学校に言論の自由を求めて!

東京都教育委員会の「職員会議で挙手・採決禁止」通知に、たった一人異議申し立てした元三鷹高校校長の土肥信雄先生を支援します

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西原博史教授「鑑定意見書」(前半)

2010-03-15 23:46:32 | 裁判資料
東京地方裁判所民事第19部 御中

鑑定意見書:

教育委員会による学校行政上の措置は、どこまで校長の基本的人権としての表現の自由と、学校運営ならびに職員監督上の職務権限を制約し得るか 2010年3月xx日

早稲田大学教授
西原 博史

目 次

1.はじめに

2.原告校長の表現の自由に対する侵害
 2.1 原告に対する不合格処分が校長在職時の原告の表現行為を原因としていたことによる表現の自由侵害
  2.1.1 職員会議の挙手・採決禁止に対する問題提起を行ったことに対する不利な評価と表現の自由
  2.1.2 「C、D評価は20パーセント以上となる旨の指導」に関する情報発信を行ったことに対する不利益な評価と表現の自由
 2.2 原告による「C、D評価は20パーセント以上となる旨の指導」に関する情報発信に対する直接的抑圧行為による表現の自由侵害

3.原告校長の独立の職務権限に対する侵害
 3.1 国家機関相互の教育における権限の配分と校長の位置
 3.2 被告都教委の介入による原告校長の独立の職務権限の侵害
  3.2.1 職員会議における挙手・採決を禁止する旨の通知(訴状「第3」第2項目)
  3.2.2 教職員の業績評価に対する違法・不当な干渉(訴状「第3」第4項目)
  3.2.3 職務命令の強要(訴状「第3」第6項目)
  3.2.4 生徒の表現行為に対する検閲の強要(訴状「第3」第1項目)

4 おわりに


1.はじめに

 本件は、被告都教委による重層的な違憲・違法の権力行使を問題にした事例である。公立高等学校の組織・運営に関わる問題は、責任ある教育体制の構築に向けた地域のすべての人々が関係する公共的な論点であり、教育委員会および教育庁を構成する一部の人たちの個別利害と個人的な思い入れに基づいて恣意的に作り上げていっていいものではない。にもかかわらず、本件における被告東京都教育委員会(以下都教委)の実務は、あたかも、当事者による情報発信を封殺して情報隠蔽を図り、もって公的監視から免れた所で恣意的支配を貫徹しようとする姿勢を反映したものであるかのようにさえ見える。
 本件に関しては、現実に法的な問題を検討する場合、特に憲法上の観点から、次の二つの大きな論点を扱う必要がある。

①被告都教委が、憲法21条に直接反する形で、原告の表現行為を理由とする不利益取扱を行うことによって、原告の公的な表現を妨害した点。

②被告都教委が、教育基本法16条1項に禁じられた「不当な支配」を行い、学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)に違反して原告校長(当時。以下略)の独立の職務権限を侵し、もって健全な学校運営を妨害することを通じて間接的には生徒の憲法26条に保障された教育を受ける権利を侵害した点。

 教育行政のあり方をめぐっては、1960~70年代を中心に、様々な党派的な立場から論争の対象とされてきたが、その論点をめぐる正しい法解釈枠組の構築は、現在においてもなお道半ばにある。その過程において教育基本法が改正されてからも、まだ日も浅い。そして具体的には、校長の職務権限に対する教育委員会の直接的な妨害行為が裁判において問題にされたことは過去においてもあまり例を見ないことであり、教育委員会と校長の間の権限関係を正確に位置づけるという困難な課題を本件裁判において適正に遂行することは、今後に向けての先例的価値からいっても極めて重要である。
 こうした点から、本鑑定意見書は、上記法令の解釈に関して存在する理論的な混乱を整理し、本件事実関係を法的に評価する際に基軸となるべき枠組みを確認することを狙いとする。

2.原告校長の表現の自由に対する侵害

 憲法21条に保障された表現の自由という個人の基本的人権と、その主観的権利を保障することによって守られる自由で多元的な情報の流れは、公的な事項に関する民主的な運営を行う上で欠かすことのできない機軸である。公立高等学校の組織・運営は、生徒や親はもちろん、将来公立高等高校への進学を考える子どもやその親・親族を始め、将来において何らかの形で公立高等学校に関わる可能性のある者すべて、すなわち住民すべてが強い関心を有する公的な事項である。こうした問題に関し、合理的な決定が下されるように透明な決定手続が確保されているとともに、責任ある体制構築、必要な広く情報が社会において共有されていることは極めて重要である。
 もちろん、学校に関わる情報をすべて社会で共有することは可能でも適切でもない。子どものプライヴァシー事項を始め、場合によっては学校側の責任体制を構築する上で一時的に秘密にせざるを得ない事項など、情報の流れを遮断しなければならない場面はいくつも考えられる。しかし、例外的な領域において情報の秘匿性を確保しなければならない場面があるからといって、教育委員会による公式発表以外の情報ルートをすべて閉ざすような隠蔽工作が行われることが許されるわけでは決してない。情報の流れはあくまで原則的に自由であることが肝要であって、ただ必要な場合に必要な範囲で情報秘匿の可能な例外領域が認められるに過ぎない。これは行政組織内部においても、原則として変わるところとはない。
 本件において問題となった原告の表現活動は様々な点に及ぶが、代表的な関係として、本鑑定意見書では次の二つの情報に関わる場面を主として扱う。これは、他の表現抑圧が重要でないという意味ではないが、以下の二点が表現抑圧の目的・手段としての悪質性と反社会性という意味で際立っていることを理由とする。
 a.職員会議における挙手、採決禁止を求める通知の合理性と適法性に関する問題提起、
 b.概略「人事考課におけるC、D評価は20パーセント以上となる旨の指導が行われた」点に関する情報の社会的共有
これら二つの情報に関わる原告による表現行為が、被告の様々な実践によって妨害され、不利益付与の原因とされたことによって、原告の表現の自由は侵害されたことの意味は特に大きい。これは、明らかに原告の憲法上の権利を侵害する被告の違法な権力行使である。


2.1 原告に対する不合格処分が校長在職時の原告の表現行為を原因としていたことによる表現の自由侵害

 被告側準備書面(1)が容認するように、原告に対する平成20年度退職者非常勤教員採用選考における不合格決定(以下、「本件不合格処分」という)は、校長在職中における原告の表現活動を評価し、「職務遂行能力」や「組織支援力」なる評価基準との関係において原告に不利な人事決定の理由とするものであった。

2.1.1 職員会議の挙手・採決禁止に対する問題提起を行ったことに対する不利な評価と表現の自由

 この文脈における上記情報「a」、すなわち原告が職員会議における挙手、採決禁止を求める通知の合理性と適法性に関する問題提起を行った点を原告に不利な要素として考慮することは、人事決定において考慮すべきでない事項を考慮し、考慮すべき事項を十分に考慮しなかった違法を犯すものであり、それが表現抑圧としての意味を持つ限りにおいて、憲法21条に違反するものである。
 学校において校長がどのように教職員との間で学校運営方針を共有し、責任ある学校運営体制を構築しているのかという点は、常に社会の側から検証され、その体制の合理性を目指した不断の改善が行われていなければならない公共的な課題である。その場面において、被告都教委は、2006年(平成18年)4月13日の「学校経営の適正化について」という通知でもって、職員会議における一定の意思決定の意味を持った挙手、採決を禁止した。これが校長の「校務をつかさどる」権限に対する不当、違法な介入でないかどうかは、下記「2」で問題にするが、少なくともこうした通知を通じた学校運営方法の教育委員会による一律決定が合理性を欠くのではないかという疑念を持つことは、すべての国民に憲法上認められた自由(憲法19条、21条)に属する事柄である。
 その場面において原告は、実際に学校運営上の責任を負う者として、その通知が不当な形で校長の権限を妨げることがないよう発令機関である被告都教委の文書による公式回答を求めたわけであるが、それが満たされず、やむなく論点を社会的に共有して合理的な学校運営方法に関する民主的な討議が可能になるように、公の場における問題提起を開始したわけである。これはもちろん、一国民として保障された表現の自由の行使であり、それに対する公権力による不利益付与は許されない。
 この点被告は、あたかも本件不合格処分が人事に関わる資質評価の結果であって、表現の自由の抑圧とは無縁であると主張したいかのようである(被告側準備書面(1)50頁以下)。確かに形式上は、ここで問題となる挙手・採決禁止に関わる問題提起について、それを禁じる被告の明示的なルール設定は行われておらず、また当該言論を直接に処罰・懲戒の対象とする実務があったわけでもない。しかし、こうした事実関係から本件不合格処分のもつ表現抑圧的機能を等閑視し、憲法21条の問題から目を背けることは過度の形式主義であって、憲法解釈として正しいものではない。
 本件不合格処分が表現の自由侵害としての実質を持つことは、次の二つの観点において現れる。すなわち、①「被告都教委の意に添わない社会的発言をすると定年退職時における非常勤教員採用において不合格になる」という実務全体が生じさせる萎縮的効果と、その萎縮的効果に基づく表現の自由への抑圧機能であり、②原告本人との関係では、過去における表現の自由行使に対する制裁を別文脈で課されることによる――たとえて言えば労働基本権を行使したことによって人事上の不利益処遇を受ける、不当労働行為と侵害構造において類似した――強烈な人格侵害的な意味である。
 現代の民主制において、表現の自由は人権体系の中において優越的地位を享受するといわれることが多い(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法』〔第4版、岩波書店、2007年〕101頁、佐藤幸治『憲法』〔第3版、青林書院、1995年〕404頁、伊藤正己『憲法』〔第3版、弘文堂、1995年〕212頁、辻村みよ子『憲法』〔第3版、日本評論社、2008年〕166頁、ほか)。これは、一方において表現の自由が個人の自己実現にとって核となるような人格的利益に直接関わるものであると同時に、他方において民主制の運営において機軸となる情報の自由な流れを実現する機能を持つことから説明される(芦部・前掲書165頁における「自己実現の価値」と「自己統治の価値」の対比参照)。この観点は主に違憲性審査基準の決定に関わるが、表現の自由の保障が及ぶ範囲を特定する上でも一定の意味を持つ。本件はまさにこの両側面において表現の自由に対する実質的侵害が問題になる。
 ①の観点は、当事者を巻き込んだ公的な討議を本件不合格処分が現在および将来にわたって封じ込めることを問題にする。本件不合格処分は実質的には過去の言論活動に対する制裁としての意味を持つものであり、こうした人事決定にあたって過去の――内容面でいって都教委の意に添わないらしい――言論活動の実績が考慮されることになると、最も優れた情報発信の環境を有する者であっても、定年退職時における非常勤教員への応募可能性を考えると発言ができない関係になりかねない。表現の自由規制に対する文面審査アプローチにおいて「萎縮的効果」が常に問題にされるが、その核心にあるのは、公の討論の対象として共有されるべき情報が規制を受ける恐れによって封殺されることをどう防ぐかという問題意識である(この点に関する最近の包括的研究に、毛利透『表現の自由』〔岩波書店、2008年〕105頁以下)。こうした観点から考えた場合、本件不合格処分は、公共的な論点に関する当事者による問題提起という、最も貴重な情報インプットに対して、内容的な観点から後になっての不利益付与と結びつけるもので、一般的な効果として将来に対する強い萎縮的効果を発生させる性格のものである。その点において、被告都教委の意図と行為目的はともあれ、具体的な機能と意味において表現の自由に対して強度の制限を及ぼし、民主的な公的討議を歪曲するものである。
 そして、②の観点を意識した場合、原告本人にとっての意味という点においても、本件不合格処分は直接の懲戒等と等しい意味を持つものであり、表現の自由を行使することを通じて社会に働きかけ、自己実現を果たしたことを禁圧するものである。
 このように①および②の観点において本件不合格処分が表現の自由に対する制約としての実質を持つところ、そうした制約を正当化するような目的も被告都教委から示されていないし、また、特定の目的を達成するために本件不合格処分が唯一必要な規制手段であることも示されていない。実際、校長に対して学校運営のあり方に関する一般的な言論を禁止することにつき――具体的な個別の学校関係者のプライヴァシーや学校運営上秘匿すべき情報が問題になる場合を除いて――合理的な理由が成り立つ場面を想定するのは極めて困難である。学校運営の一般的ルールが人前では口にしてはいけないタブーになってしまったならば、民主的な学校運営は夢のまた夢であろうし、そこでは生徒・親に対する責任を十分に果たせる制度が構築されているとはとても評価されないだろう。実際、被告都教委といえども、本件の挙手、採決禁止に対する問題提起を特に問題視して懲戒や処分の対象にしてきたわけではない。そのこと自体が、対象となる言論が規制の許されない性質のものであることを現す。形を変えて人事評価の対象と位置づけることが論理的には形式上可能だからと言って、表現の自由侵害が表現の自由侵害でなくなるわけではない。
 そうした意味において、本件不合格処分を下す過程において、原告が校長在職当時に挙手、採決禁止の通知に対する社会的な問題提起を行ったことを原告に不利な判断・評価の材料として考慮することは許されず、にもかかわらず当該事実を考慮した本件不合格処分は適法なものではない。国家賠償法上も違法な原告の権利に対する直接の侵害を意味する。

