GAOの隠れ処「ムンダナ」

都内のアマチュアオーケストラでVnとVaを弾いているGAOの、音楽を中心とした関心事についてのあれこれ

青葉城址

2011-02-16 23:59:57 | 日記
今日(2/16)は、仙台に日帰り出張であった。
用務先の東北大学には午後から伺えばよかったので、午前中早い時間に仙台入りし、
仙台には何度も足を運びながら一度も訪ねたことのなかった青葉城址まで散策した。

仙台駅から西に向かって伸びる青葉通りを1キロほど歩くと、右手に晩翠草堂を見つけた。
ここは仙台が生んだ詩人土井晩翠がその晩年を過ごした家で、1945年7月の仙台大空襲で
屋敷と蔵書を焼かれてしまった晩翠を慰めようと、教え子や市民が建てたものだそうだ。
晩翠は亡くなるまでここで暮らしていたそうで、その落ち着いたたたずまいの草堂内部は
晩翠の生前のままの状態で保存し展示されているのである。
この屋敷の通りに面して「天地有情」と刻まれた石碑が立っている。
晩翠の出世作となった第一詩集の題名である。

晩翠草堂を後にしてさらに西進すると、広瀬川に突き当たる。
ここに大橋という橋がかかっているが、江戸の昔は青葉城とその城下を結ぶ橋でもあり、
番所が設けられ番人による通行の取り締まりが行われていたそうな。
橋を渡って坂を上ったところに青葉城の大手門があったというから、広瀬川は城にとって
天然のお堀として重要な機能を持っていたことが容易に想像される。
そして、この橋のたもとには、ポルトガル人神父と日本人キリシタンが殉教したとされる
「仙台キリシタン殉教の碑」なるものがある。
踏絵に代表されるキリスト教徒迫害の時代に、ここでもキリシタンが冬の広瀬川に浸され
水責めの拷問を受け殉教するという事件があり、碑はその残酷で悲しい記憶を留めている。

広瀬川といえば、かつて、さとう宗幸さんが♪広瀬川、流れる岸辺♪と歌っていた
「青葉城恋唄」の最初のフレーズを思い出すが、あの歌詞のイメージは実際の風景と
それほど違和感がないように感じた。
仙台駅から距離にして2キロも離れていないのに、のどかでどことなくひっそりしている。
杜の都といわれる所以か。



大橋を渡ると、左右に博物館やら国際センターなる建物が展開しているが、
道はやや急な坂道となって、青葉城の顔ともいうべき大手門跡へと続く。
よく観光パンフレットなどで目にする写真の建物は、大手門の左脇に建っていた
“脇櫓”で、1967年に大手門とともに焼失したものをこの櫓だけを復元したそうな。
大手門跡のこの場所は、左折すると本丸、直進すると東北大学川内キャンパスに
分岐する交差点となっている。

“脇櫓”をしげしげとながめた後、進路を左にとって本丸へと登っていく。
道路脇の歩道は立派な杉の木立を縫っていくように蛇行していたりして良い感じ。
途中の中門跡とされる部分は、石垣が鉤状に対峙しており、それにそって道路が
窮屈そうなS字を描いて蛇行している。
車は減速して対向車や歩行者に注意して走行しなくてはならない謂わば交通の難所だが、
かつて外敵の進行を妨げたであろう城郭がしのばれて、なにやら微笑ましい気がした。
坂道はさらに傾斜を急にして蛇行するが、突然、目の前に高い石垣に壁が現れる。
これが本丸の北側の石垣である。
石垣のたもとの通路は日陰になっていて、残雪がアイスバーンのように固まっているので、
ビジネスシューズの私は、坂を登る間、滑らぬよう細心の注意を払わねばならなかった。



青葉城本丸は見晴らしの良い広場となっていた。
仙台の街を一望するこの場所に、かの伊達政宗公が馬に跨る「政宗公騎馬像」がある。
この本丸からは、仙台市街のその向こうに太平洋を望むことができるが、騎馬に跨る
政宗公の視線は、遠く太平洋を眺めているようである。
水平線を眺望するというのは、それだけで気分がでかくなった気になるから不思議。
大海はロマンだな〜、などと悦に入ってしまうのであった。

さて、本丸で仙台市街のパノラマを満喫した後は、来た道をそのまま戻る。
仙台駅へと向かう途中、牛タン屋さんで定食を注文、タンシチューに牛タン、
麦飯とテールスープを美味しくいただいた。

そして午後から、仙台駅で職場の同僚と待合せて、東北大学での用務に向かったのである。

・・・

東北大学での用務が終わってからは、まだプライベートな用事が残っていた。
同期入社のI君が、ここ仙台の東北支店(現在私は別会社に出向中だが)で勤務している。
彼は福島は会津地方の出身で、その勤勉で実直な仕事ぶりは誰からも一目置かれていて、
信頼度も厚く、私が尊敬し模範とする業界人の一人でもある。
そのI君と数年ぶりで杯を交わすというのが、プライベートでの大事な用事であった。
仕事の話、家族の話、最近考えたり感じたりしたことなど、話は尽きることを知らず、
また、最近結婚した彼の奥様が声楽を専攻した音楽家だということが判明するに至り、
互いに音楽家の女房を持ったという共通の話題で時の過ぎるのも忘れてしまった。
結局、東京行き最終の“やまびこ”にギリギリのところで飛び乗ったのであった。
I君と話したひと時でなんだか心が洗われた気分になって、同期ってのはいいな〜と、
つくづく思ったもの。

ところで、仙台出張における私のもっともっと重要なミッションはほかにあったのだ。
東北大学での用務や青葉城散策、I君とのひと時よりも極めて重要なその任務とは、

・・・






女房への“牛タン弁当” の土産である。








仙台駅の駅弁コーナーでたまたま選んだこの“牛タン弁当”。
何やら容器からヒモが伸びていたので「このヒモ、何か意味あるんですか?」と尋ねると、
店員さんが「このヒモをひっぱると容器が発熱して、温かく召し上がれます。」とのこと。
ヒモを引くだけで温まる加熱式容器で、柔らかい牛タンと温かい麦めしが味わえる一品だ。
今、ウィンタースクールで留守の娘は味わえないが、女房も息子も喜ぶはず


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キーワード
ウィンタース テールスープ 青葉城恋唄 さとう宗幸 1945年
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コメント

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たまには (チェロ好き)
2011-06-28 02:14:22
たまには、更新しろよ。
お互い、子育て世代、急がしいだろうけど。
ところで、
岸GI、内MI、野ZAKI,たち、みんな元気かなあ?。セージのこともこの間、思い出した。
うちの会社は大変だけど、とりあえず、まったく変わらず仕事してる。たぶん、変わるのは、1年後。

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