『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

学体力とはなにか? ①

2014年08月30日 | 学ぶ

ひとりで考えつづけられる力」を育てる意味
 意味が拡散してわかりにくい『学力』ではなく、ぼくの考える学力を今まで「学体力」ということばをつかって表現してきました。

 ファインマンのお父さんの指導の紹介が一区切りついたところで、「学体力」の意味とたいせつさを、偉人たちの学習(勉強)に対する取り組み方を紹介しながら、もう一度考えてみたいと思います。学習や教育の大きな目標を「学体力が整う」ことに置くべきだと考えているからです。
 習ったこと、復習はもちろんですが、勉強(学習)に限らず、新しいことに対してもひとりで取り組む力がないと、中学進学後、大学入試はもちろん、社会に出てからも一人前に仕事はできないし、自らの道を切り開いていくことはできません。ぼくがさまざまな職業と経験を重ねてきての確信です。子どもたちにはまず、それを伝えたいと思っています。

 ですから、どんなときにおいても(学習指導に限らず、課外学習や立体授業の活動においても)、できる限り「ひとりで乗り切れる力、問題を解決する力」をつけることを最大の目標にしています。「学体力」にふくまれた第一の意味です。
 数年前から、甘やかされていたり、過保護に育てられたゆえの悪影響が「学習に対する姿勢・取り組み方」にまで浸透してきているような気がします。「一人でできない」、「忍耐力」や「がまんする力」の欠落です。「自分で考えつづける力」はもちろん、「考えはじめる力」も減退してきています。
 たとえば、説明やヒントを受けて、新しい問題にはいるとき、一人では取りかかれない(集中できない)、取りかかろうとしない子が多数います。指導しても、最近の子はなかなかそこから抜け出せません

 十年くらい前までは半分近くは苦労しながらも何とか「しがみついた」ものですが、今は10人いても、そのうちすぐ問題に入っていくことができる子は1~2名しかいません(なお、ぼくの塾は選抜試験がありませんので、ごくふつうの諸君が入団します。学習習慣が身についた子ではありません)。

 その力が身につかないと、成人してからも何も始まりません。勉強するときに限らず生活全般でも、新しいことを学んだり、たいせつなことを考えたりする際にも、もっとも必要なものが学体力です。OB教室を経て大学受験で華々しい活躍を見せてくれる諸君の大きな秘密はこの力の定着です。(なお、OB諸君の進学成績についてはブログ「学体力は『「偏差値』を超克する」シリーズ他をぜひごらんください。)

ファインマンの学体力ーむずかしいしい本を読むときの「秘策」
 以下はファインマンがまだ十代のはじめ、ブリタニカや図書館の大人向けの本を読むとき実践した方法です。プレゼントされたMITの天文学の教科書を「むずかしいから、どうすればよい」と聞いてきた妹に薦めた方法でもあります。

 私には本がむずかしいと思ったときの秘策があった、たとえばブリタニカの静電気の項目のような、むずかしいと思ったようなところには。どうやったかと言えば、たとえ最初の二つ三つの段落でわからなくなったとしても、ともかく記事を通して全部読むんだ。はっきりしないままでも全部読んで、その次にもう一度読み通すと、少し理解が進んでる、それを最後まで続けていく。そして、わかったことをノートに書き留めていく。やり終えたときは、その項目については一丁上がりだった。後で説明するが、どうしてもわからなかった、いくつかの例外を除いてね。
(No Ordinary Genius  Edited by Christopher Sykes W.W.NORTON & COMPANY p33 拙訳下線部は南淵)

 

むずかしいときに、あるいはむずかしければ、「取り組む前に投げ出してしまう」「できないものはしょうがない」が、案外今は平気ではないですか? それに対して「後ろめたさを感じる」というのがかつてはふつうでした。それでも「何とかもう少しがんばって結果を出さなければ」という「当たり前の判断(!)」ができているでしょうか

 また、「少しずつ負荷を増やしていく、力はそうして育ち、強くなる」という『発達や成長の本質』は理解されているでしょうか。これらが揃わなければ「学体力」は成立しません
 「むずかしいときにでもひとりで取り組む」という「気概」や「根性」や「忍耐力」がなく、「がまん」もできないと、子どもたちはやがてひとりでは何もできなくなります。つまり「教えてもらうのが当たり前」という意識から抜け出なければ、自分ひとりでは前に進めず、新しいことに取り組むことができません。ひとりで取り組み克服することで、自信が培われ、次の目標にも勇気をもって立ち向かうことができます。成長のしくみです

