『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

「偏差値を超えるもの」 学体力と学体力を補完するもの

2012年05月26日 | 学ぶ

    

 

教育界とは、まったく異質の業界や仕事での多くの経験は、子どもの学力や行動・成長の過程を見るときにも、

ぼくにさまざまな視点を用意してくれます。しかも、授業などすべてひとりでの指導です。

(サポーターとして課外学習や野外体験に同行していただく保護者の方々は別として)

 

課外活動や野外体験などの引率で、食事・宿泊等をともにすれば、

それぞれの子どものあらゆる側面をつぶさに見ることができます。

 


 さらに、その後、前述のようにOB教室に参加してくれれば、

短くとも四~五年、長い場合は十年近く、その成長のようすを客観的に見続けることになります。

 


 したがって、学習姿勢や態度もふくめて、その行動や振る舞いのほとんどを観察でき、

どんな行動・癖・長所・欠点が、その後の成長の過程でどういう変化や影響をもたらしていくのか、

どういう関係があるのかをかなり正確に分析することができます。

  

 それらの経験から、いわゆる頭の良さ、小学生時代からの知的能力・学力の伸長は、

単純に生まれつきの能力だけでは決して決まらず、他の要素が占める割合が、どれほど大きいかということがはっきりわかります。

 

 

学力や知的能力の発達には、それ以外、小さいころからのしつけをふくむ習慣や行動パターンが

信じられないほど、大きな影響を与えることになるのです。

 

 

 関西地方在住で中学受験した子どもがいる保護者のみなさんは先に紹介したA社の四十台の偏差値が、

こと偏差値だけに限れば、どういうレベルなのか、よくご存じだと思います。

 

したがって、その後国公立大医学部や神戸大等へ進学できた諸君が、いかにぼくの考えを裏付けているかも、

よく理解していただけるのではないでしょうか。

 

  

 何に興味をもたせるのか、何をどう教えるのか、それに小さいころからのしつけや習慣、それにともなう行動パターンが、

おそらくみなさんの想像以上に、「学ぶこと」や「能力の開発」にも大きな影響を与えます。

 

 

 それらの指導が、素晴らしく育つための土台として、口を酸っぱくしていってもいい足りないほど重要である、ということです。

知的能力の発達に対して、それらは生まれつきの能力の差の影響をはるかに凌駕する影響を与えることになるのです。


 逆に言えば、それぞれの子どもたちの能力の開発や学力の進展については、どの子にも、

これもみなさんの想像以上に大きな可能性が開かれている、ということにもなります。

「偏差値を超えるもの」が身につくのです。

 

 ぼくの今までの手応えでは、十歳前後まで、学年では『四年生までにきちんとした指導がなされれば、素晴らしい成長を重ねる子がたくさん生まれる』のではないでしょうか。

 

もちろん、そのためには保護者のみなさんの理解と応援が不可欠ですが。

 

 

 

ブログのはじめの方での「過保護」の三年生の例や、先の表中のOB諸君の偏差値とその後の大学進学、

入団時期と団での指導期間を、もう一度ていねいに見ていただければ、もっとよくご理解いただけるのではないでしょうか。

 


 さて、「偏差値を超えるもの」、この項の中で、ぼくはいくつか、そのキーワードともいうべきことばを伝えました。

 

  まず、「学ぶ面白さ」そして「学体力」。

 

    次に「子どもらしい経験知」、「夢の原石」、「努力」「がまん」「命の限り」「人生の実況中継」

 

 そして、OB諸君の想い出の中で、多くの子たちが共通してもっていた特徴、「負けん気」です。

 

実はこれらは、それぞれ独立したものではなく、補完し合い、すべて関連して学習指導や子育てに関わってくるものです。

 


 それほどおもしろくないときにも学ぶことを続けていくという「学体力」には、

少なくとも「学ぶことの面白さ」を多少でも知っているという体験が不可欠ですし、「学ぶ面白さ」には、その元になる体験・「子どもらしい経験知」が欠かせません。

 


