜け出したくなった時、脱出が上手く行かない訳で、堕ちる事に思いの外、精神力を費やした事を、逆に思い知る訳である。
無論、僕の飲酒の止められないのも同じだ。
肉体的にも精神的にも、飲酒前の僕の方が、遥かに楽だった。
酒は脳を蝕むと云う。
近頃、年齢以上に物忘れが激しい。
それだのに、抜け出せやしないし、抜け出そうともしちゃ居ない。
だけど、僕は善行に徹する強さや甘さは無い。
自分を壊しながらでしかバランスを保てない、現代人の情け無い性とか云う、定義にも如かない思い込みに逃げても居る。

 少なくとも、人並みな性欲さえあれば、此の自由な時間、人を求める事は出来るんだろう。
が、僕には其れが無い。
簡単に云えば、セックスの後の申し訳無さより、マスターベーションの後の虚しさの方が楽。
その時点で、僕は既に人間以前に、動物失格なんである。
子供の頃には、確か、友人は居た筈なのに、歳を追う毎に知人しか居なくなったのも不思議では無い。
「勿体無いなぁ…」
なんて謂われるけど、僕にはどう仕様も無い。
僕には己惚れられる才能とか云う何も無い。
ただ、多分、見た目だけは何となく…
それだって邪魔で、誰が見ても、先ず「キモっ!」と引かれたい。
とは云いつつ、今日の夕餉のお買い物ですら外出も、其れなりに身を窶してしまう。
そして、行き交う見ず知らずの女性の視線よりも、
「にーちゃん男前やなぁ…」
との同姓のおっちゃんの、特段計算の無い一言に気を善くしてしまう目出度い僕。
未だそんな莫迦げた思い込みさえ存在する僕は、世界を悲観しちゃ居ないと感じる。
でも、活かせないし、己惚れきれないんだから、最悪なんである。
人はナルシストでなければならないのに、僕には足りない。
そんな時、僕は僕に鉄拳制裁加えたくなる。
 
「ちぇーっすとぉぉおおお!!」

 ってか、こんなもん読んで呉れるなよ…悪趣味やで。
世の中もっと生きる為に便利な情報はあるんだから。
こんなん僕の露出趣味な自慰行為やで?
せやけど、まぁ莫迦にするんやったらこっそり…。

とか、まるで読んで欲しいみたいになってしまうのが情報社会の嘘ではあるんだが…
兎に角、誰かが読んでいるとか思うと怖いんである。

さて、お洗濯に戻ろう。
二層式の古い奴なので面倒臭いんである。

僕も亦…

2005-11-10 | Weblog
 怒りや憤りよりも、侘しくなったり寂しくなる気のする事件が多い。
余りにも激しい自己軽視に情けなくもなったりする。

画面から出てくる人。
肩書きとか、単に脳みその肩幅ばかりデカクなった、自称スペッシャルなアメリカ帰りな人、
本業とは掛け離れた埒外な事に、したり顔な自称有識者な人、
芸の無い芸人、詩にも満たない歌詞で言葉遊んでいる唄い屋に共感したがる人、
イマイチ善く解らないセレブだとか、見下している癖に「様」付けな外人芸能人だとか…
陳腐も亦、寂しさ。

僕自身「寂しい」と云った途端、口の端から寂しさが成立しなくなりそうで、
本当に寂しいのは「寂しい」の一言すら発せない状況に居る人か、
若しくは、無自覚に寂しい生き方をしている人だろう。
そうとは知りつつ、何となく僕自身「寂しい」と云うのを憚ってしまう事が何より淋しい。
 こんな風に連日何かを書く事も、僕自身の寂しさから起こっているに違いない。
これもまた無自覚の寂しさなんだろうか。
僕も最近は、感性の浪費、感覚の鈍化を「経験」の二文字に摩り替える俗物に成り果ててしまっている気もしないではない。
だからこそ、こう云った青い呟きを外に発する事は大目に見てやって欲しい。
情けないが、僕にだって忌まわしい自己顕示欲がある。
寧ろ其れだけなのかも知れないと云えなくも無い訳で…。
 確かに敗北者である為(敢えて強がって云えば)の朝からの飲酒ではある。
無論自己満足である。
が、度を越した精神的苦痛を蒙らない限り、自分は自分なんである。
こんなの僕じゃないって思う、こんなのも自分なんである。
同居人よりも早くに寝床から出でて、彼女の昼食を作り、珈琲を煎れ、茶をペットボトルに用意し、笑顔で送り出す事は苦痛ではない。
ただ、其れだけに充足感は無いし、僕にはもう少し何かが足りない。
多分、自分の為に生きる事の大変さを、他人の為に生きる楽さに変えているからだろう。
僕は僕でありたい。
だからこそ、肩書きも役割も理屈も要らない。
生年月日以外の履歴は必要すら無い。
「何を遣ってる人?」と聞かれれば、躊躇いも無く「僕」と応えたい。
が、そんな強さは無い。
だからきっと寂しいんだと思う。
今の社会は寂しさばかりが満ち溢れている。
自ら火葬場で死ぬ人迄出現してしまった。
何でこんなに寂しいんだろう…