2.1.2 「C、D評価は20パーセント以上となる旨の指導」に関する情報発信を行ったことに対する不利益な評価と表現の自由

 同様に、本件不合格処分の理由としての「職務遂行能力」評価と結びつけて、原告が校長在任中に教育委員会から「C、D評価は20パーセント以上となるように指導を受けた」旨の情報発信を行ったことを考慮している限りで、本件不合格処分は違法であるとの評価を免れない。この点も、校長在職当時の言論行為をもって定年退職時の非常勤教員採用を認めない理由とすることは、①公の討議において問題とされるべき論点に関して当事者からの情報発信に対して強い萎縮的効果を及ぼし、公の討議を歪曲する悪質な表現規制としての意味を持つものであり、②過去の表現行為に対して人事で報復するものであって、原告の人格を強く傷つけるものである、という二つの点において、重大な表現の自由侵害を構成する。
 ただ、挙手・採決禁止に関する問題提起にあっては、それが不適切である旨の特別な働きかけが行為時においては被告東京都教育委員から取り立ててなされなかったのに対して、C、D評価の比率に関する指導については、以下「2.2」で問題にするように、行為に直近する時期においてすでに服務事故としての扱いがなされており、校長の発言として不適切であるとする方向の被告都教委による働きかけが行われていた。その意味で、C、D評価の比率に関する原告の発信行為については、被告都教委として当該言論が何らかの保護を必要とする優越的な価値を守るために制約が必要だと認識していた可能性が残る。
 結論的には後述(2.2)のように、C、D評価の比率に関して原告が発信した情報に実質秘として保護に値する内容は存在せず、従って原告の表現の自由を制約するに足る十分な理由はない。むしろ、人事考課の制度を運用する被告都教委において、その説明責任の範囲において示された「絶対評価」という制度趣旨と、実際に評価者である校長に求められている相対評価的な運用との断絶を社会的に確認し、あるべき教員人事体制の責任ある運用に向けた公的コミュニケーションに資することを目的として原告校長の情報提供行為があるとするならば、それは一義的に民主的な行政監視に奉仕するものであり、積極的に評価されるべきものと位置づけられる。
 それに対して、本件不合格処分を決定するにあたっては、この表現行為が「職務遂行能力」に関する能力評価と結び付けられ、能力が低いことを示す事実として用いられた。これは、公的な責任を持つ人間として市民と情報を共有しながらあるべき学校運営のあり方を求める姿勢それ自体を「無能力」と決め付ける極めて偏った評価基準を用いるもので、それが表現の自由行使を人事上の低い評価と結びつける点において憲法21条に違反している。表現の自由を侵害しているあり方については、前記(2.1.1)の挙手・採決禁止への問題提起と同じことが妥当する。

2.2 原告による「C、D評価は20パーセント以上となる旨の指導」に関する情報発信に対する直接的抑圧行為による表現の自由侵害

 このC、D評価の比率に関する指導の公表に関しては、前述のように、平成20年8月27日に「事故報告書」が作成され、同年9月4日に「事情聴取」という名の査問叱責が行われた。それに基づいて直接の懲戒処分等は行われていないものの、一定の表現行為によって懲戒処分に前置される手続に服さしめ、行動の変更を生じさせようとする被告都教委の実務は、原告の表現の自由に対する直接の侵害を構成する。
 ここでは、被告都教委は、C、D評価の比率に関する情報が守秘義務事項であることを原告に納得させるべく指導したとする立場を採る(被告側準備書面(1)31頁以下)。ただ、この部分において被告都教委の説明には矛盾が見られる。教育委員会において一定の比率に向けたC、D評価に向けての指導が行われていないならば、原告の表現は全くの虚偽であって、虚偽である以上は守秘義務の対象ではあり得ない。ありもしない指導を原告が「ある」と対外的に発信しているのであれば、それだけで教育行政に対する信用失墜行為であろうし、直接に懲戒処分の対象とし得る状況のはずである。
 それに対して、C、D評価の比率を一定の線にして人事考課の報告書を作成するよう指導が行われているのならば、これは明らかに校長の学校運営上の権限に対する違法な介入であり、教育委員会としてあり得ない行為である。教育委員会による違法な働きかけがあったのであれば、それを秘密にしたい違法行為者の主観的な思いがどうあろうと、それは国民の目を欺く違法秘密の問題であって、形式秘の扱いをすることによって関係者の口を封じることが許される対象ではない。
 最高裁判所も、公務員法上の「秘密」との関係において、形式秘指定されているだけでは秘密としての保護の対象にはならず、実質的にも秘密にしなければならない必要性がなければならないものとしており、その限りにおいて秘密扱いすることによる情報の自由な流れからの特定情報の断絶が、個別的に正当化された場面でのみ許容され得る例外的事象であると捉えている。すなわち、「国家公務員法一〇〇条一項の文言及び趣旨を考慮すると、同条項にいう『秘密』であるためには、国家機関が単にある事項につき形式的に秘扱の指定をしただけでは足りず、右『秘密』とは、非公知の事項であつて、実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるものをいうと解すべき」(最判昭和52年12月19日刑集31巻7号1053頁。同旨、最判昭和53年5月31日刑集32巻3号457頁=外務省秘密漏洩事件)だとされている。
 そうである以上、問題となった情報が形式秘に該当していることを強調し、懲戒処分に至り得る手続の中に原告を服させて強度の心理的緊張状態の中に置いて原告による表現行為の抑止を図る実務は、正当化の余地の全くない違法な表現抑圧に他ならず、憲法21条を直接に侵害する活動である。この点に関しても、学校行政の適正なあり方を考えた場合、公的に説明された人事考課の運営方法から逸脱する実務を求めるような権力行使があった場合、その情報を社会的に共有してあるべき学校運営の方法を市民と共に考えようとする原告の姿勢は賞賛に値すべきでこそあれ、決して何らかの意味で否定的に捉えられべきものではない。

3.原告校長の独立の職務権限に対する侵害

3.1 国家機関相互の教育における権限の配分と校長の位置

 本件は、原告自身による憲法上の権利行使に関わる問題と並び、憲法26条に保障された教育を受ける権利を生徒に対して保障していく上で原告校長に対して委ねられた独立の職務権限に対する被告都教委による侵害行為にも関わっている。その点において、被告都教委の行為のいくつかは、教育基本法16条1項、学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)に反し、間接的には生徒の憲法26条に保障された教育を受ける権利を侵害した。
 この問題は、校長の職務権限の内容と範囲に関する論点を含む。実際、この論点については、これまでの判例・学説の流れの中でも、必ずしも十分な理論枠組が形成されてきたわけではない。1960年代から70年代にあっては、実務と教育法学説の間に著しい乖離が見られたことにより、むしろきちんとした理論枠組の形成は阻害されてきた。それが、この間の判例実務の進展により理論の骨格が見えてきているのが現在という時期であり、また2006年の教育基本法改正を経て法的な関係が整理されてきてもいる。本件は、そうした問題において明確な処理を迫るものであり、日本の憲法判例史の中でも大きな位置を占める重要な裁判である。
 ここでの問題は、1976年5月21日の旭川学テ事件最高裁判決(刑集30巻5号615頁)において、被告が前提とする、いわゆる「国民の教育権」説と、検察側の立論に組み込まれた、いわゆる「国家の教育権」説の双方とも「極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできない」ものとされたことと関係する。この判決では、「極端かつ一方的」な見解を排除した中で、いわゆる教育内容決定権が「子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者」、特に親、私立学校、教師、そして国に分有されているものとされ、その「関係者らのそれぞれの主張のよつて立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画する」ことが憲法解釈の課題として必要だとされた。そして「国」と呼ばれる主体の中でも、文部省(当時)、教育委員会、校長などの機関にそれぞれ別箇の任務が割り振られ、その限界が画されているものとされる。
 

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西原博史教授「鑑定意見書」(後半)