 一定期間つまらなくとも学習を続けるのは「努力」することですし、

もちろん、それにともなう「がまん」もたいせつになります。

子どもたちは、そうして目の前にあるものを学ぶことに真剣に向かっていけば、

それらはいつか大きな夢に変わる「夢の原石」となるはずです。

 


 その「夢を叶える」という思いの底では、「命の限り(自らの生命のたいせつさ・生命の一回性)」という、

自らの生命のかけがえのなさが意識されていなければなりません。


 また「人生の実況中継」は、そうして日々がんばって生きている子どもたちに、

自らの「苦い思い」や「感激」「感動」「喜び」を伝えることによってエールを送ること、

「生きていくこと」のすばらしさ、厳しさを理解させる応援団となってくれます。

 


 そして例に挙げたOB諸君の多くに特徴的であった「負けん気」、これは努力や築きあげたものに対する自らのプライドであり、

足りないものやできないことに対する自分への叱咤激励です。

真剣にものごとに向かっているからこそ生まれる意識ではないでしょうか。

競争をしているという自覚が、その意識の形成を後押しします。

 

 

 


 よく競争のない社会という実体のないことばが、あちこちで無反省にくり返されることがありますが、

どんな意味においても、ぼくたちは競争を免れることはできないですし、

いくらオブラートに包んでも、オブラートが溶ける前に破れて姿を現すのが「競争」です。

 


 良い意味での競争意識・自らに対する競争意識は、向上の糧・確固とした礎になるはずです。

ぼくたちは受精の瞬間に億を超える競争を勝ち抜いて生まれてきたという現実を忘れることはできません。

 


 さて、この項の終わりに、プロ野球界の「偏差値」でトップを維持し続けているイチロー選手の

小学生時代の作文の一節をご紹介します。「夢の原石」を磨き続けているときのイチロー選手です。

 

   ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。

そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるには、練習が必要です。

ぼくは、その練習にはじしんがあります。ぼくは3歳の時から練習を始めています。3才~7才までは、半年位やっていましたが、3年生の時から今までは、365日中、360日は、はげしい練習をやっています。

だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時間~6時間の間です。そんなに、練習をやっているんだから、

必ずプロ野球の選手になれると思います。

              (「溺愛」我が子イチロー 鈴木宜之著 小学館・原文まま)


 子どもたちに関わるすべての人たちに
 現代は、夢がない社会・夢をもちにくい社会だという感想をよく聞きます。が、「夢をもちやすい社会」なんてあったでしょうか。

 

それは、「夢をなくしてしまった」、「夢をもたなくなってしまった」大人の言い訳に過ぎないのではないでしょうか。


 そんな言い訳を「これから夢を叶える」子どもたちに伝えていいものでしょうか。


 「夢がない社会だからこそ夢を描ける」のではないでしょうか。

 

 


 夢は探さなければ見つかりません。求めなければ手に入ることはないでしょう。

「あなた任せ」で待っていても「夢」は向こうから声をかけてくれません。目標は向こうから訪れてきません。


 「夢」や目標はあくまで自らが描き、追いかけるもの、自らと自らの限りある命を意識してこそ生まれるもの、だと思います。
 自らをふりかえり、問いかけ、考えてこそ生まれてくるものです。

 

夢を求める自らのアクションを放棄して、夢のなさを、すべて「社会」という使いやすいことばのせいにしているかぎり、

夢は生まれてきません。育ちません。


 大きく成長する子どもたちには大きな夢が欠かせません。

ぼくたちは、こどもたちに夢の必要性を語り、大きな声でデッカイ夢を伝えなければなりません。

「子どもたちの成長に関わるみんなが夢をもつこと、そして語ること」で子どもたちの夢も育っていきます。


 偏差値にしばられない子どもたちを育て、偏差値を意識する必要のない社会をつくるためにもっとも必要なこと。

それはぼくたち大人が大きな夢をもつこと、それに尽きるのではないでしょうか。

 (この項完)

