旧国立競技場の聖火台を作った職人の遺族の鈴木昭重氏は埼玉県川口市にある「聖火台」の思い出を語る。
東日本大震災で被災した宮城県石巻市に復興のシンボルとして貸与中の旧国立競技場の聖火台。男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治選手を中心に石巻では聖火台を磨く維持活動が行われている。今も聖火台は2020年の東京オリンピック・パラリンピックで再利用案が上がるほど敬意を集める。その裏には「命懸けの聖火台」として語り継がれるドラマがあった。
■聖火台の波模様は太平洋を表現
高さ2.1メートル、重さ2.6トン。聖火台はかつて鋳物産業で栄えた埼玉県川口市の鋳物師(いもじ)、鈴木萬之助さん、文吾さん親子による作品だ。もともと1958年の第3回アジア競技大会に向けて作られたもので、横線は参加国・地域の数、波模様は太平洋を表している。
「次のオリンピックは兄弟の分も見届けないとね」と語るのは萬之助さんの末子、昭重さんだ。萬之助さんには男女10人の子がいたが、鋳物師を継いだ4人の子息は昭重さんを除いてすでに他界している。
川口にはレプリカと呼ばれる本物そっくりな聖火台がある。昭重さんによれば、これはレプリカではなく「聖火台1号」だ。
聖火台は当時の川口市長を通じて国が依頼してきた。納期3カ月で20万円という条件で、大手企業は軒並み断ったという。<つづく>
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http://style.nikkei.com/article/DGXMZO00225990Y6A420C1000000?channel=DF220420167271