司書教諭日誌

福島県の公立小学校勤務。小規模校勤務ですが、司書教諭に任命されました。
日々の取り組みや学級指導を綴るブログです。

県庁にて

2012-09-14 23:21:51 | ふくしま大会
福島大会の実行委員長といっしょに、コンベンションビューローを通じて申請していた助成金についてのヒアリングに、県庁に行ってきました。
アポイントメントの時刻は午後6時。
県庁では5時15分に「今日は金曜日です。残業をやめて家に帰り、リフレッシュしましょう」といった放送が流れるのだそうですが、私がついたときには大勢の人たちがぞろぞろと退勤していきました。

でも、毎日終電で帰っている部署もあるそうです。
私たちが面接したのは先方から時間指定されたのですが、役所の残業時間に面会時刻を設定するというのが意外でした。
当然、担当者も残業ですものね。

ヒアリングは6時半すぎには終わりましたが、帰りはエレベーターも一基しか動いていなかったし、1階玄関は閉まっていたので2階通路を通って階段を下り、守衛室をすぎなければなりませんでした。
エレベーターで、県庁に出向している元同僚にばったり出会って案内していただかなければわからなかったでしょう。

いろいろなことを経験させてもらっているなあと思います。

学図研福島大会・その3「実践報告」「分科会」

2012-08-22 20:14:38 | ふくしま大会
大会2日目の午前、学図研全国大会の要とも言える実践報告は、小学校と高校のベテラン司書さんから、とてもレベルの高い発表をしていただきました。

大阪府T市の小学校司書U・Iさんは、「“ふだん使い”の学校図書館」と題して、豊富な例を元に、どんなふうにしたら学校図書館が、本が子どもたちの学びを変えていくのかお話されました。
「本はじわじわ効いてくる」まさに……!
子どもたちとのやりとりや子どもの声が、ふだんの図書館の雰囲気をよく伝えているようで、こんな学校図書館のある小学校の生徒になりたかった!と思いました。(生まれ変われるなら、ぜひ!)

島根の進学校の司書U・Sさんは、授業で生徒が学校図書館をインフラとして「使い倒してもらう」ためにやってきた取り組みを、やはり豊富な事例をもとに話していただきました。
高校生を相手にしても、やはり資料の探し方や報告書の書き方などは教えていかなくてはならないようです。
でも、生徒は必ず成長すると、経験をもとにきっぱりと語られる姿がかっこよかったです!


午後は分科会ですが、こちらは4時間という長丁場です。
これも学図研全国大会の真骨頂でしょう。
全部で8つの分科会が設定されました。
「楽しもう! 利用教育」
「学校図書館は教育のインフラ! 学びに活かすそのノウハウ」
「貸出履歴活用サービスと図書館の自由」
「学校図書館行事を考える」
「探究型学習は やってみなくちゃ支援できない!」
「読書をより豊かに 『リテラチャー・サークル』」
「『職員問題を考えるプロジェクトチーム』と学校図書館職員像を考える」
「被災地に、本を読める環境を」

この8つの分科会名は、今まで何度も何度もパソコンで打ち込んできましたが、そのたびに、いいテーマだなあと唸っておりました。
自画自賛という意味ではありません(^_^;)
それぞれの支部が、今の学校図書館を巡る問題や課題の、良いテーマを選んでいると感心させられたのです。
そして、参加者も問題意識を持って分科会を選んでいることに感心させられました。

今回、個人的に気になっていた分科会が2つあります。
一つは「リテラチャー・サークル」。
なんと、新潟大学の足立幸子先生を講師にお招きすることができたのです!
大変お忙しく、日本各地で講義を行っている足立先生ですので、お時間を割いていただくのも大変だったと思うのですが・・・本当にありがたかったです!
去年の6月、震災後はじめて上京して、SLAの足立先生の講座を聞きにいって、7月末に市内の先生たちに伝達講習をしたら大変好評で、8月の学図研大会でも反響があり・・・いつのまにか「リテラチャー・サークルのワークショップを福島大会で」というのが私の夢になっていました。
そこで無謀にもお願いしたら・・・・夢がかないました。いえ、かなえていただきました!
支えてくださった、大阪のKさんにも感謝しています。
嬉しかったのは、同じ学校の先生がこのワークショップを受講して、「すごく楽しかった。2学期にクラスでやってみたい」と言ってくれたことでした。
その言葉を聞いて、どれほど嬉しかったかしれません。