2010-03-15 23:34:48 | 裁判資料
 旭川学テ判決の前提となったのは、1947年教育基本法(旧法)10条1項であった。そこでは、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と定められていた。現在はこの規定は、2006年法(現行法)16条1項の「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」とする規定に引き継がれている。
 学テ判決が1947年教育基本法10条を解釈するにあたっては、「教育」と「教育行政」を区別し、教育行政の活動には一定の限界があることを確認していった。
「国の教育統制権能を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き、その整備確立のための措置を講ずるにあたっては、教育の自主性尊重の見地から、これに対する『不当な支配』となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがって、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために心要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても、必ずしも同条の禁止するところではないと解するのが、相当である。」(前掲最高裁旭川学テ判決)
「教育に対する行政権力の不当、不要な介入」の排除が問題とされる際、教育を行うのは誰なのかが問題になる。現在の理論水準においては、この教育を行うのは「学校」であり、その学校の管理運営に関する権限を集約的に体現する「校長」という機関である。
 古典的な議論として、「国民の教育権」論は、親からの信託を受ける「学校単位の教師集団」という主体を想定し、その教師集団が「教育内容決定権」としての教育権を行使すると理解していた(兼子仁「教師の『教育権の独立』と教育行政権」有倉遼吉編『教育と法律』〔新評論、1961年〕51頁、兼子仁『教育法』〔新版、有斐閣、1978年〕350頁以下、堀尾輝久『現代教育の思想と構造』〔岩波書店、1971年〕326頁)。職員会議が学校における意思決定機関の役割を果たすという立論が過去において行われていた際には、その理論的基盤は、この「国民の教育権」論の中で認められた「教師集団」の教育権であった。ただ、この「国民の教育権」の理論は、教師の「権利」なるものを主張するに急で、教師の権限濫用によって子どもの権利侵害が生じる場面への対応において著しい不備を示すものであった。これは、前記の最高裁旭川学テ判決において同理論が「極端かつ一方的」と断ぜられたことにも現れる。
 そのため、遅くとも1980年代における理論的発展において、職員会議という形で表明される教師集団の意思が「教育」の最終的な担い手であるという見解は克服され、学校における教育的決定を集約し、最終的に引き受ける校長の独立の権限が意識されていくようになる。たとえば――最も典型的な事例だけを挙げると――信仰上の理由から剣道実技を拒否した生徒に体育の単位を認定せず、最終的に退学処分とした学校の措置を問題とし、それを取消した1996年3月8日の神戸高専事件最高裁判決(民集50巻3号469頁)は、「高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられる」ことから出発し、当該事例にあって校長の裁量権逸脱があったことを確認した。
 同じ時期、卒業式・入学式にあたって「日の丸」掲揚を行うか否かの決定権限の所在を問題にする事例が裁判上争われた。職員会議による掲揚しない旨の決議と、掲揚する旨の校長の決定が対立する状況下において、「日の丸」の引き降ろし等を行った教職員に対する懲戒処分が適法か否かが争われた事例において、当該事項の決定権限が校長にあることが確認されている。
「学校運営に当たっても、校長は自分の考えを他の教師に押し付けるのではなく、教師全体の意見を聴き、討議を尽くした上で、これを決するのが望ましいことというべきであり、このために、法規上の根拠はないにもかかわらず、各学校において職員会議が制度として設けられ、ここにおいて、校長の意思や教育委員会からの通知等を伝達し、教職員の意見の聴取、教職員相互の連絡調整等を行うことにより、校務の運営にかかわってきているのである。/ このように、職員会議は校務の運営を円滑かつ効果的に行うために極めて必要かつ有用なものではあるが、これは法令上の根拠があるものではなく、また、校務の運営について最終決定する権限も有してはいないのであって、校長はその職務を行うに当たって職員会議の意見を尊重すべきではあるが、これに拘束されるべきものとまではいうことはできない。」(大阪地裁1996年8月22日判決判例タイムズ904号110頁=東淀川高校事件。同旨、鯰江中学校に関する1998年1月20日の大阪高裁判決判例地方自治182号55頁 )
 職員会議の位置づけについて、これらの判決の時点で法令上の根拠がなかったものが、2000年1月の学校教育法施行規則の改正によって、職員会議が任意設置の校長の補助機関であることが明示された。それに先立ち東京都では、1998年に教育委員会が各学校における「管理運営規定」の策定を促し、その中において職員会議の補助機関性を明示するよう促していたことは、被告も強調するとおりである(被告側準備書面(1)8頁以下)。ただこれも、同時期の下級審判例において認められていた職員会議の位置づけを根本的に改めるものではなく、むしろその法的状態を具体的な法令の中に明示するものであるに過ぎなかった。上記大阪地裁判決の「校長は自分の考えを他の教師に押し付けるのではなく、教師全体の意見を聴き、討議を尽くした上で、これを決するのが望ましい」という命題は、校長が補助機関としての職員会議をどのように運用するのかに関わる問題を含む本件においても、重要である。
 2000年以降に各地で義務制学校における学校選択制が導入されるようになるが、この制度も校長の教育上の権限の位置を明確化する上で重要な契機となった。学校選択制は、各学校の教育方針において多様性があることを前提とするが、この基本方針を定め、教職員に周知・徹底することが校長の権限であることが意識されている。ここにおいても、学校における教育のあり方を最終的に決定する校長の権限が措定されている。
 これを表すのが、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」と定める学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)である。ここでの「校務」は、「学校の運営に必要な校舎等の物的施設、教員等の人的要素及び教育の実施の各事項につき、その任務を完遂するために要求される諸般の事務を指す」(前掲鯰江中学校事件大阪高裁判決)ものと解され、そこには様々な学校運営上の権限が含まれる。
 この校長の権限は、末端の教育行政機関として学校運営にあたるとともに、「教育の実施」に関わるものでもあり、教育と教育行政の二重性を体現している。従って、単に教育行政に従事するに過ぎない教育委員会の権限とは性格および射程を異にするものであって、単に教育委員会の権限の延長線上に考えられ得るものではない。教育基本法16条1項が「教育は不当な支配に服することなく」行われると定める際、教育に関わる校長の権限が一定の独立性を有しており、教育行政を行う教育委員会が恣意的に介入できるものではないことが意識されている。これは、1947年教育基本法(旧法)に関して前記の最高裁旭川学テ判決が「教基法10条1項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用がある」と認めるとおりであり、この点において教育基本法の改正は実質的な変化をもたらすものではない。

3.2 被告東京都教育委員会の介入による原告校長の独立の職務権限の侵害

 上記のような校長の職務権限の独立性を考えた場合、本件において問題とされている被告東京都教育委員会の様々な介入行為は、教育基本法16条1項、学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)に反し、間接的には生徒の憲法26条に保障された教育を受ける権利を侵害した。

3.2.1 職員会議における挙手・採決を禁止する旨の通知(訴状「第3」第2項目)

 適正かつ効果的な教育を学校全体として進めるために、職員会議のあり方およびそれに関わる教職員との信頼関係を構築するための方法については、「校務をつかさどる」校長の職務権限に属するもので、校長に広範な裁量権が帰属する。この点は、校長と教職員の相互理解・意思疎通が円滑に進んでいることが学校として効果的な教育活動の遂行に不可欠であることとの関係でも、校長の極めて重要な権限部分である。この点については、判例上も繰り返し確認されている(下記の東京地裁判決のほか、前掲の東淀川高校事件大阪高裁判決、鯰江中学校事件大阪地裁判決)。
「学校教育は、一人校長がなし得るものではなく、校務をつかさどる立場にある校長は、児童、生徒の教育をつかさどる立場にある教諭をはじめとする教職員の相互理解・意思疎通を図りつつ、適正、円滑な校務の運営に当たるべきものである。」(東京地裁2001年12月20日判決Lex/DG文献番号28070687=田無市立柳沢小学校事件)
 それに対して被告東京都教育委員会は、平成18年4月13日付けで「学校経営の適正化について」とする通知を行い、職員会議における挙手・採決を禁止する形で、議事運営の方法に対するルール化を行った。しかし、いかに教職員との信頼関係を構築し、校長としての方針が実現されるための関係を築いていくのかは、学校において適正かつ効果的な教育活動が実践されるよう措置を講ずる校長の裁量権の核心にある。にもかかわらず本件通知は、校長と教職員の信頼関係構築を妨害するものであり、教育に関する「不当な支配」に該当し、教育基本法16条1項に反するとともに、校長の「校務をつかさどる」権限をも侵害する。

3.2.2 教職員の業績評価に対する違法・不当な干渉(訴状「第3」第4項目)

 教職員の業績評価のあり方も、学校において教職員を監督し、もって適正かつ効果的な教育が行われるよう措置を講ずる裁量に属する。それに対して原告は、平成17年度の校長会や業績評価の評価者訓練において、C、D評価を最低20パーセントは出すべき旨の指導を受けたと主張している。本鑑定意見書は事実認定に踏み込むものではないが、そのような指導が明示的にであっても、あるいは構造的に校長としてその指導を受け容れざるを得ない事実上の圧力をかける形の黙示的なものであっても、存在したとするならば、それは法令上の根拠を欠いたまま恣意的な評価方法を強要するものであって、教育委員会の権限濫用に当たり、教育基本法16条1項、学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)に違反する。

3.2.3 職務命令の強要(訴状「第3」第6項目)

 高等学校における生徒の教育は、ひとり校長のなし得るものではなく、教職員全員の協力と連携が必要である。だからこそ、学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)は明示的に「所属職員を監督する」校長の権限を独立に取り出し、「校務をつかさど」る権限と並べる規定の仕方を選んだ。ここにも、学校に所属する教職員とどのような関係を作り、どのようにして校長が持つ教育上の構想が実現される態勢を作り上げていくのかに関して校長自身に認められた広範な裁量権が表現されている。
 にもかかわらず被告東京都教育委員会は平成20年度の校長会において、卒業式・入学式における国歌斉唱に関わって個別的職務命令の発出を求める指導を原告校長に対して行い、同指導の実現を迫るための指導を繰り返した。
 しかし、所属職員を監督し、校長の教育構想を実現するにあたって、命令服従関係ばかりによって拘束することは校長と教職員の信頼関係を傷つけ、むしろ教育の営為を妨げる危険がある。その点をも考慮しながら校長は教職員との関係を形づくるわけであり、どのような場合にどのような内容の職務命令をどのような形式において発出するのかは、その内容・形式が校長としての裁量権を逸脱しない限り、まさに校長の裁量に委ねられたことであって、教育委員会といえども外部から介入し、自らの信奉する恣意的な思惑を押し付けることの許される対象ではない。そうである以上、個別的職務命令の発出に関わる被告東京都教育委員会による上記指導は、教育委員会の権限濫用に当たり、教育基本法16条1項、学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)に違反する。

3.2.4 生徒の表現行為に対する検閲の強要(訴状「第3」第1項目)