 

 

   

 

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OB諸君のエピソード

2012年05月19日 | 学ぶ

 

 

==============第一期生=================================


「ぼくは努力では誰にも負けなかった、と思います」
京大医学部から大学院 K君

 

 

  「先生。京都大学の医学部に合格しました。 先生のおっしゃったこと全部本当でした。

(人生・考え方や諸注意、『努力は嘘をつかない』などのアドバイスのことだと思います—南淵注)

 理数には僕より頭のいい子はいっぱいいたけど、僕は努力では誰にも負けなかったと思います」

 

 

 

 K君には今でもはっきり覚えているエピソードがあります。

 

団では学習の進み具合・定着具合の確認と学習に対する緊張感を維持するため、

充実課程(5年生・特進4年生対象)では、毎月、学力コンクールという名のテストがあります。

 国語と算数の二科目ですが、5年生はじめのテストでK君がとった点数は国語2点、算数19点。団のテストは公立小学校の問題などに比べれば格段に難しいものですが、

それでも以降ののOB諸君との比較から言えば、良い点数とは決して言えません。


 しかし日頃の彼の学習ぶりや学習姿勢を見ていると、そのまじめさと持ち前の負けん気があれば、たいていのことは克服するだろうという確信がありました。

結果はその通りで、中学入試前の学力コンクールの算数の得点95点は、未だに団の学力コンクール最高得点です。

(ちなみに2位は70点台です。)

 もうひとつのエピソードはその負けん気です。


彼は入団前から珠算教室に通っていました。

ところが、団の充実課程に進級すると、授業時間が重なります。


 友だちに負けたくなかった彼は頑固に「3級になるまでやめたくない」といいました。

5年生の授業は週3回(月間十三回)ですが、まるまる抜けてしまう科目ができると、

以降の学習にかなり影響が出ることになります。そこで、ぼくの秘策です。

 

 「よし分かった。それじゃ先生と計算の競争をしよう。先生が勝ったらいうことを聞けよ」と何問かの計算問題を出しました。

負けてしまった彼に、速く計算する考え方やテクニックを説明すると、すっかり素直になって優先してくれました。

 


 ちなみに彼は勉強だけをしたのではなく、熱心なヨット部員としても高校三年間クラブ活動を全うし、

大学ではキャプテンとして十数年ぶりにチームを全国大会に導いたようです。

国公立大へ進学した子の多くは、クラブ活動にも積極的で、決して「勉強オタク」ではありません。

クラブ活動を心から楽しめたことも彼の努力の結晶ではないでしょうか。

 

 

 

=================================

「困ってる患者さんの役に立ちたい」
札幌医科大学 K君

 

 「先生、合格しました。札幌医科大学です」 ニコニコと6年前と同じ笑顔です。
-----「そうか!良かったな。で、何科に行くの?」

 

 「皮膚科に進もうと思ってるんです」
-----「ええっ?珍しいね。何でまた皮膚科なんだ?」
  「僕もアトピーだったでしょ。治りにくいと皮膚病は長くなります。役に立ちたいんです、そういう患者さんの」

 

彼の優しさを失わない姿に心の中で喝采を送りました。
 
K君が塾に来てくれたのは6年生になってからでした。

 

 中学受験を考えるとかなり遅い時期で、しかも受験勉強や塾通いの経験が全くなく、

日本の公立の小学校ではなかったので、国語の学習ボリュームも圧倒的に少ないという、

受験するには大きなハンディでした。

 

 

しかし持ち前の積極性とがんばりで、半年後には見事志望中学に合格してくれました。

 小柄で照れ屋で、はじめて団のドアの前に来たときは、ほとんどお母さんの後ろに隠れていたのですが、

時折キラッとした眼でこちらを伺うのがほほえましく、その姿はいまでもはっきり覚えています。

 

  その後、帰省の報告に来てくれたときに、

  「先生、困ってるんですよ・・・」

  -----「どうした?」
  「提出レポートがたくさんあるときや、テスト前に限って、いつも母親と姉がかわりばんこに 長電話してくるんです・・・」

(彼はおかあさんとお姉さんとの三人家族です)

