『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

朧月夜と読解力①

2017年05月06日 | 学ぶ

朧月夜から
「銀の匙」の橋本先生の指導法、灘の東大合格者を輩出した理由の一端を少し考えてみます、と先週お伝えしました。「朧月夜と読解力」。
 「デッカイ筍掘り」のスライド指導を「飛鳥の里」で展開しようとした時、選択した唱歌は、かつてぼくの中学校の同窓会で心に残る懐かしい歌のセレクションにも入れた三曲です。ちなみに同窓会のパーティが終わるまで、これらだけではなく百曲以上セレクトしBGMで流しておきました。

 「早春賦」「朧月夜」「故郷」は、スライド学習の選曲をする中で心の中に自然に流れてきた曲でした。現在は学校で歌われる機会も少ないでしょうし、子どもたちと訪れる「飛鳥の里」でこそ、心に響く歌だと思ったからです。人工的で猥雑な街では、「アッポーペン」は響いてもこれらは心に響きません。
 団では、飛鳥や赤目などをそれぞれ毎年数回は訪れます。意識的です。「今回はここ、来年はあそこ」という実施ではありません。「今ではもう故郷もない多くの子どもたち」「故郷に行けない子どもたち」の心の片隅に、「なじみの田舎」・「丸ごとの自然」を「育んで」もらいたいという意図です。「自然になじむこと」が目的です

 ただ見るだけでなく触れたり、採ったりというアクションを繰り返すことで行動パターンには広がりが生まれます。毎年訪れてもマンネリになりません。そこが大人と子どもの感覚の相違です。新しい感興が湧き、ハプニングも起きます。そういえば、「学」の出現・アジメドジョウの捕獲もありました(写真は明日の「でっかい鯰釣りスライドの一ページ」。

 勢や動植物・生態系に触れる機会を増やして、「身体」で「土地」や「場所」や「空気」を当然のように感じてもらいたい。それらを基にして心の中に立ち上がってくるものが、「読むことや考えることの応援」また「イメージの創出」への何よりのサポートになります
 たとえば、以前も触れましたが、「春過ぎて 夏来たるらし白妙の 衣ほしたり天の香具山」という万葉歌は、大和飛鳥の季節や風景・空気感によって、鑑賞も深く、心にしみます。「身体ごとのサポートで、その詩情(こころ)を味わう」ことができます。歌が生まれる環境や条件が納得できます。

 「歌がわかるからといって受験はどうなのだ」という方々がいらっしゃるかもしれませんが、受験時期は高々数年間、その間も、受験のみに明け暮れず「『ものに気づく・ものに触れる試みを重ねること』で、全人生の(約)70年間を「心豊かに過ごせる」ということをぜひ伝えておきたいと思います。そして、その経験が受験の際にも、こうした問いかけで疑問を呈する人の予想を、おそらくはるかに超えて力を発揮するということも
 橋本先生の「銀の匙」授業の関連書籍を調べていて、その指導を受けた濱田純一前東京大学総長のインタビューに行き当たりました。
 東大総長として今の学生をご覧になっていて、情報を知識にしていくことが不得手になっていると感じますか? という問いに対して

 
 「ある意味では社会で合理性が求められることが多くて、なるべく無駄を省いて、なるべく近道で、という感覚が強いかもしれませんね。遠回りするかもしれないけど、長い人生の上で見ればどこかで、20年先、30年先に生きてくるかもしれないものも大事に、そういうふうに考える余裕というのが雰囲気的に小さくなっている気はします。ただ、今は就職ひとつとっても大変厳しい時代で、それに対して僕らの時代、高度経済成長を続けていた時代は、何をやっていてもなんとか食べられるだろうという粗さというか伸びやかさというか、それがあったから、個人の問題だけじゃなくて、社会構造そのものの違いもあると思うんですけどね。でも、だからこそ、焦らず、少しでも無駄をすることを楽しむようにと、学生に言いたいですね。研究の道に進んでも、会社員になっても、最後はそういう人間が強いんですから」
 (「エチ先生と『銀の匙』の子どもたち 奇跡の教室」 伊藤氏貴著 小学館 p157~158 下線は原文波線)

