「短い小説」岳 洋著

ひとり静かに過ごす、土曜の夜のひと時・・・

 

「二通の手紙」寂しい終の訪れが・・10

2017-07-16 07:36:27 | 日記

新宿駅の中央本線松本行きのホームにいた。

上高地の山小屋で合宿をしていた頃の写真を鞄に入れて家をでた。 
日帰りの予定なので早朝の特急列車と最終の特急列車の往復切符を手配していた。
涼子は夏山の高原の厳しい陽ざしを避けるのかサングラスを掛け、スポーツシューズを履き、爽やかな軽装で現れた。 
  「涼子さん、とても素敵だよ」
思わず見とれて声にした。
  「恥ずかしいわ。 初めて誉めて頂きありがとうございます」
深々と頭を下げてふたりして大笑いをした。
車内は家族連れで満席だった。
席に座り暫くすると、出発のベルがなり、身体に軽く連結器の響きを感じ列車は静かに動きだした。 

本線は都心を抜け、高尾山の八王子を皮切りに、大月辺りを過ぎると迫りくるような緑の多い山間の谷間を走り、葡萄畑の甲府、諏訪大社の御神木の諏訪湖を通過していった。
車窓からは山々が近くに見え、旅行者の眼を楽しませてくれた。
ふたりは持って来た懐かしい写真で何時しか時間を忘れ、この世界に埋没していた。 
終点の松本に着いた。

数時間前にいた都心にない清々しい空気に触れた気がした。  
素朴な木でできた改札を抜けて駅舎を振り返って正面をみた。  
  「変わっていないわ。 もう、五年は過ぎたわね。」
  「そうだね。昔のままだね。」
  「懐かしいな~。」
大学の四年間、夏を迎えると、美術部の合宿は上高地の山小屋ヒューッテに宿泊し画材を肩に背負い好きな被写体を求め三々五々に山裾に散り油絵を描いたものだ。 

あの時、大きな岩の上に陣取り、テレピン油で薄めた筆具でF10号のキャンパスに真夏日の、強い陽射しに映える山間の樹々を素描していた。
近くにも何人かの部員がそれぞれイーゼルを立てて画題に取り組んでいた。
ふと、その中のひとりに涼子がいたのを想いだしてきた。

 時には、制作の疲れを癒しに山の小さな池に浮かぶボートで水面での散策に興じたり、また、ボート乗り場での「白鳥の湖」を模してパフォーマンスをしたり、或いは山の小さなヒューッテで山の手作りの食を口にしたりと・・・。
思い出は湧き水の如く吹き出て尽きない。
想い出とは「心のふる里」の何ものでもないことを知った。

 夕食時には、この地で採れる山菜の多い食事を友と語り合いながら若さ溢れる喧噪なひとときに浸っていた。 
先生や先輩を囲んでの部屋ごとの隠し芸、そして一日の終わりは山の歌の合唱に始まり、替え歌の部歌で暮れ、若さ溢れる青春のエネルギーを放出尽くしていた。
正に、青春真っ盛りだった。
 
特に想い出深く忘れられない合宿最後の夜は、山間に囲まれた広場に丸太を高く組み、大きなキャンプ・ファイヤーを満天の星空に向けて焚き、その周囲を全部員で囲みフォークダンスに興じた。
総勢七〇余人で唄う歌声は山々に木霊し、山の霊に吸い込まれていった感があった。
広場一帯に夏山の冷気と月明りが射し交じり、中央にはキャンプ・ファイヤーの燃え上がる炎の灯りが全員の顔を照らしていた。 
揺れる炎の灯りは若者の顔に陰影をつけ凛々しく見えた。 
こうして青春を謳歌した合宿は七日間も続いた。

教会が運営している素朴な山小屋ヒューッテの前に足を止めた。 
今日は、宿泊者がいないのか閉まっていた。
キャンプ・ファイヤーを焚いた広場は遠くに見えた。  
泊まり込んでいた山小屋ヒューッテから、この想い出深い広場までの蛇行している小径をゆっくりと当時を懐かしみ足で踏みしめ確認しながら歩いた。 
遠くに見える山々の景観は時が移り過ぎても昔のままだ。  
 
この時、影絵のように友が動き回り、喧騒な若々しい声と歌が聴こえてきた気がした。 
ふと、我に返った。 懐かしさが幻想を見せたのだろう。 
フォークダンスに興じたと言うことは、涼子ともフォークダンスで手を組んだ事があるのだ。  
そう思うと、何故か可笑しさが込み上げて、ひとり含み笑いをしてしまった。 
  「何を想い出して含み笑いをしているの。 いやね~」
涼子も何かを想い出したのか、笑みで返してきた。

「時間があったら、安曇野の碌山美術館にも寄ろうね」
と、涼子にひと声かけた。 
宿願の「トルソー」と「啄木鳥のドアのぶ」を見ておきたいと思った。

嬉しそうな涼子の横顔。 
だが、一瞬寂しい瞳が過ぎたかに見えた。 
涼子は口も利かず、ひとり世界に入っているのか静かな歩みで河童橋を渡っていた。

(つづく)

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