 生徒の知的な能力を発展させ、自分の力で調査した事項に関し責任ある表現を行う生徒の能力を養成することは、高等学校の重要な任務である。これは、学校教育法51条が「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すこと」を高等学校の目的とし、それを受けて同法52条が高等学校の教育目標として、
「一 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて、豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。
二  社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知識、技術及び技能を習得させること。
三  個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うこと。 」
と規定するとおりである。
 こうした能力の育成のためには、自らの見解を形づくることを支援する活動が不可避となる。高等学校の教育において、生徒が常に「中立的」見解を形成すると考えるのは現実的でもないし、自ら考える能力の育成という点において破壊的ですらある。子どもは極端な見解を抱く可能性を常に保障されていなければならず、ただ、その極端な見解に対しても批判があることを知って自ら修正を施すことによって初めて健全な知的能力の発達が可能になるのである。
 にもかかわらず、被告東京都教育委員会は、平成17年8月26日の「文化祭にかかわる事故防止等の徹底について」とする指導文書を初めとして、「学校教育において大切な公正中立かつ多面的なものの見方を育てるという視点において支障が生じない」ような展示物や文集等による生徒の意見表明を求める措置を積み重ねてきた(被告側準備書面(1)3頁以下)。しかし、生徒が自らの調査に基づき、自らの責任において独自の見解を発表することを妨げることが常に一般的に高等学校として求められることである保障は全くない。
 事柄はまさに教育的な課題に属する。当該高等学校における生徒の間で前提として共有された知識や推論能力を踏まえ、その中で全体として「多面的なものの見方」を育てるために一部において批判的討議が可能な素材を生徒自身による意見表明としてどこまで許容するべきなのかは、教育上、極めて専門的な判断が必要な課題に属する。これは同時に、高等学校に通う段階まで成長すれば原則として成人にかなり近い表現能力や自己批判能力を身につけていることとの関係で、生徒個人の表現の自由をどこまで尊重し、どこにおいて制約を加えるべきかという極めて難しい調整の課題でもある。
 高等学校におけるこうした教育上の課題は、一人ひとりの生徒の能力を熟知する教員たちと、その教職員との間で日常的なコミュニケーションを重ねることによって学校全体の生徒の能力について総合的な判断できる立場にある校長の権限によって果たされるべき課題である。ところが前記の被告東京都教育委員会による指導は、子どもの権利保障を直接に妨害するとともに、教育上の効果を狙った生徒の意見表明の機会をどの生徒にどの範囲において認めていくかという、極めて高度に教育的な課題に関して校長や教職員の専門的な判断を妨害し、場合によっては教育上非効率ないし破壊的な働きかけを校長に強制するものである。
 さらに生徒の表現の自由という観点から考えた場合、基本的には対外的な意見表明を旨とする文化祭掲示物について内容的な観点から包括的な発表前審査を行うことは、表現の事前抑制という極めて侵害度合いの高い規制手法に該当する。文化祭発表に関して一般的許可制のような形式の審査手続を導入することは、成績評価権を握る教員側の意に沿う表現のみに自らの思考を限定するような方向において、生徒の側に強い萎縮的効果を発生させる可能性が伴う。例外的な場合において教員上の観点から個別作品に関して文化祭出展を見合わせるような措置を採る可能性が常にあり得るとしても、だからといって事前規制を原則と考えるのは、生徒を精神的能力の主体として信用することを拒否するものである。憲法21条に保障された表現の自由を考えた場合には、強い萎縮的効果を伴う発表前審査というような事前抑制を行うことは、そうした強度の介入を行わなければ具体的な害悪発生を防げないような例外的な場合に限って許される。この事前抑制原則禁止の法理は、1986年6月11日の北方ジャーナル事件最高裁判決(民集40巻4号872頁)が「表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうる」とするとおりである。生徒が未成年であり、表現の場が学校内における意見発表であるという状況は、表現を規制する目的について様々な教育的観点を考慮することを学校側に許す事情であるとしても、生徒の根源的な人格的利益を損ねるような事前規制的手段を広範に正当化するものではない。手段において過度に統制的な事前規制を導入することは、生徒の表現の自由に対する侵害を構成し得る。そうした点において、被告東京都教育委員会による本件働きかけは、校長が本来有する生徒の表現に対する関わり方の広い裁量を歪め、本来ならば裁量権の及ばない所において裁量権を行使するよう促し、本来の裁量権の範囲における裁量権行使をためらわせる、違法・不当な介入である。
 そうである以上、被告東京都教育委員会による上記指導は、教育委員会の権限濫用に当たり、教育基本法16条1項、学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)に違反するとともに、生徒の表現の自由に対する不当な制限を要求するものであって、生徒の憲法21条の権利をも侵害する。

4 おわりに

 前述のとおり、本件訴訟は、教育委員会による学校行政上の措置がどこまで校長の基本的人権としての表現の自由と、学校運営ならびに職員監督上の職務権限を制約し得るかを、日本の判例史上初めて根本的に問うものである。校長と教育委員会の権限区分に関して、原理的な方向設定が求められる。特に近時の教育政策において、学校の教育方針を決定し、教職員との協力関係の中で効果的にその教育方針を実施していく「学校経営」という視点が強調されていることもあって、校長の権限と責任は極めて重要な位置にある。その校長の権限と責任が、教育委員会を構成する者の思い入れによってどこまで振り回されてよいのか、という点が本件における本質的な問題の一つである。
 教育委員会と校長の権限配分に関わる問題に答えるということは、同時に、教育基本法16条1項にいう「教育行政」と「教育」の権限区分に関わる重要な論点において解決の方向性を示すことでもある。この論点は、前掲の旭川学テ最高裁判決で未解決のまま残された、教育法全般を考える上で極めて重要なポイントである。
 被告東京都教育委員会の本件訴訟における主張や、それ以前からの実務を見るに、被告東京都教育委員会は、旭川学テ判決やその後の下級審判決で確認されてきている、教育に関わって学校が有する一定の権限の独立性を全く理解できていないように思われる。その意味で、被告東京都教育委員会は、旭川学テ判決で最高裁によって「極端かつ一方的」であるとして明示的に退けられた「国家の教育権」の考え方から脱却できておらず、違法な権限行使を積み重ねてきている。
 これまでそれが問題とならなかった原因の一つは、過去および大部分の現在の校長が、本件で明らかになるように定年退職後の処遇に関わる重要な決定権限を教育委員会に委ねたまま、違法・不当な指導であっても教育委員会の思召しに従わざるを得ないような事実上・構造上の権力関係が定着しており、校長としての問題提起ができない状況にあったことに求められるであろう。しかし、こうした力関係において正当な権限行使が妨げられる状況は、極めて不健全であり、法治主義的な行政運営としてはあってはならない事態である。
 本件は、過去において事実上の圧力によって学校側の権限に対する違法・不当な教育委員会による侵犯行為が一定の閾値を越え、明らかに学校運営上・教育上合理性を欠いた押し付けが行われるところまで達し、教育上の誠実さと熱意を持つ原告校長として問題提起をなさざるを得ないところまで追い詰めた結果として発生した事件だと位置づけられる。そうである以上、本件訴訟における裁判所の責任は社会的に見ても極めて重大だといわざるを得ない。旭川学テ以来、未解決のまま残された重大な法的論点に明確な決着をつけ、教育行政に関わる教育委員会が子どもの教育という貴重な活動を行う学校の権限を妨害し、もって子どもの教育を受ける権利の実現を妨げるようなことのないよう、教育基本法16条1項や学校教育法37条4項(同法62条で高等学校に準用)の正しい解釈を示すことが期待されている。
 ここで正しい法解釈を提示することが憲法上保障された国民の基本的人権を守る上で果たす役割を意識して、被告東京都教育委員会の暴論に対して厳正に教育行政としてあるべき道を示すような判決が下されることを期待する。

1. 経歴について

(字数制限のため省略します - ブログ担当者)

2. 研究業績と専門研究について

[単行本]
『良心の自由』(成文堂・1996年, 増補版 2001年)
“Vom paternalistischen zum partnerschaftlichen Rechtsstaat”(Nomos [ドイツ]・2001年・
Sung-Soo Kimと共著)
“Das Recht auf geschlechtsneutrale Behandlung nach dem GG und EGV”(Duncker & Humblot
[ドイツ]・2002年)
『平等取扱の権利』(成文堂・2003年)
『学校が「愛国心」を教えるとき』(日本評論社・2003年)
『教育基本法「改正」――私たちは何を選択するのか(岩波ブックレット)」(岩波書店・2004年)
『良心の自由と子どもたち』(岩波新書・2006年)
『子どもは好きに育てていい』(生活人新書=NHK出版・2008年)
『自律と保護――憲法上の人権保障が意味するものをめぐって』(成文堂・2009年)

[編著書]

『子ども中心の教育法理論に向けて』〔エイデル研究所、2006年11月〕《戸波江二と共編》
『岩波講座 憲法 2 人権論の新展開』〔岩波書店、2007年8月〕

[本鑑定意見書関連論文]

(多数につき掲載を割愛させていただきます ― ブログ担当者)

[専攻領域]
思想・良心の自由(憲法19条) 平等権(憲法14条) 表現の自由(憲法21条)
基本的人権の基礎理論



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第3回口頭弁論  意見陳述

2009-11-08 12:51:33 | 裁判資料

         第3回口頭弁論 意見陳述

① 前回提出された都準備書面(1)では、私の訴状にある全ての項目について反論していただきました。したがって都教委に公開討論を要請していた私の希望通りの形になりました。今回、私も都準備書面(1)に対し全面的に再反論を行います。裁判の場を公開討論の場として、都民、国民にお互いの意見を公開し、どちらが正しいか判断してもらいたいと思います。

 ② 都準備書面を読ませていただき、東京都教育委員会はなぜこのような事実を捻じ曲げるような論述を行うのか不思議でなりません。事実は一つです。ぜひとも裁判の場では事実のみを明らかにして欲しいと思います。東京都教育委員会という巨大な権力が、ちっぽけな土肥をねじ伏せるために嘘はつかないで下さい。都教委も私も正しいと思ってやってきたのだと思います。正しいのなら嘘をつく必要はどこにもありません。事実を述べていただきたいと思います。

③ 私は全ての問題について規則どおりやってきました。法令遵守は私のポリシーです。「職員会議において教職員の意向を聞く挙手・採決の禁止」の通知どおり、三鷹高校では職員会議で教職員の意向を聞く挙手・採決をやっていません。業績評価においても実施要領どおり絶対評価で提出しました。卒業式等においても職務命令は通達どおり出しました。私は何も悪いことはしていません。都教委こそ業績評価では絶対評価といいながら相対評価を強要し、卒業式等では校長の責任と権限で個別的職務命令を出しなさいと言いながら、個別的職務命令を出すことを強制したのです。都教委こそが法令に違反し、校長の権限を奪ったのです。

 ④ 非常勤教員の不合格についてはどうしても納得がいきません。教育の主体は生徒です。私も都教委も教育の主体である生徒のために全力を尽くしているはずです。生徒のために全力を尽くした私の教育活動の結果が、生徒からの卒業証書であり、卒業生全クラスから色紙であり、保護者からの色紙なのです。生徒、保護者から色紙をもらった校長の非常勤教員採用選考推薦書兼業績評価書の評価がなぜオールCなのでしょうか。教育活動は生徒のためでなく、教育委員会のためにやらなくてはならないのでしょうか?

 ⑤ 私が2007年(平成19年)10月の校長会での「職員会議における教職員の意向を聞く挙手・採決の禁止」の撤回発言以後、マスコミに意見表明をする等、現在に至る行動のきっかけとなったのが、何と言っても2006年(平成18年)の密告による私に対する言論弾圧です。都教委は、全ての校長は都教委の指導にはすぐに従うという思いがあったに違いありません。しかし私は違います。言論の自由については絶対に譲れないという私の思いがあります。東大闘争の中で、リスクを負いながら大学を辞めていった仲間に対する負い目、一流商社での談合に対する怒りと、経済的、社会的体裁を捨て、言論の自由と平和、そして利潤追求のない教員になった時の決意を都教委は知っていたのでしょうか?言論の自由だけはリスクを負っても絶対に譲れなかったのです。この場に及んで私の信条である言論の自由がなくなることは、商社を辞めたときの決意を全く意味の無いものにすることであり、私の人生を無にすることに等しいのです。多くの支援者と連帯している今、「力及ばずして倒れることは辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」が私の決意です。

                  2009年(平成21年)11月5日

                                     元三鷹高等学校 校長 土肥信雄

注:
  2009年9月10日に行われた第2回口頭弁論では土肥意見
  陳述はありませんでした。)


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第1回意見陳述書

2009-11-08 12:44:50 | 裁判資料

第1回口頭弁論 意見陳述

     34年間の教師生活の中で、私と関わった生徒はみな幸せになって欲しいと思うのは教師として当たり前のことだと思います。そのためには生徒一人ひとりの人権が尊重される社会こそが生徒の幸せを保障する社会だと思います。人権が保障されるということはその前提として平和でなければならないのです。だからこそ私の信条は基本的人権の尊重と平和主義なのです。

     その基本的人権の中でも最も重要なのが言論の自由だと思っています。特に多くの意見を反映できる制度としての民主主義政治にとって言論の自由が絶対不可欠な要素であり、言論の自由がない政治は民主主義政治とはいえないのです。言論の自由がない組織は歴史を見れば明らかなように必ず腐敗し崩壊しています。戦前の日本も、ソビエト連邦も、そして船場吉兆やミートホープも崩壊しました。民主主義を教える学校で、民主的運営が行わなければ民主主義は教えられません。教師の言論の自由がなくなれば必ずや生徒の言論の自由も奪われ、日本が再び崩壊の道を歩むと思います。