もう一つは、福島支部が担当した「被災地に、本を読める環境を」です。
子どもの本に関する支援活動を行った3者が発表されました。
県内で最大の避難所だったビッグパレットに仮設図書館を作った富岡町の職員と県立図書館の方から、生の声を聴くことができたのはとても貴重な機会だったと思います。
新聞や雑誌などでは、ある意味、いいことしか報道になりません。
例えば、あくまで例ですが「避難所に図書館ができて、被災者が喜んで利用しています」といったことは記事になりますが、失礼ですが「図書館はできたけれど、あまり利用されませんでした」といった内容だと記事にはなりにくいのです。
そういった感じの、うまくいかなかったことも含めてお話が聞けました。
震災後、町の職員であるKさんは5日間不眠不休だったとか・・・今も郡山市で仮の役場にお勤めです。
お忙しいところにおいでいただき、ありがたかったです。

次は、大熊町の小学校で司書をされていらしたKさんの発表です。
Kさんは、まず大熊町が今までにどのような図書館教育を行ってきたかをお話しされました。
はじめは手探りだったかもしれませんが、力のある司書を置くことで学校図書館がみるみるうちに変わり、充実していく様子がわかりました。
文科省から表彰も受けていたそうです。
震災後、大熊町は会津に役場機能を移転し、集団で避難して小中学校も開設しました。
そして、その中には学校図書館もでき、ちゃんと司書を置いたそうなのです。すごい・・・!
初めは空いた部屋に段ボールに入った箱を並べる程度だったそうですが、震災前から学校でボランティアをしていた方々が整備して、すばらしい学校図書館ができたようです。
コーディネーターとして活動したKさんの役割が大きかったことはいうまでもありません(ご本人はおっしゃいませんでしたが)。
「図書館の学校」の調べ学習コンクールのポスターには、大熊町の小学校図書館の写真が採用されたそうです。
今までに大熊町で実践してきた積み重ねが、こんなときにも生きたのだなあと思いました。

次は、関東の司書や学生等で作られた「saveMLAK(セイヴ・ムラック)」という団体の活動紹介です。
「saveMLAKは博物館・美術館 (M) 、図書館 (L) 、文書館 (A) 、公民館 (K) (M+L+A+K=MLAK) の被災・救援情報サイトです。被災地域の各施設の被災情報を集め、必要とされている情報を発信しています。」(公式HPより)
代表のYさんと学生2名が、MLAKの活動のうち、主にWEB上で行ったことを発表されました。
学生のIさんはネット中継も担当されただけあって、パソコンを駆使した発表でした。
その発表スライドもウエブ上で公開されています。
被害にあった図書館・博物館などのデータを蓄積するだけではなく、対象者別の情報ポータルサイトとして役立つように情報を蓄積しているのだなと感じました。
今回の震災では信頼できる「情報」の価値やありがたみがわかりました。
「情報」の伝え方・伝わり方にも変化があると感じました。
そういう「情報」に特化した支援もあるのだと教えていただきました。


会場には、宮城や新潟で被災された方などがいらして、それぞれの立場からご意見などを語ってくださいました。
もっともっと時間をとってお聞きすればよかったと思います。
反省事項が2つ。時間が押しているのに、私まで発言するんじゃありませんでした。反省しています。
もう一つは、部屋の冷房がなかなか入らなかったこと。
もっと前から冷房スイッチ入れればよかった?

