ローマ法王、病状が悪化と報道官、重大局面か
バチカン市国――ローマ法王庁は4月1日、法王ヨハネ・パウロ2世(84)の容体について、「深刻」な状態にあると述べた。今年2月のインフルエンザ感染で表面化した法王の疾病で、法王庁が「深刻」との表現を用いたのは初めて。
法王はここ数年、パーキンソン病を患い、歩行などが不自由になっていた。
バチカンのラジオ放送は、昏睡(こんすい)状態に陥っている可能性がある、と伝えた。法王庁の報道官は直後に、この報道を否定。心臓発作を起こしたとの情報も打ち消した。しかし、心臓、腎臓などの機能が低下していると指摘、末期の状態に近付いていることを示唆した。 (以下略)
ローマ法王が重篤となり、世界中が今バチカンに注視しています。ある人にとっては心の支え、またある人にとっては旧弊の象徴、おそらく世界で最もその挙動が注目されている人の一人でしょう。
おそらく今後世界中で、また様々なブログで彼について書かれるでしょうが、当ブログではローマ教皇の歴史について述べたいと思います。
ローマがキリスト教にとって重要な位置を占めるようになった理由は、イエスから今後を委託されたペテロがローマで殉教したことから始まります。当時ローマ帝国ではキリスト教は排斥の対象でしたが、信者は地下墓地(カタコンベ)などで密かに信仰を守り、313年に信仰の自由が認められ、そしてついに380年ローマはキリスト教を国教とします。
その時はまだローマは五本山と呼ばれる5大司教の1つでしたが、有力な地位にあったコンスタンティノープル大司教区がイスラームの勢力下に入り、ローマがキリスト教の総本山として確立しました。その後教皇は世俗にも介入し、その影響力をもとに1095年ウルバヌス2世による第1回十時軍派遣決定を嚆矢として数回にわたる十字軍をイスラームに送り込みました。13世紀にはいるとインノケンティス3世は「教皇は太陽 皇帝は月」と呼ばれるほどの権威を手中にし、教皇権力は絶頂期を迎えます。
しかし次第に神聖ローマ(ドイツ)やフランスが力をつけ教皇と対立するようになり、神聖ローマ皇帝によるイタリア介入は常態化し、そしてついにフランス王フィリップ4世が教皇ボニファティウス8世を幽閉します(アナーニ事件。教皇は憤死)。そしてさらにフィリップ4世は1308年、教皇をフランスのアヴィニョンに移します。それに対抗したローマは新たに教皇を立てたことによりキリスト教世界が2つに分かれ(教会大分裂または大シスマ)、教皇権力は急速に衰えていきます。大分裂は1417年に再びローマに統一されます。
しかし16世紀に入るとルターに始まる宗教改革が起こり、キリスト教世界はローマを中心とするカトリックとそれに対抗するプロテスタントとに分かれ、キリスト教世界における影響力も減少しました。加えてその手中に持っていた権威もナポレオンなどときの政治権力者に利用され、昔日の栄光見る影もなくなります。わずかに残ったローマ法王の所有地である教皇領も19世紀に始まるイタリアの統一運動と第一次大戦後に現れたムッソリーニによりバチカンのみとなります。
戦後はカトリック首座として世界平和の確立に尽力し、とくに現教皇ヨハネ・パウロ2世はギリシア正教会や東方教会などの他派、キューバなどの社会主義国とも対話を重ねて平和を訴えておりました。
今後もしものことがあった場合どうなるかは、毎日新聞に詳細があるのでそちらを参照下さい。
バチカン市国――ローマ法王庁は4月1日、法王ヨハネ・パウロ2世(84)の容体について、「深刻」な状態にあると述べた。今年2月のインフルエンザ感染で表面化した法王の疾病で、法王庁が「深刻」との表現を用いたのは初めて。
法王はここ数年、パーキンソン病を患い、歩行などが不自由になっていた。
バチカンのラジオ放送は、昏睡(こんすい)状態に陥っている可能性がある、と伝えた。法王庁の報道官は直後に、この報道を否定。心臓発作を起こしたとの情報も打ち消した。しかし、心臓、腎臓などの機能が低下していると指摘、末期の状態に近付いていることを示唆した。 (以下略)
ローマ法王が重篤となり、世界中が今バチカンに注視しています。ある人にとっては心の支え、またある人にとっては旧弊の象徴、おそらく世界で最もその挙動が注目されている人の一人でしょう。
おそらく今後世界中で、また様々なブログで彼について書かれるでしょうが、当ブログではローマ教皇の歴史について述べたいと思います。
ローマがキリスト教にとって重要な位置を占めるようになった理由は、イエスから今後を委託されたペテロがローマで殉教したことから始まります。当時ローマ帝国ではキリスト教は排斥の対象でしたが、信者は地下墓地(カタコンベ)などで密かに信仰を守り、313年に信仰の自由が認められ、そしてついに380年ローマはキリスト教を国教とします。
その時はまだローマは五本山と呼ばれる5大司教の1つでしたが、有力な地位にあったコンスタンティノープル大司教区がイスラームの勢力下に入り、ローマがキリスト教の総本山として確立しました。その後教皇は世俗にも介入し、その影響力をもとに1095年ウルバヌス2世による第1回十時軍派遣決定を嚆矢として数回にわたる十字軍をイスラームに送り込みました。13世紀にはいるとインノケンティス3世は「教皇は太陽 皇帝は月」と呼ばれるほどの権威を手中にし、教皇権力は絶頂期を迎えます。
しかし次第に神聖ローマ(ドイツ)やフランスが力をつけ教皇と対立するようになり、神聖ローマ皇帝によるイタリア介入は常態化し、そしてついにフランス王フィリップ4世が教皇ボニファティウス8世を幽閉します(アナーニ事件。教皇は憤死)。そしてさらにフィリップ4世は1308年、教皇をフランスのアヴィニョンに移します。それに対抗したローマは新たに教皇を立てたことによりキリスト教世界が2つに分かれ(教会大分裂または大シスマ)、教皇権力は急速に衰えていきます。大分裂は1417年に再びローマに統一されます。
しかし16世紀に入るとルターに始まる宗教改革が起こり、キリスト教世界はローマを中心とするカトリックとそれに対抗するプロテスタントとに分かれ、キリスト教世界における影響力も減少しました。加えてその手中に持っていた権威もナポレオンなどときの政治権力者に利用され、昔日の栄光見る影もなくなります。わずかに残ったローマ法王の所有地である教皇領も19世紀に始まるイタリアの統一運動と第一次大戦後に現れたムッソリーニによりバチカンのみとなります。
戦後はカトリック首座として世界平和の確立に尽力し、とくに現教皇ヨハネ・パウロ2世はギリシア正教会や東方教会などの他派、キューバなどの社会主義国とも対話を重ねて平和を訴えておりました。
今後もしものことがあった場合どうなるかは、毎日新聞に詳細があるのでそちらを参照下さい。
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