     教育は誰のためのものですか。当然、生徒のためだと思います。だからこそ私は生徒のために全力を尽くしてきました。その証が、私の退職に当たり、生徒達が私にくれたに卒業証書と卒業生全クラスの色紙です。私は何も悪いことをしていません。私の信条は法令遵守であり、法的に決まったことはきちっと守っています。私が今問題にしている教職員の意向を聞く挙手採決も三鷹高校ではやっていません。でもこの通知は言論統制に繋がり、最終的には生徒のためにならないと思うからこそ通知の撤回を要求しただけなのです。生徒、保護者に高く評価され、法令を守っている私が、何故非常勤教員不合格になったのか、どうしても納得がいかないのです。

     教育現場で私は生徒に「自分が思ったことははっきりと言いなさい。」と指導してきました。それは生徒の主体性、自主性を育てるからです。ほとんどの学校の教育目標に「自主性、主体性」という言葉が出てきます。私はそれを生徒に教えた責任からも、自分の思ったことを言わず、不当な権力にへつらうことは出来ません。もし不当な権力の言いなりの社会なら、全国の学校の教育目標に掲げてある「自主性、主体性」の言葉をはずしていただきたいと思います。

     今回提訴した一番の理由は「生徒のために」です。私の教えた生徒達が、自分の思ったことを自由に発言できる社会にしたいからこそ提訴したのです。教育委員会も校長も教員もそれぞれの役割を果たして生徒のための教育活動が可能になるべく全力を尽くしているはずです。教育委員会は施設、人事等の条件整備で、校長は教員のやる気を起こし、学校の活性化を図るリーダーシップを発揮し、そして教員は生徒と直接向き合って生徒のために汗を流すのです。国民が私の考えが「生徒のためにはならない」と判断したのなら、私は素直に国民の意見に従います。この裁判を通して、私の見解と"東京都教育委員会の見解 ">東京都教育委員会の見解を十分に吟味・比較して公平な判断を下されるようお願い致します。

 

2009年(平成21年)7月23日 

元三鷹高等学校 校長 土肥信雄 


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裁判資料① ― 訴状

2009-07-10 17:31:37 | 裁判資料
訴   状
2009年(平成21年)6月4日
東京地方裁判所民事部 御中

       原告訴訟代理人弁護士   吉  峯  啓  晴

       同            吉  峯  康  博

       同            室  伏  美  佳

       同            高  橋  拓  也

       同            金     舜  植

       同            大  井  倫 太 郎

       同            木 ノ 切  隆  行

       同            大 河 原  啓  充

       同            中  村  栄  治

       同            朴     鐘  賢

当事者の表示   別紙当事者目録記載のとおり

損害賠償請求事件
  訴訟物の価額  1850万2000円
  ちょう用印紙額    7万7000円

目   次

請求の趣旨 3
はじめに 4
請求の原因 5
第1 当事者 5
 1 原告 5
 2 被告 5
第2 本件の概要 5
第3 都教委の原告に対する不法行為(本件不合格処分を除く) 7
 1 生徒の表現行為に対する検閲の強要 7
 2 都立学校の職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決を
禁止する旨の通知 8
 3 原告の言論に対する弾圧① 9
 4 校長による教職員の業績評価に対する違法・不当な干渉 11
 5 原告の言論に対する弾圧② 12
 6 校長に対する職務命令の強要と名誉毀損 13
 7 都教委の恣意的,独善的,強権的な言動に関する事情 15
 8 小括 16
第4 原告の都教委に対する意見表明と本件不合格処分 16
 1 原告の都教委に対する意見表明 16
 2 本件不合格処分が都教委の裁量権を著しく逸脱していること 17
第5 損害 21
 1 逸失利益 21
 2 慰謝料 21
 3 弁護士費用 21
 4 合計 21
当事者目録 22

請求の趣旨
1 被告は原告に対し,金1850万2000円及びこれに対する本訴状送達の日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

はじめに

 原告は,被告東京都の教員として長年,熱心に勤務し,つつがなく2009年(平成21年)3月の退職を迎えようとしていた。ところが,原告が退職後もなお教員として活躍するため,退職するに先立って,退職後の教員の雇用制度である非常勤教員の採用候補者選考に申込みをしたところ,応募した者のほぼ全員が合格となったにもかかわらず,何故か,原告は不合格とされた。原告は在職中,教頭,校長の職を歴任していたが,これらの職は,教員としての高い能力と優秀な実績がなければ就任し得ないはずなので,そのような原告が不合格とされたのは,何とも不思議なことであった。
 他方で,原告の在職中,東京都教育委員会は,原告に対し,生徒の表現行為を検閲することを指示したり,職員会議における挙手・採決を禁止して校長の業務を妨害したり,教職員について違法な業績評価を行うことや,職務命令を発出することを強要したり,さらに度々言論弾圧を行うなどの不法行為を繰り返し,国民の想像を超えたレベルで教育現場に対し不当な干渉を行っていた。
 ほとんどの校長は,原告と同様の不当な干渉を受けてもこれに異論を唱えることはできず,東京都教育委員会の干渉に従ってきたが,原告は,東京都教育委員会の行為に対し,毅然とした態度をもって,それらが不当な干渉であるとの意見を述べてきた。東京都教育委員会が原告の態度を目障りに思っていたのは言うまでもない。
 ただ,東京都教育委員会は,原告を目障りに思いながらも原告を処分するきっかけがなく,指導という形で弾圧を加えつつも原告を排除しきれないでいた。そうしたところに,原告からの非常勤教員の申込みがあったので,東京都教育委員会はここぞとばかりに,原告を排除すべく,原告を不合格処分としたのである。実に悪質な報復行為である。
 このような東京都教育委員会の横暴さには目に余るものがあり,教育現場は東京都教育委員会の脅威の前に,混乱し,沈黙し,本来の自由で活気に満ちた教育が行えないでいる。本訴訟において,東京都教育委員会による数々の違法行為がつまびらかにされることにより,教育委員会のあり方が見直され,自由で活気に満ちた教育現場の実現のために適切な環境整備がされることを願ってやまない。
請求の原因

第1 当事者
 1 原告
   原告は,1979年(昭和54年),被告に教員として採用され,都立小山台高等学校定時制課程教頭,都立晴海総合高等学校教頭,都立神津高等学校校長を歴任したのち,2005年(平成17年)4月に都立三鷹高等学校(以下「三鷹高校」という。)の校長に就任し,2009年(平成21年)3月31日に定年退職するまで同職にあった者である。
 2 被告
   被告は,原告が定年退職するまで原告の使用者の地位にあったものであり,その設置する東京都教育委員会(以下「都教委」という。)に学校その他の教育機関の職員の任免その他の人事に関する事務を管理,執行させている。
第2 本件の概要
原告は,教育の力が将来の日本を決めるとの思いから教員となり,熱意をもって教育に取り組んできた。学校では,常に生徒と同じ視点に立って,明るい笑顔で生徒と接し,十分な対話をもつことを何よりも大切にしてきた。このような原告の教育姿勢は生徒に活力を与え,生徒や保護者から大変喜ばれてきたほか,他の教育関係者からも高い評価を得てきた。そういった実績が評価され,原告は2校において教頭を,さらに2校において校長を務めた。
原告が最後に校長を務めた三鷹高校において2008年(平成20年)12月に同校の生徒達を対象に実施されたアンケートでは,「鷹高の好きなところ」として「校長先生」が筆頭に上がったほか,2009年(平成21年)3月の卒業式では,校長である原告に対して3年生の各クラスから寄せ書きが贈られ,そこには,今までの校長先生の中で最高でした,名前を覚えてくれてとても嬉しかった,明るく素敵な校長先生でしたなどのほか,沢山の,原告の人柄を讃える言葉と感謝の言葉が埋め尽くされていた。原告が生徒から理解され信頼される良い校長であったことが分かる。また,保護者からの寄せ書きでも,お話が楽しい,子どもが生き生きと過ごせたなどのほか,同じく沢山の,原告の人柄を讃える言葉と感謝の言葉が寄せられ,原告が保護者からも絶大な信頼を得ていたことが分かる(甲1の6,7頁、甲2ないし5)。
他方で,原告の在職中から,都教委は,教育現場の裁量を失わせて都教委の恣意的,独善的な施策を実現するため,原告ら都立・公立学校の校長に対し,生徒の表現行為を検閲することを指示したり,職員会議における挙手・採決を禁止して校長の業務を妨害したり,教職員について違法な業績評価を行うことを強要したり,卒業式・入学式において教職員に国旗に向かって起立し国歌を斉唱させるよう職務命令を発することを強要したり,また,ことさら原告に対しては,威圧的な言辞を用い,さらには守秘義務違反をでっち上げたりすることで原告の言論の自由を弾圧するなどの,数々の不法行為に及んだ。特に,前述の職員会議における挙手・採決の禁止によって,教育現場における民主主義の実践を排除して教育現場の活気を失わせ,また,生徒の表現行為に対する検閲を校長らに指示することで生徒の言論の自由さえをも奪おうとするなど,都教委の行為は横暴を極めていた。
原告は,都教委によるこれら恣意的,独善的,強権的で違法な干渉・介入行為に対して,そのまま言いなりになるのではなく,責任ある現場の教育者として,毅然とこれに立ち向かった。すなわち,都教委に対して,違法な介入行為についての説明を求め,協議の申し入れをし,さらには都教委との公開討論の場を設けようとするなど,国民,教育委員会,現場の教職員の相互理解を通じて,民主主義の長所が多分に取り入れられた,活きた現場教育を実現しようと努めてきたところであった。
このような原告の姿勢と取り組みは,記者会見やテレビ取材等を通じて社会に認識され,教育に対する国民の関心と問題意識を呼び起こすこととなった。また,原告に対しては,生徒,保護者はもちろん,教育関係者,有識者,著名人らから,多数の賛同の声が寄せられた。
ところが,そのような原告が,2009年(平成21年)3月31日の退職を前に,引き続き教育現場で活躍するため,都教委に非常勤教員採用候補者選考の申込みを行ったところ,その適性は十分であるにもかかわらず,同年1月16日,都教委から不合格処分を受けた(以下「本件不合格処分」という。甲6)。
非常勤教員制度は,被告において2008年度(平成20年度)から実施された退職後の教員の雇用制度であり,従前被告において採られてきた再雇用制度を受け継ぐものである。そして,従前の再雇用制度においては,申込者はほぼ全員が採用されていたところ,その傾向は新制度である非常勤教員制度においても何ら変わっていない。
すなわち,非常勤教員の採用における都教委の裁量権は著しく限定されているところ,非常勤教員の欠格事由に何ら該当せず,優秀な教育者を確保する必要からすれば首席で合格とされるべき原告に対し,これを不合格とした都教委の本件不合格処分は,そもそも,目的が違法である上,著しい裁量権の逸脱が認められる。
したがって,都教委は原告に対し,違法行為の強要,業務妨害,裁量権侵害,言論弾圧,本件不合格処分等の数々の不法行為により原告に与えた精神的損害のほか,本件不合格処分がなければ原告が非常勤教員として得ていたはずの労働の対価(逸失利益)を,損害として賠償する責任がある。
よって,原告は被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,請求の趣旨記載の支払を求めるものである。