分科会の最後に、会津の朗読グループ「アグリーダックス」が公演を行いました。
「ピートのスケートレース」という、第二次世界大戦下のオランダを舞台にした絵本を朗読劇に仕立てたもので、
主人公の少年役は、現役高校生が演じてくれました。

ピートのスケートレース (世界傑作絵本シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店


戦争下の緊張、少年の勇気、高揚感、最後まで息をひそめて聞き入りました。
上手な演者の朗読劇は、まるで魔法のようです。
劇の最後には、固く閉ざされていた感情の扉がぐいっとこじ開けられた気がして、慌てて閉じました。
絵本の力は、危険です。











その2・ナイター

2012-08-20 08:13:37 | ふくしま大会
1日目の夜の講座「ナイター」は、全部で6種。時間は2時間。
夜の講座なので、どちらかというと肩の凝らない内容のものだったようですが
今回は、緊急ナイターが設けられました。

学校司書法制化の動きに対して、学図研としてどのような方針でいくか、
どんなアピールを出していくべきかを協議する場が必要だということで
大会数日前にナイターを新設する旨、連絡がきました。
学図研ニュースや全国委員メーリングリストでも連絡が来ましたが、
なにぶん緊急に決まったナイターだったので、参加者を当日も募ることになりました。
中には、大会への参加を見合わせたけれど、このナイターがあると知って参加を決めたという熱心な方もいらっしゃいます。

私は一通り会場を見て回ったあと、福島支部が担当した「お話の部屋」に行きました。
会津を代表する語り部のI・Nさんが、滑らかな語りで会津の昔話をされていました。
会場には保育でお預かりした小さいお子さんたちがIさんの目の前に座っていて、じっと話を聞いているのがほほえましかったです。
それにしても、語りの見事なこと・・・!

第2部は、T・Kさんのパーソナルストーリーに、ソプラノ歌手のT・Aさんが歌を挟む構成で、
高橋さんが被災者たちから聞いたことなどを、ある一人の女性の物語に仕立て、それを自分の体験のように語るというものでした。
浜通りに住む、ごく普通の主婦が震災時にどんなふうにすごしたか、どんな体験をしたのか語られ、会場では涙ぐむ方も見られました。
ときどき挟まれるT・Aさんの歌も、気持ちを揺さぶってくれました。
T・Kさんが語られたことは、物語というフィクションですが、本当にあったことをもとにしています。
震災を語り継ぐためには、こういう形にするのが効果的かもしれません。
事実を「報告」するのでは、聞く人の心を打たないでしょうけれど、T・Kさんの語りには聞く人の心に響くものがあったと思います。


9時にナイターが終わったあと、9時半からは全国委員による反省会です。
終わったのは12時少し前。
そこから私は家に忘れ物を取りに戻りました。
翌日の分科会で使うアレを忘れてしまったのです!

ついでにシャワーを浴びてメールチェックなどしていたら支部の人から電話があり、この日は自宅で休むことに・・・
本来はホテルに詰めていなくちゃならないのに、申し訳ない話です。
翌日は6時前に家を出ました。
コンビニで、昨日取材が来た新聞社の新聞を買って、会場ホテルに向かいました。

学図研福島大会・その1「講演」

2012-08-17 21:56:21 | ふくしま大会
大会から、あっという間に2週間が過ぎてしまいました。
その間、他のことに全力投球(?)していたのですが、
なんとなく大会からも距離を置いていた面があります。
あまりにも大きなことだと、それに対して自分がどう考えたかを文章にしていくのが大変なのは、
自分の立ち位置を考える必要があるからです。
それを考えるには、ある程度の気力がいるので、去年はついに振り返ることができませんでした。

でも、今年はそろそろ振り返ってみたいと思います。
ぼちぼちいきます。

学図研福島大会 第1日

講演「未来に生かす『までいの力』」
        福島県飯舘村長 菅野典雄さん


「誰それ?」
そう言われてもおかしくない人選だったと思います。すみません。

去年の6月、福島で大会をやることを決定して、
初日の午後をどうしようかと考えたときに、
私にはこの方しか頭に浮かばなかったのでした。

大会初日の午後は、大会テーマに沿った講演やパネルディスカッションなどが行われます。
山陰大会のときは前・鳥取県知事の片山教授の講演があり、
その会場に島根の溝口知事がいたことがその後の島根県を大きく変えたという大事な場でもあります。
(去年は・・・私が世間知らずだったということです。お役に立てたとは・・・(-"-))