 


 -----「・・・おかあさんも心配なんだろう?遠く離れているんだし」
  「それだとわかるんですけど・・・」
 しかし、言葉のわりにはそれほど困っている表情ではありません。
  -----「?」


  「親子げんかなんです、それぞれの言い分を聞かなくちゃならないからたいへんなんですよ」

 


 いつの間にか一人前に、そして相変わらずとっておきの優しさを失っていない彼でした。

 

  

 

 

==============第二期生=================================


「カウンセラーの先生にお世話になったので、
          私も精神科の医師を目指します」
佐賀大学医学部 Kさん

 

 「高校のとき、人間関係で悩んでいました。カウンセラーの先生がとても良い先生で、

ほんとうにお世話になったので、私も精神科の医師になります。 佐賀大の医学部です」

と受話器の向こうでうれしそうでした。

 

渓流教室のバーベキューで、男の子も尻込みをした「イタドリの虫」のバター炒めを「おいしい」とニコニコしていた姿、

竹竿でカワムツを釣り上げた嬉しそうな姿が懐かしく、男の子勝りの積極性と威勢の良さ。

 

 

またTさんとのコンビぶりも忘れられません。

行きも帰りも必ず二人一緒、席も隣同士で仲がよく、いつもくっついていました。


 ところが、いざテストとなると、かわいかった二人の目が厳しい闘いのモードに変わります。

 

ライバル意識をもち、正々堂々と行う競争は、結果の勝ち負けを問わず、ぼくたちを大きく成長させてくれる礎です。

 

 


==============第三期生=================================

 

医大合格で「看護師になりたいんです。日本一の看護師に」
奈良県立医大 Yさん

 

 

  「先生、奈良県立医大に合格しました!」
  ----- 「すごいな、良かったね。医者になるのか!」

  「いいえ、先生。看護師になりたいんです。日本一の看護師に!」 (ブラボー!)。
 

 

きらきらと輝くきれいな眼で遠くの夢をしっかりつかんでいました。

負けん気が強く、「頑張りやさん」という意味ではYさんも先の三人人にひけはとりません。

彼女も入団時期が遅く、六年生になって、周りの影響で中学受験を考え始めたのです。

 上のお姉さんに受験をさせてあげられなかったということで、国立大附属しかも一校だけという条件で、

お母さんは彼女の願いを聞き入れました。

 

 もちろん指導に全力は尽くしたのですが、やはり日程的に厳しく、残念ながら不合格で、

地元の公立中学に進学することになりました。

 本来の能力と団への信頼がよくわかっていたので、引き続いてOB教室に来るようにすすめました。

必要になる学習の方法や心構えを、もう少しアドバイスしたかったのです。

二年間通ってくれました。

 

 彼女の真摯な学習姿勢や目の色を見て、高校は絶対大丈夫だという確信はあったのですが、

予想通り天王寺高校と私立は四天王寺という最難関校を突破してくれました。

 

厳しい制限の中で、きちんと課題をクリアしていく彼女のことです、

大きな夢はきっと叶うと僕は信じています。

 

 三期生では他にSさんが大阪大学文学部合格。

 

 


==============第四期生=================================


「先生、せめて袋に入れてくださいよ・・・」
京都大学工学部 K君

 

 優秀でユニークな諸君が多かった第四期生。

 

 

 

 K君はお母さんから託された大きなビールケースを抱えて 合格報告のために団の前で待ってくれていました。

彼には愉快なエピソードがたくさんあります。

 

 入団の面接時、お母さんがほとほと困った顔で、


  「せんせ、この子いたずらばかりするんです!