第3 都教委の原告に対する不法行為(本件不合格処分を除く)
 1 生徒の表現行為に対する検閲の強要
2005年(平成17年)11月頃に東京都多摩教育センターで行われた校長会において,東京都教育庁(以下「教育庁」という。)の指導部高等学校教育指導課の小山副参事は,原告を含む都立高校の校長らに対して,「ある学校の文化祭において,生徒の掲示物を見た都民の方から,この掲示物は考え方が一方的であるという指摘があった。校長は,このような掲示物については十分注意して欲しい。」との指導を行った。
これに対して原告が即座に「それは検閲に当たるおそれがあり,もし裁判になった時は裁判に勝てるのですか?」と質問したところ,小山副参事からの回答は曖昧なものであったが,指導の撤回はしなかった。
検閲とは,「公権力が表現行為の内容を,その表現行為の受領前に審査し,不適当と認めるときは,その発表を禁止する行為」(『憲法新版補訂版』芦辺信喜著・177頁)をいい,憲法21条2項によって絶対的に禁止されているところ,上記の小山副参事の発言は,公権力たる都教委ないし都立高校が,生徒の表現行為の内容を受領前に審査し,不適当と認めるときはその発表を禁止するように指導したものであって,正に検閲に当たる。すなわち,原告を含む都立高校の校長らは,教育庁による上記の指導によって,生徒の表現行為に対して憲法21条2項により禁止されている検閲を行い,生徒の表現の自由を侵害すること,すなわち,憲法違反の行為を強要されたのである。上記指導は,憲法21条2項の禁止する行為を強要する点で違憲であり,さらに,改正前教育基本法10条が禁止する「不当な支配」にも該当する違法な行為でもある。また,校長である原告の有する裁量権(学校教育法37条4項・62条)を侵害し,原告の教育の自由(憲法26条)を侵害するものであり,原告は,著しい精神的苦痛を被った。また,原告は,上記指導により憲法違反の行為を強要されたことによって人格権をも侵害され,さらなる精神的苦痛を被った。
 2 都立学校の職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決を禁止する旨の通知
職員会議については,従前,何らの規制もされていなかったが,学校独自の内規の中で「職員会議を最高議決機関とする」と規定している学校が多数あったため,職員会議において実際に校長の意向と異なる意思決定がされ,校長の学校経営に支障をきたすこともあるとの指摘もあった。
そこで,都教委は1998年(平成10年),職員会議を補助機関とする通知を出し,また当時の文部省も2000年(平成12年)に学校教育法施行規則の改正を行い,職員会議を補助機関とするべく「職員会議は校長が主宰する」(学校教育法施行規則104条1項・48条2項)との定めを置いた。これによって職員会議は完全に補助機関と位置づけられ,校長の権限の実質化が図られたという経緯がある。
しかしながら,職員会議はその後も自由な議論の場であり続け,その議論の結果を校長が参考とすることで,校長による意思決定に対する民主主義的な影響が確保され,両者の調和の中で,適切な意思決定が実現されていた。
にもかかわらず都教委は,2006年(平成18年)4月13日付で,「学校経営の適正化について」という通知(甲7)を発出し,都立学校の職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決を禁止したのである。
しかし,そもそも,上記の学校教育法施行規則104条1項・48条は高等学校には「設置者の定めるところにより,校長の職務の円滑な執行に資するため,職員会議を置くことができる」(同条1項),「職員会議は,校長が主宰する」(2項)と定めているところ,職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決を行うことは,校長の職務の円滑な執行において大変重要なことである。例えば,校長が学校のある事項について何らかの判断をしなければならない場合に,同通知のために,挙手・採決によって教職員全体の意見を知り,また,同意見の者らの代表者からその理由を詳しく聞くことは,校長が有益な情報を元に慎重かつ迅速に判断をするために大変有意義であるところ,これが禁止されるということは,校長の職務の円滑な執行が著しく阻害されることに他ならない。また,上記のとおり,「職員会議は校長が主宰する」とされているので,仮に校長が職員会議において挙手・採決を行えば混乱を招くなどと判断した場合には,みずから,挙手・採決を行わせないことができるのであるから,同通知によって都教委が職員会議の挙手・採決を禁止する必要性は何もなく,校長による柔軟な職員会議の運営を阻害するだけである。
   また,職員会議における教職員の挙手・採決の禁止は,単にそれだけの問題にはとどまらず,教員に学校の決定事項について真剣な検討をする熱意を失わせ,教育現場から民主主義的な議論を奪い,活きた教育に大きな影を落とすものに他ならない。
言うまでもなく,都教委による上記通知は,教育現場に対する不当な干渉であり,改正前教育基本法10条の禁止する「不当な支配」に該当し,違法である。原告も,職員会議における挙手・採決は必要に応じて実施し,様々な事項の判断に役立てるほか,教職員らによる民主的な議論によって,活きた教育を実現したいと常々考えてきたところであったが,上記通知によって,原告の校長としての業務の遂行は,著しく妨害され,また本来,校長たる原告が主宰できたはずの職員会議に関する裁量権を不当に侵害されることとなった。これにより,原告は教育の自由(憲法26条)を侵害され,多大な精神的苦痛を被った。
なお,毎日新聞の調査では,東京以外の道府県で挙手・採決の禁止規定を取り入れているところはなく,職員会議を補助機関とすることのみによって,校長のリーダーシップにより円滑な意思決定がされている。
もっとも,原告は通知の撤回を要求したことはあるが,法令遵守を信条としているので,三鷹高校において職員の意向を聞く挙手・採決を行うことはしなかった。
 3 原告の言論に対する弾圧①
  (1) 都教委は,2003年(平成15年)10月23日,都立高校等の校長らに対して,教職員は卒業式・入学式の国歌斉唱時に国旗を向いて起立し国歌を斉唱すること等を内容とした,「卒業式・入学式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」との通達(以下「10.23通達」という。)を発出した。
そして,2004年(平成16年)3月,教育庁の指導部は,10.23通達を発出して最初の卒業式に備えるため,卒業式の挙行に関するあらゆる点で,強制的な指導を行っていた。その中の一つに,「教職員は開式の5分前に,式場の決まった座席に着席すること」という指導があった。
原告は当時,東京都神津島村にある都立神津高等学校の校長であったが,卒業式における国旗・国歌の取扱いを監視する目的で,教育庁の幹部2人が学校設置責任者である都教委の代理として卒業式に出席することとなった。ところが,同幹部らのうちの1人について教育庁指導部は,午前10時の開式には絶対に間に合わない神津島への船便(神津島港9時55分着の便であり,港から学校まではさらに車で20分ほどを要した。)を利用する日程を組んだ。そのため,原告は,教育庁指導部に対し,同幹部について開式に間に合う日程への変更を要請したが,教育庁指導部はこれに応じず,結局,同幹部は卒業式の開式に大幅に遅れ,出席・監視の目的である国歌斉唱にも間に合わないという「失態」を演じた。教員は開式の5分前に入場して座っているのに,指導した教育庁の幹部が大幅に遅刻するということは,教育庁指導部が指導していた卒業式の規律を,教育庁指導部が自ら乱したものであり,厳粛な雰囲気の中で行われるべきだという卒業式に,教育庁のたるんだ雰囲気を漂わせ,著しい悪影響を及ぼした。原告は,このような教育庁の非常識さに教育者として憤りを感じていた。
そこで,原告が2004年(平成16年)4月の校長会において,賀澤指導課長に対し,なぜそのような事態を惹き起こすに至ったのか,それについてどう思っているのかについて質問したところ,賀澤指導課長は,「そのような神津高校だけの問題を全体会(全体の校長会)で発表するな。」と非難して原告の発言を制限し,原告の言論を弾圧した。
  (2) さらに,2006年(平成18年)9月21日,東京地方裁判所は,公立学校の卒業式・入学式において国歌斉唱時に着席していた教員に都教委が懲戒処分を行ったことが,教員の思想・良心の自由の侵害にあたるとして,処分を受けた教員が地方公共団体に対し処分の取消と慰謝料の支払いを求めた,いわゆる「日の丸・君が代訴訟」について,原告ら(教員)の思想・良心に対する侵害を認め,勝訴の判決を言い渡した。原告は,同判決を聞いて,同判決は教育庁の非常識な行為を考え直すには良い機会だと思い,その意見を職員に話した。
    また,少し遡るが,2005年(平成17年)11月頃,東京ビッグサイトで行われた校長会において,当時都教委の委員であった米長邦雄が「私は将棋指しだから,敵は好きだ。でも味方の顔をした敵は許さない。」と当時の教育庁内部の人を批判したことがあった。それを受けて原告は,校長会の後の飲み会で「私は米長氏の敵だから,米長氏に好かれている。何故なら,米長氏の男女混合名票(名簿)についての考え方は私とは全く違うし,天皇の園遊会で国旗国歌問題を強制はしないようにと諌められたのに,強制しているのは許せない。」と発言した。
    これらの原告の発言について,これらを何者かの密告により察知した教育庁は,教育庁指導部高等学校教育指導課の高野氏,学務部の新井氏,加藤氏,人事部の清水氏をして,原告に対し,2006年(平成18年)10月6日以降3回にわたって,「そのような発言をするべきではない」との指導を行わせた。そして,指導の中で「発言の内容は全て米長氏及び都議にも知られており,これ以上発言すると大変なことになる。」,「米長氏が三鷹高校に視察に行く。」とまで言って原告の言論を厳しく弾圧した。
原告は,教育庁による上記指導によって,表現の自由(憲法21条1項)を侵害されるとともに,さらに威圧的な言辞を浴びせられたことともあいまって人格権を侵害され,多大な精神的苦痛を被った。
 4 校長による教職員の業績評価に対する違法・不当な干渉
教職員の業績評価については,東京都教育委員会教育長が定めた「東京都立学校教育職員の業績評価実施要領」により,校長が第一次評価者として絶対評価により行い,東京都学校経営支援センター所長(高等専門学校については東京都教育庁人事部長)が調整者として調整を行い,教育長が最終評価者として相対評価により行うこととなっている(甲8)。
にもかかわらず都教委は,2007年度(平成19年度)の校長会や業績評価の評価者訓練の場において,校長らに対して「C・D評価は過去の実績からしても3割程度あった。C・D評価は20%以上出すように。C・D評価が20%以下の場合は業績評価の名簿を受け取らない。」と指導し,第一次評価は校長が絶対評価により行うとした上記要領の定めに矛盾した違法・不当な強要を行ったのである。上記指導は上記要領により校長に与えられた業績評価権を侵害し,かつ上記要領に違反する違法な評価を強制した点で,教育基本法16条1項の「不当な支配」にも該当して違法である上,原告の業務を妨害するものであり,これによって原告は,著しい精神的苦痛を被った。さらに原告は,上記指導により違法行為を強要されたことによって人格権をも侵害され,さらなる精神的苦痛を被った。
そして,原告は,2007年(平成19年)6月頃の校長会において教育庁に対し「絶対評価なのになぜ相対評価の割合を言うのか説明して欲しい。もし割合を言うならば最初から相対評価の業績評価にして欲しい。」と質問したところ,これを受けた教育庁の閏間副参事は「答えられない。」と回答したのみで,何ら説明はしなかった。
また,この指導は校長会,業績評価の評価者訓練や人事部の管理主事によるヒアリングの場において,全ての都立高校等の校長に対して行われており,各校長は気軽に上記指導内容を教職員に話していて,都立高校等の教育現場では周知の事実であった。にもかかわらず,教育庁は新聞社の取材に対し,そのような指導はしていないとの虚偽の回答をしている。
なお,都教委は,教職員の業績評価と昇給が直接連動する制度を取り入れているが,教職員が職員会議において校長の意向に反対するような発言をしただけで低い業績評価をする校長もあり,教職員もそれを意識するため,職員会議が自由な発言をしにくい状況となっている。都教委はこのような制度を取り入れることによっても,教職員に対する言論の弾圧を促進しているのである。
 5 原告の言論に対する弾圧②
原告は,職員会議における挙手・採決の禁止が不当であると教育庁に対して意見表明していることに関し,報道機関の取材を受けていたが,2008年(平成20年)8月22日の記者会見の中で,原告は,教育庁から「C・D評価は過去の実績からしても3割程度あった。C・D評価は20よっても,教職員に対する言論の弾圧を促進しているのである。%以上出すように。C・D評価が20%以下の場合は業績評価の名簿を受け取らない。」との指導により業績評価について強要を受けたことを,教育庁による違法行為のひとつとして報道機関に公表した。