去年の6月段階で、福島でネームバリューのある人で伝手のありそうな方といったら、
ツイッターで詩を発表して大きな話題になった某詩人や本屋大賞をとった人気作家くらいでしたが、
それよりも菅野村長がいい!と支部で決定されたのは、やはり震災の影響だったと思います。

私が推薦したのには、きわめて個人的な理由もあるのですが・・・

実家が飯舘村に近く、以前から飯舘村の取り組みを耳にする機会が多くありました。
村営の本屋さん「ほんの森いいたて」にも、行ったことがあります。
1989年の「若妻の翼」(村のお嫁さんをヨーロッパに派遣した事業)も知っていましたし、
村長がダム湖に「世界でいっ湖」と命名しようとして果たせなかった、なんてことも知っていました。
(「世界でいっ湖」にすれば絶対に注目されてニュースになるのに……といった記事でした)
「若妻」のおひとりが村に開いたコーヒー店「亜久里」にも何度か行きました。
飯舘牛が次第にブランド牛として有名になっていく傍ら、
村人が牛肉を食べられないというのはおかしいからと、ミートバンクを作ったのも知っていました。

そうした村おこしや町おこしの話が大好きだったので、アイデア村長の菅野さんのことは
昔から知っていて、「すごいなー」と思っていたのでした。
「男と女のラブレター」という著書も持っています。
(出た当時は私も若かったので、夫婦仲を描く内容はまだよく理解できませんでしたが)

前置きが長くてすみません。

原発事故により、高い放射線値で、飯舘村は4月半ばに全村避難を国から命じられました。
6月の支部会といえば、おそらくまだ全員が避難していない時期だったと思います。
そんな段階で、しかも、これから先もずっと超多忙であるはずの村長に、なぜ?

・・・・・・・・・・・・今、よくよく考えると不思議ですが、あのとき、私は未来のことしか考えていなかったようです。
自分の仕事でも、とにかく目の前にいる子どもたちをしっかり育てなければ!という思いがいちばん強かった時期でした。
飯舘村が大変な状況にあっても、テレビなどで取材を受けている菅野村長は非常に落ち着いて、先々を見据え、手を打っておられるようでした。

今の福島が置かれている状況を、そして子どもたちをどう育てていくべきかを語っていただくのに、これ以上の人はいないのではないか?

ある意味、とても独善的な(ひとりよがりの)人選だったかもしれません。
もしも震災がなければ、おそらく講演者には選ばれなかった人物です。全国委員会の許可も下りなかったでしょう。
でも、震災と原発被害にがぷりよつに組んでいた当時の私たちには、「この人しかいない」と思えた選択だったのでした。


いけません、どうしても言い訳じみてしまいます。
しかも、肝心の講演内容にまでたどり着きません。

講演は、2時間近く、フルで行われました。
「発想を変えよう」という話から始まり、震災前の村つくりの様子、
村のさまざまな取り組みが紹介されました。
震災のことで、誰かを恨んだりするような言葉は一切なかったように記憶しています。

よかった、と思いました。
福島県の被害については人災だという人もありますが、起こってしまったことについては誰を恨むか、誰のせいにするかと追及することに労力を割くのはもったいないと私は思います。
恨んだり文句を言ったりするのではなく、現状に対して、あるいは未来にむけてどうするか、という点を語っていただくことができたのはよかったと思います。

質疑応答で感心させられたのは、学図研会員の質問のレベルの高さです。
村長の話の中で要となるような点や、明らかに説明不足だった点をきっちりついて質問されていました。
また、著書「美しい村に放射能が降った」を読まれて、鋭く質問された方もありました。
村長さんも嬉しかったかもしれません。
質問に答える方が講演よりのっていらした・・・?