それだのに、僕は
「寂しくなんて無い」
と、粋がって仕舞う淋しい人間だ。
余りに下らなくて駄落しない弱い奴だ。
そろそろニートだとかの定義からも外して貰える。
何となく、それだけが嬉しい。

明日に無責任な希望なんて見え無いけど…

非行や不良って…

2005-11-09 | Weblog
 犯罪の低年齢化だとか、若年層の事件ばかりを槍玉に挙げてばかり。
まるで、少年少女達だけがおかしくなっているかの様な発言にうんざりする。
其の度毎に、インターネットやゲームはスケープゴート。
短絡的なのは寧ろ、所謂「大人」の立場に立って居る人である。
少年から短絡性を抜き取ると、其れはもう若さを奪い去る以外に無い。
安直に物分り好さ気、でも、時流に流れる世間知に長けた即戦力ばかりを欲しがり、
育てる事を放棄した大人が、ただ「理解出来ない」を理由に、
少年法を盾にした少年達の狡さを責めるのは、お門違いでは無いだろうか?
多数決と云う、民主主義の原理ばかりを取り上げ、
少数意見にこそ耳を傾けると云う、民主主義の理念を削って来た事も一因ではあろう。
然し、そんな左翼的な理想論だけではもう、どう仕様も無い処にまで来ている。
「みんな遣ってるじゃないか?」
は、少年達よりも、大人と謂われる方々から耳にする事の多い気がするのは僕だけなんだろうか?
法治国家故の弊害なんだろうが、モラルだとかマナーと云う、実は合理的且つ楽な方法を蔑ろにし、
自由を謳歌している積もりで、不自由を招き、結局違法に因る罰を科せられる。
法に縛られなければ自制も効かないなんて、余りに阿呆らしい。
 法の厳罰化の効果は余り無いとか謂われるが、果たしてそうなんだろうか?
確かに、少年法には余り効果は無いだろうが、大人達に対しては効果があると、僕は思う。
もう、目に余るマナー違反も、厳罰化させてしまえば善い。
犯罪其の物に対する厳罰化以前に、犯罪を呼び込む行為にも罰則を与えれば善い。
歩行喫煙、放置や歩行者無視の自転車、場を弁えない携帯電話等々…
既に、治安維持法みたいな強権的な悪法を用いなければなるまい。
例えば個人の正義感から注意を促した処で、
「お前は何の権限があってそんな事を言う?」
だとか「お前に謂われる筋合いは無い」だとか、少年より幼稚な反論で、
ヒステリックに逆切れされ、挙句暴力まで蒙ってしまう。
人間、自分に非が無ければ、常に冷静で居られるんである。
激情に任せて興奮するのは、自分の非のある事を隠すため、逆に非を顕している阿呆丸出しの行動である。
その阿呆丸出しの自覚すら無いのが大人、いや社会人なんだろうか?
特に、僕の住む大阪は其れが甚だ目立つ。
僕はそんな大阪の卑しい気質が大嫌いだ。
経済的成功の為の想像力を優先し過ぎて、当たり前の想像力や知識が欠如している。
歩道は、歩く道と書いて、歩道なんである。
少なくとも、自転車に乗っている人間は、車両に乗っている自覚をすべきである。
道路交通法の下に走らせて居るんである。
自転車に乗る権利はある。
が、歩行者の歩行を妨げる資格は無い。
喫煙の自由は権利ではある。
が、吸わない赤の他人に副流煙を吸わせる資格は無い。
簡単な事だ。
僕は、社会人たる自覚は無い。
そんなに立派では無いし、軽蔑されるべき生き方をしている。
そんな僕ですら、タバコは外に持っては行かないし、自転車は車道を走る。
何故なら、見ず知らずの人を肺癌にしたくは無いし、火傷をさせ治療費を請求されたくないからであり、
車道を走って居れば、弱者で居られるからである。

 少年の非行化不良化を云う前に、大人の小さな無自覚で情けない不良化非行化こそ嘆くべきでは無いんだろうか?
取り敢えず、少年達を理解出来ないのなら、先ず「手本に出来る大人はいますか?」と聞いて欲しい。
頑固さの使い道を誤った大人にそんな人は中々居ないだろうし、模倣こそ生きる手段の大きな部分を占める。
手本を失った彼等を理解しようなんて、気を違えた行為としか思えない。
でも、手本は居るんである。
子供は大人を映した鏡なんである。

少しの我慢こそ社会性じゃ無かったっけ?
と感じる、社会に馴染めない僕である。
美徳は一銭にもならないから置き去りにされても仕様は無いけど、
其の内、一銭以上の損をするに違いない。
美徳を失った大人に子供を育てられる筈は無いんだから…