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裁判資料① - 訴状(続き)

2009-06-29 23:14:15 | 裁判資料
ところがこれに対して教育庁は「C・D評価は・・3割程度」という部分が守秘義務の対象(秘密)にあたるとして原告に発言の自粛を求めてきた。さらに,都教委の下部機関である東京都中部学校経営支援センターは,懲戒処分の前提となる服務事故報告書を作成するためだとして,原告に対し事実確認を行い,報告書を人事部に提出した。その後報告書に基づいて2008年(平成20年)9月2日人事部吉原副参事による事情聴取が行われた。地方公務員たる教員については地方公務員法34条1項に守秘義務の定めがあり,守秘義務の対象となる「秘密」とは一般に了知されていない事実であって,それを了知せしめることが一定の利益の侵害になると客観的に考えられるものであり,いかなる事実が秘密に該当するかということは,個々の事実について,一定の利益,すなわち,保護されるべき公的または個人的利益の社会的価値を判断して決めるべきと解されている(「逐条地方公務員法」570頁)。
もっとも,仮にこの解釈に従ったとしても,国や地方公共団体の事務は,国民,住民の信託を受けて,その監視と批判の下に執行されることが民主主義国家における基本原則であるから,行政はできる限り公開され,いわゆる「ガラス張り」の中で行われるべきもので,行政が秘密裡に執行されることは極力避けなければならないという行政公開の基本原則(「逐条地公法」568頁)からすれば,教職員の業績評価の方法というものは公表して国民の監視と批判にさらすことこそが正当な取扱いであって,また,これを公表したとしても国民の知る権利に資することはあっても,何の利益も侵害しない。
すなわち,「C・D評価は3割程度」という指摘は,前述のとおり,校長会や業務評価の評価者訓練の場において,教育庁から全ての都立高校等の校長に対して説明され,各校長も気軽に上記指摘内容を教職員に話していて,都立高校等の教育現場では周知の事実であり,到底,秘密に該当するものではない。他方,本来絶対評価によるべき校長による第一次評価について都教委が相対評価を校長に強要することは業績評価実施要領に違反した違法な指導であり,地方公務員法32条の法令遵守義務違反にあたる行為であって,そのような違法な行政指導の実態を公表したとしても,国民の知る権利に資することはあっても守秘義務違反にあたらないことは明らかである。
したがって,教職員の業績評価に関する上記の指摘は到底,秘密に該当するものではなく,原告の行為は何ら守秘義務違反にあたらない。
よって,都教委による原告の発言が守秘義務違反であるとの主張は全くのでっち上げであり,都教委が守秘義務違反を理由に原告に発言の自粛を求めたこと,加えて,原告に対し事情聴取を行ったことには何の合理的理由もなく,いずれも原告に対する表現の自由の侵害に他ならない。原告はこれによって多大な精神的苦痛を被った。また,その態様が,でっち上げによる守秘義務違反だとの指摘によりなされたこと,さらに,懲戒処分の前提となる事故報告書の作成のためだとして事情聴取を実施してまで行われたことにより,原告はことさら人格権を侵害され,多大な精神的苦痛を被った。
 6 校長に対する職務命令の強要と名誉毀損
教育庁は,教職員は卒業式・入学式の国歌斉唱時に国旗を向いて起立し国歌を斉唱すること等を内容とした10.23通達の実践にあたり,2008年(平成20年)1月に行われた校長会においても例年と同様,「教職員に対し,卒業式・入学式の国歌斉唱時に国旗を向いて起立し国歌を斉唱する内容の個別的職務命令(教育庁及び都立学校の校長らの間では,口頭で行う職務命令のことを,それが教職員全体に対して行うのが通常であることから「包括的職務命令」と呼称し,書面で行う職務命令のことを,それが個別の教職員に対して行うのが通常であることから「個別的職務命令」と呼称していた。以下では「包括的職務命令」「個別的職務命令」という用語をこれらの意味において使用する。)を発出するように」との指導を行った。
原告は,10.23通達について,同通達が発出されている以上,同通達に従った卒業式・入学式を挙行しなければならないと考えていたが,同通達に従った卒業式・入学式を挙行するために,職務命令の発出が必要か否かの判断は職務命令の発令権者(学校教育法37条4項・62条)である校長が,その責任と判断で行わなければならないものであり,教育庁による上記の指導は,校長の権限を無視した違法・不当な干渉に他ならない。そこで,原告は,上記の校長会の場において,教育庁に対し,「三鷹高校では校長の権限と責任で個別的職務命令を発出するかしないかを決める。」と発言した。なお,原告は,これまで,10.23通達に従った卒業式・入学式を職務命令なしで挙行できる自信がなかったので,教育庁の指導はさておき,教職員に対し包括的職務命令及び個別的職務命令のいずれも発出してきたが,現場の教職員等の考え方及び教職員等との信頼関係いかんによっては,職務命令を発出する必要のない場合は当然あり,毎回,卒業式・入学式に先立っては,職務命令を発出しないで挙行できないものか慎重に検討をしてきたのであった。
すると,原告は教育庁から,その後6回にもわたって執拗に,個別的職務命令を発出せよとの指導を受け,個別的職務命令の発出を強要された。これは言うまでもなく,強要行為によって,原告の職務命令に関する裁量権を侵害しようとしたものである。またさらに,これら教育庁の指導のうち2回は,原告1人に対し,6人もの職員(東京都中部学校経営支援センター小山副参事,同鈴木室長,同後藤所長,教育庁人事部菊地管理主事,教育庁指導部高等学校教育指導課江本指導主事,同守屋指導主事ら)が出席して行われたものであり常軌を逸した過度の強要行為であった。
上記指導は教育現場に対する不当な干渉であって教育基本法16条1項の「不当な支配」に該当して違法である上,校長である原告の有する裁量権(学校教育法37条4項・62条)を侵害し,原告の教育の自由(憲法26条)を侵害するものであり,原告は著しい精神的苦痛を被った。またその態様が6回にわたってなされ,そのうち2回は原告1人に対し6人もの教育庁の職員からなされるという,執拗かつ威圧的な態様によってなされたことにより,原告はことさら人格権を侵害され,多大な精神的苦痛を被った。
結局原告は,2008年(平成20年)3月の三鷹高校定時制の卒業式に先立ち,卒業式における国歌斉唱の際の起立について,包括的職務命令のみを発出し,個別的職務命令は発出しなかったが,卒業式は適正に挙行することができた。教職員らとの信頼関係により口頭での職務命令だけで卒業式の適正な実施ができると確信していたからである。
ところが,教育庁は,三鷹高校定時制における処理が他の学校へ波及することを恐れ,全ての都立高校の校長に対し,「三鷹高校定時制でも個別的職務命令が発出された。」という虚偽の連絡を行ったのである。
この点「人の品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害」すれば名誉毀損となるが(最高裁判所昭和61年6月11日判決「北方ジャーナル事件」,判タ605号42頁),原告は前述のとおり「個別的職務命令を発出するように」との教育庁の指導に対して「校長の権限と責任で個別的職務命令を発出するかしないかを決める。」と教育庁の言いなりにはならない姿勢を,校長会の場において対外的に表明していたところ,原告の教育庁の言いなりにはならないという姿勢は,「人の品性,徳行,名声,信用等の人格的価値」であって,これについて「社会から受ける客観的評価である名誉」を,教育庁は虚偽の事実を流布することによって「違法に侵害」したものであり,教育庁の上記行為は名誉毀損にあたる。原告はこの名誉毀損行為によってさらに精神的損害を被った。
  また,原告は,2009年(平成21年)3月の卒業式に先立ち,教育庁職ら(同センター小山副参事,同北内室長,教育庁指導部高等学校教育指導課増田指導主事,同萩原指導主事,同守屋指導課長)から,4回にわたって個別的職務命令を発出するよう指導を受けた。これも強要行為によって原告の職務命令に関する裁量権を侵害しようとしたものであり,原告がこれによって教育の自由と人格権を侵害され多大な精神的損害を被ったのは,前述した2008年3月の卒業式に先立ち6回にわたる指導を受けた件と同様である。
そして原告がその指導を受ける中で「個別的職務命令を出さないなら起立するが,個別的職務命令を出すなら逆に起立しないという教員がいた場合は,個別的職務命令を出さない方が卒業式を適正に実施できるのだから,個別的職務命令を出さない方がいいのではありませんか。個別的職務命令を発出するのと,卒業式を適正に行うのとはどちらが重要なのですか」と尋ねたところ,驚くことに全ての教育庁職員が「個別的職務命令の発出のほうが重要である」と回答したのである。このことは教育庁の指導が,卒業式を適正に実施することよりも,校長を教育庁の指導に従わせること自体を真の目的としていたことを端的に表しており,上記の指導の全てがその目的からして不当であって,違法な指導であったことが明らかとなっている。
 7 都教委の恣意的,独善的,強権的な言動に関する事情
  (1) 研究発表会発表者の教員の変更
2006年11月頃,原告は,定時制通信制教育研究会の会長であった。同研究会において翌年の2月に教育指導体験発表会があり,その発表者について教育庁指導部高等学校教育指導課の高野課長(当時)より「初めに決まっていた発表者は止むを得ず引き受けたのだが,積極的に発表したいと言う人がいるので発表者を変えて欲しい」と電話があり,すぐに発表会担当の他校の副校長に尋ねたところ,すでに発表原稿が提出されていたので,高野課長に「原稿が出ているので変更は出来ない」と断った。しかし,いつの間にか発表者は交代させられていたのである。担当の副校長に聞いたところ本人も了承したからという話であった。その後判明したことだが,交代の理由は発表者がリベラルな内容の論文をある雑誌に掲載した為であった。発表を予定していた原稿はリベラルな内容とは全く関係のない教科指導の内容であり,特に交代させる必要は全くなかったのである。これも当初原稿を提出した教員の言論を弾圧したもので,憲法に違反した極めて悪質な措置である。
  (2) このように,都教委の恣意的,独善的,強権的な体質・言動は,原告に対してだけのものではなく,東京都の教育現場の至るところに不当な影響を及ぼしている
 8 小括
以上のとおり,都教委は原告に対し違法行為の強要,業務妨害,裁量権の侵害,言論弾圧等の数々の不法行為を行い,これにより,原告に著しい精神的苦痛を与えた。このような都教委の行為は国家賠償法上違法であるので,被告は原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