感想も興味深く拝見しました。
感想を書いてこられるくらいの方は、みなさんそれほどひどいことは書かないのでしょうが
人によって受け取るメッセージが違うようでした。
私が講演から受け取ったメッセージは、WE MUST GO ON.
「進み続けなければ」でした。


最後に、ネット中継について。

こうした研究会などをネットで中継することが次第に広がってきています。
今回、学図研全国大会では初めてネット中継が実施されました。
他の発表も中継されるとよかったのですが、著作権などの兼ね合いで、結局村長の講演(質疑応答は除く)のみになりました。
村長も「少しでも多くの方に福島の現状を知っていただけるのはありがたい」と快諾していただきました。
結果として、最大で100名以上が見たようです。

福島支部だけでは、とてもとてもこのような中継などはできません。
埼玉支部のMさんが中心になって、すばらしいスタッフとともに中継してくださいました。
わざわざ会場の下見にまで来てくださったのです。頭が下がります。

中継中のツイッター管理も、ネット中継スタッフが行ってくださいました。
ツイッターと連動して、意見や質問などを集めるのも、これからもっともっと広まりそうです。
世の中は、一方的に話を聞くものから、双方向で意見を述べる時代になってきたのだとつくづく思いました。












大会終了

2012-08-05 17:05:31 | ふくしま大会
おかげさまで、学図研福島大会がなんとか終了しました。
ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました!!!



私の耳には入ってきませんでしたが
「なぜ(よりによって)福島でやるんだ」という非難はあって当然だったと思いますし、
そう思われてもしかたがない状況でした。いえ、今もそうかもしれません。

ちょうど一年前のこと。
兵庫大会の閉会行事の壇上で、次回の大会事務局長として挨拶をさせていただきました。
あの頃、うちの学校からは転出者が続出(昨年度末までに全校生徒の5分の1が転出)、校庭は表土を剥いで使用できない状態、
今回の会場となったホテルは二次避難所が解除になったばかりで、観光客はほとんどいませんでした。

そんな状態なのに、なぜ大会をやろうと思ったのか。
大会を開くことを決めたのは支部の総意によるものなので、各人いろいろな思惑があったことと思いますが
私がやろうと決めたのは、これからずっと福島で生きていく上で、学図研の全国大会のようなレベルの高い研究会を開くことは、きっと地元のためになると思ったからでした。
そういう、きわめて単純な思いつきからです。
福島県の「人」のレベルが上がれば、結果として子どもにフィードバックするでしょうから、やってみて絶対に損はない、だったらやるべきだ! という、きわめて単純な発想だったのでした。

でも、兵庫大会に出て、いろいろな人から「来年、福島に行きます!」と力強いお言葉をいただけて、思いつきや発想は決意に変わっていきました。
絶対に成功させたい!
来て、参加してよかったと思われるような大会にしたい!!

決意はしたものの、なんとも頼りない事務局長でした。
そもそも全国委員の経験すらないので、前大会の事務局から送られた資料を「解読」しながら手探りで準備を進めました。
なんとか大会が開けたのは、ひとえに少数精鋭の支部メンバーの力によるものです。
支部の人数もそれほど多いとは言えないのですが、一人で何役もの仕事を担当しながら一丸となって進めて行きました。
私が学期末などでへろへろしているときは、代わりにリーダーシップを取って、率先してテキパキ仕事を進めてくれた人たちもいます。
指示待ちではなくて、一人ひとりが自分で考えて行動したから実現できたことだと思います。
支部の精神的支柱ともいえる大会実行委員長の存在も大きなものでした。

さて、実際に大会が始まってみますと、発表や研修の内容がすごいのなんの・・・・・!
思わず震えがくるような質の高い発表を聞きながら、「これだ、これなんだ!」と思いました。
今後、学校図書館に関わる私たち一人ひとりが、少しでもよい仕事をしていくことが
未来に生きる福島の、いや、日本の子どもたちを育てていくことになるんだ! と。
まさにこれは、大会テーマの「人を育む、未来をつくる学校図書館」と、ぴったりと重なります。


今年の大会は、直前に飛び込んできた「学校司書法制化」のニュースによる影響や被災地支援という側面があり
歴代の全国大会の中では極めてイレギュラーなものだったと思います。
参加者の感想の中には「大会の場所が福島と知って、来るつもりはなかった」と書いた方もありました。
その方はこう続けていました。
「でも、来てよかった」

福島大会に来てくださった、すべての参加者に感謝します。
ありがとうございました。