この間も軽四の屋根に友だちと上って、ピヨン ピヨン跳びはね、屋根ボコボコにして・・・」

 

かつてぼくが写真にのめり込んでいたとき購入した「写真集」を高校生になった彼にプレゼントしたとき

照れながら

   「先生、せめて袋に入れてくださいョ」。

 彼のこの屈託のなさが、僕は大好きです。

 

 大学入学後も顔を見せてくれ
  「おもしろくない講義があるので」というので、
 そんな経験をいやというほどしてきた僕が

 

-----「教養課程やろ?自分で選んだんやろ?(笑い)」
「・・・」

----- 「面白いのもあるんやろ?そっちの授業にとことんのめり込んだら・・・。それと面白い本をどんどん読めよ」

と話しました。大学の講義をさぼり、中庭の芝生に寝転がったり、喫茶店で読みふけった学生時代を懐かしく思い出しながら。

 

 

 彼は今、奨学金と塾講師のアルバイトで生計を立てています。
  「・・・勉強のできない子にわかってもらうのがうれしくて塾のアルバイトをしています・・・」

 やんちゃばかりして軽四の屋根を飛び回った彼は、学生時代にハングライダーに夢中になり、

空を飛びまわっていました。その方がうれしいのはもちろんです。

 

 

 

 


==============第五期生=================================


「行ってよかった、いい学校だよ・・・」
大阪大学文学部哲学科 K君

 

 

 入団したときは本当に小さく、三年生の時の課外学習で、昼食後みんなが出発するころになっても、

まだお弁当を半分も食べられなかった彼。

サポーターで手伝っていただいたお父さんが、側で困っていた姿に思わず笑ってしまったことがありました。

 


 国語が大の得意で真面目だったので、受験も安心でした。

志望校はぼくがアドバイスしたのですが、彼は進学後すぐ身体の調子を壊し、

念願のクラブ活動も十分楽しめないという状態が続きました。

 勉強するにも辛い時期があったのか、お父さんから「何で私立へ行ったのか」と悩んでいると聞き、大きなショックを受けたこともあります。

 

しかし身体が大きくなるとともに、徐々に病も癒え、ESSで楽しく活動しながら、

無事大阪大学の哲学科へ進んでくれました。


 団にきてくれたとき、自らの私立進学校を

  「行ってよかった、いい学校だよ・・・」

 ぼくの長年の重荷がすっかり楽になったうれしい一瞬でした。

 

 学ぶことの意味、日頃の学習習慣の大切さはいまでも強調し続けていることですが、

学ぶ面白さがほんとうにわかり、きちんとした日頃の学習習慣が身につけば、

難関大学突破も、予備校に頼らず十分太刀打ちできます。

 

そして、その経験が後の人生の大きな自信になります。

 

 


==============第七期生=================================


知らない間に畳を蹴って脚が擦り傷だらけ(!!)
京都大学文学部 Y君

 

 

 Y君の負けん気と好奇心、問題を解決することに対するこだわりも特筆ものでした。


 彼には二つ上のお姉さんがいて、彼女も少し塾に通っていてくれました。

ある日、机を並べて勉強していた彼女が、あわててお母さんに言ったそうです。

  「お母さん、Sの足が血だらけ!」
 女の子で、びっくりして少し大げさになったのかもしれませんが、

Y君が算数の問題が解けないので腹が立ち、知らず知らず畳をけり続け、足から血が出ていたようなのです。


 Y君は四年生から高三まで計九年間団に通ってくれました。

 

 

高三のとき、ぼくと二人で「老人と海」を読みましたが、

語義に対する徹底したこだわりからからくる緻密な解釈には感心しきりで、ぼくも教えられることがたくさんあり、

その成長ぶりが嬉しくて仕方がありませんでした。

 


 OB諸君の成長を紹介しましたが、

彼らはすべて「偏差値を超えるもの」を身につけてくれたことが、こうして振り返ってみるとよくわかります。

この項の最終回になる次週は、もう一度、それらをまとめてみます。

 

 

 

 

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OB教室誕生のきっかけ

2012年05月12日 | 学ぶ

 