 ところが、むずかしいことや新しいことになると、いつも手伝ってもらったり、躊躇したり、あきらめたり、逃げたりしている習慣が「定着」してしまう。それが本人の『生きる術』になってしまう。そうこうしているうちに、「自分の道」が見えなくなり、人生の意味も見いだせくなってしまう(「ない」という人の人生を否定するつもりはありません)。また、本も読まないし、考えることもできない、つまり「知的な部分を半ば放り出さなければならない」ような後半生を送ることになってしまうのではないか。ぼくは「一市民」として、そういう怖さは常にもっていなければいけないのではないかと考えています

 「できるだけ心豊かに人生を送ってもらいたい」と考える団の子どもたちにも、さまざまな機会を通じて、ひとりで問題に取り組むよう指導し、解決を図る努力を奨励しています。塾を始めて約十年後、偉人からこれ以上ない「応援メッセージ」をもらったような気がした一節を次に紹介します。

ファーブルの勉強法ー自学のすすめ
 現在のような教育はもちろん、当時も満足な教育をほとんど受けられない貧苦のなか、絶えず努力しながら師範学校の給費生の試験に独学でチャレンジし、トップの成績で合格したファーブル。それ以降も教員生活をしながら上級学校教師を目指し勉強と研究を重ね、結婚してから大学の試験に合格し、数学と物理学の教員免状を取得しました。
 ファーブルは自ら実践した勉強方法を、勉強に悩んでいた弟にアドバイスしています。

 「なにかこまることがあっても、けっして他人の力を借りてはいけない。はたのものから助力を受けたのでは、けっして難問は解けないばかりではなく、困難はまた、ちがったかたちでおまえを苦しめるだけだ。大切なことはじっと耐えしのぶこと。そして自分で考えること。さらに、みずからすすんで学びとろうとすること・・・・・・。これほど役に立つことはない。これが理解への遠くて近い道なのだ」
(「ファーブルの生涯」G・V・ルグロ著 平野威馬雄著訳 筑摩書房p42)

 自学のすすめです。
 もちろん、ここに至るまでのモチベーションや性格など、他に考えなくてはならないテーマもありますが、いずれにしろ、「何かをマスターする、自分のものにする、おもしろくなる、社会で通用する」ためには、どんなことでも一定の努力・自学を積み重ねなければかないません。社会での自分のポジションを保持するためには、そういう努力を欠かすことはできません。
 近年は卒業しても就職できない大学生や就職先がないニートが常に話題になっていました。社会的な問題やその他解決すべき問題も多々あることは否定しません。しかし一方で、個のレベルから考え直さなければならない条件はほとんど忘れ去られているようです。

 「自分のオリジナリティやスキルの『かけがえの無さ』を手に入れ、アピールできるまで一定以上の努力」を積み重ねられずにいること」、そこには『しないでもいい』という他者依存・あなた任せの「社会的風潮」や「教育の甘さ」も大きな原因としてあるのではないか。それを伝えていかなければ、この種の問題の根本的な解決はありえません
 さて、ファーブルの弟への手紙の続きです。

 「・・・私はこれだけは忠告しておく。それは特に科学に関しては観察が第一、絶対にほかのものにたよってはならないことだ。一冊の科学書は、これから解かねばならない“なぞ”なのだ。その解明のキーを他人にもらったら、たちまちに解けるだろうが、なんのプラスにもならない。もしも第二のなぞが出てきたらどうする? いぜんとして最初のなぞにぶつかったときと同様、手も足も出ないだろう。それは第一のなぞが、他人の助言でかんたんに解けてしまったからだ。自分の力で解こうとしなかったから進歩がないのだ」 (「ファーブルの生涯」G・V・ルグロ著 平野威馬雄著訳 筑摩書房p42~43)

 ファーブルは弟への手紙の中で、こうして「集中して沈思黙考して勉強を続ける姿勢のたいせつさ」(これも学体力の柱です)を説きながら、最後に

 「二、三日だけでいいから、こうした勉強のやり方で努力してみるといい。精力がことごとく一点に集中し、いっさいの障害物がダイナマイトをしかけたように、根本から爆破され、とりのぞかれてしまうのだ。まあ二、三日いまいったような忍耐と不断の努力をつづけて、ためしてみることだ。そうすれば、なに一つとして手に負えないなんてものはなくなる。(1850年6月10日、アジャクシオにて弟へ)                                (「ファーブルの生涯」G・V・ルグロ著 平野威馬雄著訳 筑摩書房p44)

 

 「なに一つとして手に負えないものがなくなる」というひとことに、生きていくうえでの「学体力」の養成のたいせつさがよく表れています。「ひとりで考えること」「ひとりで考える力」「ひとりで考えつづけられる力」、つまり自学。自学は学体力がなければできません。 次回は、日本のノーベル賞学者と学体力について考えてみます。