第4 原告の都教委に対する意見表明と本件不合格処分
 1 原告の都教委に対する意見表明
原告は,第3記載の都教委による各行為に対し個別に各記載のとおり意見を述べてきた。
その中でも,特に,職員会議における挙手・採決を禁止する通知に対しては,2007年(平成19年)10月の校長会において,都教委に対し,同通知は教育現場から民主主義的な議論を奪い活きた学校教育を阻害するものだとして,通知を発した理由を問いつつその撤回を要求した。
この問題については引き続き,2008年(平成20年)4月11日の校長会などにおいて,同通知の撤回を要求し,それと並行して,2008年(平成20年)5月中には,毎日,朝日,東京各新聞の取材を受けて新聞報道がされ,さらに,原告は5月2日,TBSの報道番組「NEWS23」に出演して教育現場から民主的な議論を奪うことの問題について国民に意見を述べた。
その後6月12日に行われた都教委による事情聴取の場では都教委に対し公開討論を行うことなど要求したが,都教委はこれを拒否した。そこで原告は8月4日に記者会見を行い,都教委に再度公開討論の申し入れをしたが,結局都教委は応じず公開討論は実現しなかった。 その間原告はマスコミの取材を受け,さらに東京MX,TBS,フジ各テレビに出演し報道されたほか,朝日,東京,読売,毎日等各新聞でも原告の意見が広く報道された。さらに原告は,2008年(平成20年)9月6日,都教委に対して,第3記載の都教委による各行為について原告の意見を述べ改善を求める内容の意見書を提出した(甲9)。
また原告は,第3の4記載の校長の第一次評価に対して行った都教委(担当者)の指導は,業績評価実施要領に基づかず,同要領と矛盾した指導であって,地方公務員法32条の法令遵守義務違反にあたるから,調査の上事実を確認し,服務事故として取り扱うよう東京都中部学校経営支援センターに対し内部告発を行った(甲10)。
これら,第3及び本項に記載の原告による意見表明は,都教委が教育現場,生徒,原告の言論を弾圧し不当な干渉を行ったことに対するもので極めて正当な意見表明である。にもかかわらず都教委は次項以下で詳述するとおり,これら意見表明と,そこに表れた原告の都教委の指示を無批判に受け入れるのではなく,是々非々で自らの権限に基づいて行動しようとする姿勢を疎ましく思い,原告を教育現場から排除すべく本件不合格処分を下したのである。
 2 本件不合格処分が都教委の裁量権を著しく逸脱していること
  (1) 東京都公立学校非常勤教員制度について
都教委は,1985年(昭和60年)3月に東京都の職員に定年制が導入された際,東京都教職員組合や東京都高等学校教職員組合等の連合組織である東京都労働組合連合会から,定年制導入の代償措置として定年後の教員の雇用の確保の要請を受け,同連合会との交渉を経て教員の再雇用制度を導入した。この再雇用制度は,以後23年余にわたり活用されてきたものである。
ところが,東京都の再雇用制度廃止の方針にしたがって,(中略)2008年度(平成20年度)から導入されたのが東京都公立学校非常勤教員制度である。非常勤教員制度については「都立学校等に勤務する講師の報酬等に関する条例」(甲11),「都立学校等に勤務する日勤講師に関する規則」(甲 12),「都立学校等に勤務する日勤講師の取扱いに関する要綱」(甲13)に定めが置かれているところ(但しこれら条例等における職名は「日勤講師」とされている。),都教委の説明によれば非常勤教員制度の導入目的は「団塊世代教員の大量退職時代を迎え,ベテラン教員の多くのマンパワーが失われていく中で,様々な問題の解決と学校教育の質の維持・向上に,これまで教職を長く経験してきた者の豊富な知識と経験を活かしていく。」点にあるということである(甲14)。
しかしながら,これまでの再雇用制度が定年後の教員の雇用の確保という目的を有していたこと,非常勤教員制度が再雇用制度の廃止に伴い,これに代わって導入された制度であること,高齢者雇用安定法の「定年の引上げ,継続雇用制度の導入等による高年齢者の安定した雇用の確保の促進,高年齢者等の再就職の促進,定年退職者その他の高年齢退職者に対する就業の機会の確保等の措置を総合的に講じ,もつて高年齢者等の職業の安定その他福祉の増進を図るとともに,経済及び社会の発展に寄与することを目的とする。」という制定趣旨(同法1条)からすれば,非常勤教員制度は,定年後の教員の雇用の確保という目的を当然に有しているといえる。
このことは,もし,教員の定年後の雇用の確保が図られないとすると,教員は60歳の定年から65歳の年金受給開始まで5年間,共済年金以外は無収入となって,定年退職後の生活安定が著しく害される結果となってしまい,同法の趣旨が損なわれることを見ても明らかである。
このような,非常勤教員制度の定年後の教員の雇用の確保という目的からすれば,非常勤教員の採用における都教委の裁量の範囲は狭く,これまで教員として勤務してきた申込者であれば,原則的に非常勤教員として採用されるべきことは言うまでもない。
  (2) 非常勤教員の採用における都教委の裁量権の範囲
そこで,上記の非常勤教員制度の趣旨・目的を踏まえ,その採用における都教委の裁量権の範囲について具体的検討を加える。
   ア 非常勤教員制度が定年後の教員の雇用の確保という目的を有しているのは上記のとおりであり,そうだとすれば,申込者は原則として全員が採用されるべきである。
   イ また,非常勤教員の採用の選考基準については「提出された書類の審査及び面接等の結果を総合的に勘案して選考する」(平成20年度非常勤教員採用候補者選考実施要綱,甲15)とされているだけで,具体的な選考基準は何ら定められていないが,申込者の結果予測可能性及び期待権の保護の見地からすれば,具体的な選考基準が定められていないのは,都教委に広範な裁量権を与える趣旨ではなく,原則として申込者全員を合格として採用する趣旨であるからといえる。
   ウ さらに,非常勤教員の採用の選考基準は上記のとおりであって,格別の資格の保有や高度の能力の具備が求められているわけではなく,選考手続として選考試験が行われたり,能力や適性について詳細な調査が行われるわけでもない。選考基準がそのようなものとされているのは,選考手続において厳格に合格者・採用者を選別する趣旨でないことの現れであり,原則として申込者全員を合格として採用する趣旨であることを裏付けている。
   エ さらに,非常勤教員と同趣旨の従前の制度である再雇用制度においては,毎年,全員ないし圧倒的多数の申込者が合格・任用とされていた。そして2007年度(平成19年度)の非常勤教員の採用候補者選考においても,761名の申込者のうち,不合格となった者は僅か30名であり,合格者731名のうち,合格を取消された者は1名のみである。結局合格率は96%にも上っている(甲16,なお,合格者のうち47名は辞退しており,任用数は683名である。)。このように,再雇用制度から非常勤教員制度への移行においても,圧倒的多数の申込者が合格・任用されるという取扱いは何ら変更されてない。
   オ 以上からすると,退職前の職と非常勤教員の職は事実上の継続性を有しており,原告ら教職員は非常勤教員として採用されることについて法的保護に値する合理的な期待を有しているといえる。
   カ したがって,都教委が非常勤教員の採用に関して有する裁量権は相当に限定されており,申込者を不合格・不採用とすることについて高度の客観的合理性と高度の社会通念上の相当性が認められない限り,その行為は裁量を濫用,逸脱したものとして違法・無効となるというべきである。
  (3) 都教委による不合格処分は裁量権を濫用,逸脱し,違法,無効であること
   ア 原告は,教育者として優秀な能力,資質,経験,そして,教育に対する情熱と豊かな人間性を備えており,生徒,保護者はもちろん,教育関係者からも,原告の人となりは,高く評価され,慕われてきた。
そして,原告が退職するまで,現に数々の都立高校の教頭,校長を歴任してきたという経歴だけを見ても,少なくとも原告が都教委に対して意見表明を行う前の段階では,都教委も原告の教育者としての能力等を高く評価していたことは明らかである。
当然,原告には,過去に懲戒処分を受けた事実はない。
とすれば,非常勤教員の採用候補者選考において,都教委が,原告の都教委の言いなりにならない姿勢と意見表明とを疎ましく思い,単に原告を教育現場から排除することを目的として本件不合格処分を行ったことは明らかであり,裏返せば,原告が意見表明を行わなければ都教委は本件不合格処分を行わなかったであろうこともまた明らかである。
   イ そして,原告の行った意見表明についてみると,都教委が原告に対して,違法行為の強要,業務妨害,裁量権侵害,言論弾圧等を行い,さらに教育現場,生徒に対しても言論の弾圧を行ったことについて,都教委に対し,逐一意見を述べてきたほか,加えて,総括的な意見書を提出するとともに,関心を持った報道の取材にも応じたというものであって,極めて穏便で,民主主義的な手段によったものである。
都教委は,原告のこのような意見表明に対して正面から反論することをせず,あろうことか,原告を非常勤教員として採用しないことによって,原告への報復を企図したものである。
   ウ したがって,このような,本件不合格処分の目的が原告への報復にあるという点のみからして,都教委による本件不合格処分は裁量権の範囲の議論をするまでもなく違法,無効であるといえる。
   エ さらに,都教委の目的の点を一旦度外視して,本件不合格処分の理由である原告の意見表明についてみても,上記のとおり,極めて穏便かつ民主主義的な手段によったものであり,言うまでもなく正当な行為である。それに対する都教委の対応は,本件不合格処分をもって原告に生活の基盤を失わせるような著しい不利益を課し,もって,原告の表現の自由を弾圧しようとする手段に出たものである。これは,体制に批判的な人間に言論で対抗することなく,暴力的手段によって次々に抹殺していった,かつてのファシズム国家のやり方と何ら異なるものではなく,極めて強権的かつ卑劣な行為である。したがって,都教委の本件不合格処分の目的に何らかの合理性があったとしても,本件不合格処分は,目的と手段の均衡を著しく欠いており,比例原則に反するといわざるを得ない。
したがって,都教委による本件不合格処分に客観的合理性や社会通念上の相当性は全く認められず,裁量権を著しく濫用・逸脱しており,違法・無効であることは明白である。すなわち,都教委による本件不合格処分は国家賠償法上違法であり,被告は原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

第5 損害
 1 逸失利益
非常勤教員は,採用されれば4回の更新により合計5年間勤務することが可能であり,原告は,違法な本件不合格処分がなければ,非常勤教員として5年間勤務し,その間賃金を受け取ることができたのであるから,本件不合格処分による原告の逸失利益は,5年分の賃金相当額ということになる。
非常勤教員の報酬は月額19万7000円であるから(甲12),原告の逸失利益は,1182万円となる。
 2 慰謝料
都教委は,第3記載の各行為によって原告に著しい精神的損害を与えた上,第3及び第4記載の意見表明を行った原告に対し,違法な本件不合格処分をもって,生活の基盤を失わせるような著しい不利益を課した。そして,それによって原告の言論を厳しく弾圧しようとしたのである。都教委の行為は極めて悪質かつ横暴な報復行為であり,これによって被った原告の精神的苦痛は,金銭に評価しても金500万円を下らない。
 3 弁護士費用
原告は被告に対し,前各項の損害に関する弁護士費用として,少なくとも前1,2項合計額の1割である金168万2000円の支払を受ける権利を有する。
 4 合計 以上より原告に生じた損害は,合計で1850万2000円となる。                        以上

当 事 者 目 録(抄)
      原   告     土  肥  信  雄
      被   告   東  京  都
       代表者    知事   石  原  慎 太 郎

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