-----『学習探偵団 OB教室』。小学校卒業後も団で勉強したい!と言ってくれる子も多く

順調に成長してくれる子どもたちを見ていて、現在は一定の役割を果たせているのではないかと思います。

 

 

 小学生対象の学習塾ですから、当初は中学に進学後は指導するつもりはありませんでした。

授業の準備や課外学習・野外活動への対応を考えれば、ひとりではそこまで手を広げられないだろうという思いがあったからです。

 

 

 ところが、中学受験に成功し、団も卒業した子ども達のなかに、合格後の慢心からか、みるみる成績が下降した子が出ました。

 順調に育ってくれた子たちがそんなところで躓くのは、残念でなりません。

『OB教室』はそうした「落ちこぼれ」対策の場にもなりました。 

 

 

少し昔の話をします。

 

 かつて田舎の高校生だったぼくは、放課後、毎日のように図書館へ向かいました。

東京教育大学を出て国語の講師として赴任してこられた先生がいつもそこで本を読んでおられたからです。

 


 先生の感覚・豊富な読書量から生まれた講義と虚実取り混ぜたおもしろいエピソードの数々は、

吉野の山のなかで育った世間知らずのぼくには新鮮きわまりないもので

進路は先生に対するあこがれだけで決めました。

 

  

 東京教育大入学時の僕 (さてどれでしょう?)   

 なつかしい写真がでてきました。連絡先不詳のためご理解お願いします。 )

 

 

ところが


 憧れだった大学には無事合格したものの、ぼくにはまったく欠けているものがありました。

 

それは

「将来に対する夢」と「学ぶことは面白いという手応え」でした。

 

残念ながら、当時そのどちらも手に入ってなかったのです。

 

 漠然とした「あこがれ」は、目標が入試合格に変わった段階でものの見事にやせ細り、

生計の維持や新しい人間関係という経験したことのない煩わしさの中で、

都会の雑踏に紛れてまったく見えなくなってしまいました。

 


  

希望の学校への進学後、成績が急降下した子を見て、蘇った自らの苦い想い出。

 

『大学合格』から二十年以上もの紆余曲折の中で、何をやっても満足感が得られず、

一生懸命ただ生きるためだけの生業を重ねながら、人生を彷徨った日々。

 


 中・高生に対する学習方法や学習姿勢の指導もたいせつだが、いわばそうした『テクニックの伝授』より

もっと伝えるべきたいせつなものがある。それを伝えることができれば、学習方法や学習姿勢などは、ほんとうに小さな問題になってしまうのではないか。

 

子どもたちが自らの目標や夢を掲げて自立できるまで、「ぼくが応援できることは何か」?

 

 

------目の前には一生を賭けるに値するおもしろいものがたくさん隠れている、その多くは夢の原石であること。

子どもたちが自らそれを探し始めるきっかけを贈りたい。

 

ぼくはそれを伝えよう。

(幸い、長い寄り道の間に、さまざまな「宝探し」の経験だけは積んでいました。成功・失敗のエピソードにも事欠きません。)

 

------秀でている人にはそれだけの理由がある、

世で活躍している一流の人たちは目に見えないところで人一倍の努力を続けていること。

比類なき才能の持ち主であるイチロー選手がだれよりも多い練習量を積み重ねているエピソード、

また画家の千住博さんのすさまじいまでの製作のようす。

 

天才も「そうなるべく努力を重ねて」天才になったので、ただのあこがれだけでは、夢は決して叶わないということ。

 

------生命は一回性で時間にも限りがあること。

命の限りを見つめることで、するべき事・しなければならないことがはっきり見えてくるのだという自らの確信。

「後悔先に立たず」という言葉の重みも、経験者の痛みに裏打ちされて、子どもたちの心にも深く染みこんでいってくれるはずだ。

 

------ そして、もうひとつ

ぼく自身、人生を賭けるものが四十年以上の彷徨を重ねたすえやっと見つかり、

そのためにする勉強はまったく苦にならなくなった、生きることそのものになったという事実を伝えたい。

 「君たちと一緒に学ぶために勉強していることがおもしろくて仕方がない」現在。

 

