画廊主の独り言

銀座京橋に在る金井画廊の画廊主によるブログです。

ふりつもる刻

2016-11-05 22:58:12 | 日記

ふりつもる刻 / 森幸夫

今日から森幸夫展がスタートしました。個展は2000年より隔年で開催、9回目となります。

森画伯はここ数年、津軽・十三湖付近の荒涼とした風景に魅せられ、静謐で滋味豊かな空気感を描き続けています。

その画面は説明のないシンプルな空間の中にも、えもいわれぬ温もりを感ずることができます。油絵具を何度も何度も重ねては削り、通常重ねていく段階で色彩は透明感を失っていくものですが、透明感は保ちながら深く温かな色彩を造り上げています。

22点の新傑作の中に「ふりつもる刻」という作品があります。津軽という土地は雪は降りますが、風が非常に強くて厳冬にならないとなかなか雪が降り積もりません。うっすらと白く映る手前の丘陵は、無論深々と降る雪を想像することもできますが、私はこの「ふりつもる刻」は作家自身の画業人生における今の心境を表す心的表現と理解しています。

風景画を究めるということより、油絵の具という重い材料を用い、いかに深く温かく観る人の心の奥底へ浸透する空気を創り出していくのか。この目的に適う場所が彼にとって津軽・十三であり、この広大なアトリエを起点に絵具を重ね、画業を重ね、そして人生を重ねること、という表現が「ふりつもる」に帰結したのではないかと私は思います。

森画伯の利き腕は、ある理由により胸の高さまで上げることはできません。重いものを持ち上げることもできません。絵を描く時はキャンバスやスケッチブックを下に置き、ゆっくりと確かめるように線を引きます。しかしながら裸婦の体の線や砂山の丘陵の線などはとても力強く滑らかでとても不自由な手によるものとは思えません。

本人にとって絵を描くということは、労力的にはとてもつらいことであるのに、精神的には濃密で至福の時間なのであり、この歓びこそが生きた線や色彩に昇華していっているのだと思います。
手が不自由であることは、ある意味で守備範囲が狭くなる、つまり大きな作品が描けない、従って公募展に関われないということです。しかし群れることの大嫌いな彼にとって一人でこつこつと描けることは好都合なのです。この濃密で至福の時間は「絵とは何か」と自問自答する生き方に、ひいては本物の絵画制作につながっているのだと思うのです。

画家を生きる。苦悩と歓びを繰り返しながら美を極めるこの生き方が、やがては世界中の人々の心の糧となるよう希求してやみません。