 団で学んだのち医科系に進んだ五人は全員、医師の家系・後継ではありません。それぞれが成長の過程で自ら培った目標です。

そして、その収入を志望の条件に挙げた子は一人もいません。

 難関大学の他の学部へ進んだ子たちも、進学時点で自らの目標を明確に見据えていました。

 

彼らは今、学生時代のぼくがとても手が届かなかったような先を進んでいます。


 さわやかで明るくたくましい青年ぶりは、彼ら(彼女ら)こそぼくの夢の成就であることを物語ってくれます。

 

 

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偏差値を超えるもの―学体力と学ぶ面白さ (2)

2012年05月04日 | 学ぶ

 

 下の写真は、よくまとまっているので団で教科書に指定し、もう何年も教材として使用している市販の理科の問題集(テキスト)です。

 

 

どこの塾でも、ふつうこういう問題集をテキストにして授業が行われています。

 ページ数の制限など諸々の条件が重なるのでしょうが、これらの本は受験に出題される可能性の高い用語をできるだけ網羅的に、ごく単純で短い説明で記載しているだけです。

例示の書物に限らず、市販の受験参考書や受験教材の体裁・記述内容はいずれも大同小異です。

 

 塾に通う子どもたちの多くはこれらのテキストを手に、簡単な説明を補足され板書されることをほぼ機械的に覚え、練習問題で記憶を定着させるというパターンで学習を進めていきます。
 中・高の学習の多くもその延長線上にあるのは、どなたも経験済みのことでしょう。「学ぶ面白さ」は生まれたでしょうか?

 

 

 もうひとつ、学ぶ面白さを阻まれる大きな問題は育った環境の変化による経験知の激減です。

高度成長期以降、子どもたちをとりまく自然環境が大きく変化しつづけ、心にゆとりのない日々の生活の中で、学習対象の多く(特に自然環境)をじっくり見た経験のない子がほとんどであるということです。

  

 それはかつての「理科離れ」の大きな原因のひとつでもあったと思いますが、事態はさらによくない方向に進んでいるような気がします。

子どもたちを見ていて、ここ7~8年ぐらい前から特に、保護者の理解が特別ある子の場合は別として、新入団の子たちの課外学習での行動や興味の持ち方が大きく変わってきています。

 

 子どもたちには貴重なはずのオニヤンマやヒグラシの羽化を見ても以前に比べて感動が少なく、注意して最後まで見続ける子が減ってきています。

また、川で魚捕りを教えてもなかなか網を持ちません。

ただはしゃぎながらボール遊びや水遊びをしているのです。

これらの遊びはプールでも海でも運動場でもどこでもできます。

 

 

渓流でそれらの遊びしかできないということは、自然に対する感受性が乏しくアンテナがたっていない、したがって自然からの情報取得はほとんどできない、

自然対象の学習内容のおもしろさがわからないということを証明しているわけです。

 

 小学校で習う多くのことが自然環境や身のまわりのことなのに、学習(勉強)はあくまで学習で、特別の区画・ポジションで営むものなのです。

身のまわりのことや自然環境などの日々の生活とはほとんど関係なく、コラボレーションすることなく進んでいきます。
 見たことがなく抽象的で文字でとらえるものばかりでは結局記憶の対象にとどまります。

  

学校で習ったり、本で読んだことに、ああそうだったのかと現実に気づいたり、逆に疑問に思ったり、不思議に感じたり、という次のステップが生まれません。

調べたり、興味をもったりという、おもしろくなるステップがすべて抜けてしまっています。


 そのままでは、見るもの聞くものに敏感に反応し、その成り立ちやしくみに興味を引かれるという多くの名だたる科学者たちの子ども時代のような体験はほとんど期待できません。学習・勉強と遊びが興味深く結びつくことはありません。全く別次元の話だからです。

 多くの子が「ちゃんと見たことのないもの」・「じっくり見た経験のないこと」を勉強しているのです。ひょっとして今指導している人たちにも、そういうことは言えるのではないかと危惧します。

 

 

 

 自然観察の経験が少なく草花の区別も満足にできない中で、入試に出てくる「草花の特徴」だけを、ただ覚えることのくり返し。先ほど取り上げた理科の一単元に限らず、現在の子どもたちのふだんの学習は、多くがこういう形で進められているのではないでしょうか。

 

 例示のテキストの説明に出てくる サクラ・ヒマワリ・タンポポ・ナズナ・イチョウ・ヤツデ・・・と子どもたちは「友だち」になっているでしょうか。見たことはあるけど通り過ぎただけではないでしょうか。


 友だちでもなく、興味をひかれない対象の特色を学ぶ受験学習、ほとんど見知らぬ植物の特徴を暗記するだけの学習で、果たして学ぶ面白さが身につくでしょうか。学ぶ面白さがわかるでしょうか。

 

 

 

 こうした学習のようすをわかりやすくたとえてみると、どこかで立っている人の横を偶々通りかかり挨拶もしなかった人のアルバムを後から見せられ「今度テストに出るから、このアルバムに出てくる人の名前と特徴を覚えなさい」と指導されているようなものでしょう。

 

 ロゼット葉についても、多くのテキストでは決まり切ったように試験によく出るタンポポやナズナという名しか出ませんが、写真のように、他にもたくさんの植物がロゼット状の葉を呈します。

それらがわかってなじみができ、自らと同じく寒さに抗するための『植物の企み』に興味が涌き、関心が向くのではないでしょうか。

 

 

 

 


 指導する方の力量がよほど優れていれば別ですが、簡単にまとめられたテキストだけを使って、学ぶ面白さを引き出す授業を展開するのは至難の業です。

さらに指導する側に余裕・想像力や理解に供するための活動や努力が不足していれば、事はもっと悲惨になります。 

 きっかけや切り口が違えばおもしろくなり、生涯をかける研究対象になるかもしれない対象をも、そのまま二度と振り向かれることなく終わってしまうのです。


 学ぶ意味がわからず、学んでいる内容が、そもそも自然体験や実体験が減っている中での、受験項目を中心とする暗記中心の勉強では、所詮「義務」の域を出ません。

 学習する意味がわからず、おもしろさもわからない受験のための「義務の学び」は、長引けば長引くほどおもしろくなくなります。

 学ぶことがおもしろくないという小学生時代の感想や思いこみは、学ぶという行為そのものに対する嫌悪感さえもたらしてしまうのではないでしょうか。勉強嫌いの【大量生産】です。

 

 小学生時代は、「学習すること」が「心豊かに生き、人生を充実させるには欠かせないもの」であるとわかる時です。

さまざまな意味で「学習を友としなければならない」人生の遠い道のりで、そのおもしろさがいちばんわかるたいせつな時期です。

 

 

 

 学ぶ面白さを取り戻さなければなりません。

それには自然体験を含む、子どもたちの子どもらしい経験知を呼び戻すこと、子どもらしい好奇心を取り戻す応援団になること。

 勉強と呼ぶにしろ学習というにしろ、現在子どもたちがぶつかっている大きな問題の根源は結局同じです。

あえて、勉強ということばを使いますが、ぼくは「勉強嫌い」ということばのイメージそのものも払拭したい、学ぶことが少しでもおもしろくなって欲しい、

いつもそう考えて授業や課外学習に向かいます。

 

 


 次回はこうした思いに応えてくれたOB諸君たちの紹介(申し訳ありませんが匿名)、

夢の「百人の会」です。なお、それ以降は団の実践、「立体授業」の有様を逐次紹介します。

 

 

 なお、文中に例示させていただいた書籍は、いずれも日ごろから子どもたちを指導するにあたって大きな貢献をしてくれている教材です。

子どもたちの学ぶ面白さをわかりやすく説明させていただきたく今回取り上げさせていただきました。

ご理解とご了解をお願い申し上げます。

 

  

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