「学際的(!?)」指導と読解力
 筍掘りのスライド作成で「早春賦」や「朧月夜」・「ふるさと」の歌詞を子どもたちにわかるようにもう一度丁寧にと、「兔追いし かの山」や「小鮒釣りし かの川」の漢字や語義をたどりながら、解釈というものが如何に多様に生まれ得るか? そして、その「解釈のイメージのふくらみ」のひとつひとつが、それぞれ「それ以降の読解力や深い理解」に寄与するであろうか、ということに改めて気づきました。

 「唱歌」としてとらえ、音楽の時間に「歌う」だけではなく、心に残るメロディを味わうだけではなく、時間の余裕をとって「歌詞の深い理解」の指導まで意図したとき、子どもたちの心には「歌に対する愛や深い理解」が広がり、やがては音楽に興味をもったり、「音楽表現」に目覚める可能性も広がるのではないのか。さらに歌詞に表現されている光景や背景が脳裏にイメージできる体験や条件が整ってくれば、それは絵画などビジュアル表現の感覚にも良い影響を与えるでしょう。

 音楽だから『歌う・聴く』、美術だから『描く・見る』ではなく、さらに各教科の「『読む』『書く』『計算する』等」という枠を超えた、いわば「学際的(?!)」指導が成立するのではないか。それが子どもたちに目指すべき指導ではないのか。それらがすべてにかかわる、「読む」という力を成長・増強させる「学習の大前提」、「源」しての「読解力」の基盤・ポイントにもなっていくのだろう。それがあるべき『立体授業』なのだ。それによって総合的な理解、「わかる」・「感じる」という自覚や自信が生まれ、学ぶおもしろさや次なる「学習」、次なるステップへのモチベーションが機能する。特に可能性にあふれている少年期(特に小学生時期)の指導法はそうあるべきではないのか
 

読解力再考
 ぼくたちはふだん、何かを読むとき、読めない字がほとんどないと、「その文章が読める(読めた)」と思ってしまっている」ことがないでしょうか。「何をどうして・・・」というようなストーリーを、それほど無理なくたどっていくことができても、おもしろさまで導かれる理解とは大きな隔たりがある・・・。たいてい理解が浅いまま、また『義務的そして事務的』段階で「読むこと」を納得して終わってしまっている。「それ以上の読みがあること」まで知らない人が多いから、「つまり読解力のレベルを誤解してしまっている」から「『わかる』そして『深いおもしろさ』が始まるまでいたらない」のではないか。橋本先生の指導が「銀の匙」授業で到達したのは、それを解決した指導」なのだ

 現状の受験の読解力を問う問題やテスト・参考書を探ってみても、通り一遍の「難語」や「心情」、或は指示語の問題がほとんどで、それらの問題解決の適応や問題解法のバリエーション以上の提案や指導展開はほとんど見えてきません。
 つまり、それ以外の感じる・考えることは、おそらく「蚊帳の外」なのです。それ以外の「感じること・考えること」は多くの場合、「受験やテストには関係のない余計なことだから(になってしまっているから)」です。ところが、学校で習った読むことの認識や読解方法以上の確認に自力で至ることは、多くの人にとってむずかしいのではないのか。そのままでは「読書や本がたいせつなものとして心に残りません」。

 これは、以前考察したことですが、たとえば子どもたちの「本読み」の宿題についても、すらすらと間違いなく読めることは、読解力の「必要条件」であっても、必ずしも「十分条件」ではありません。聴けば、「たどたどしく」しか読めてないように見えても、素晴らしい読解力を発揮する子がいることを感じることもまれではありません。
 すらすら読めるようになるのはもちろん必要なこと、たいせつなことです。しかし、それを目標としているのであれば、いつまでたっても「道半ば」でしょう。おもしろさには至らない。

 見かけは同じような「本読み(!)」でも、かつての「素読(たとえば湯川秀樹など多数の偉人の幼年時代)」が学力育成に大きな効果を発揮したと考えられるのは、「読み方さえ知らないような言葉」が詰まった漢文を、「ほとんど読めないところ」から、師匠の後について、「『難語の語義も感覚の助け(読解力の基本)によって習得』しながら、理解を進めていった」ところに大きな意味があったのではないかと考えています。   
 つまり、「漢字が、文章が読めるようになる」というわかりやすい結果にも一定の意味があったと思いますが、同時に「まったくわからないもの」を「我慢して、泣きながら(?!湯川博士)指導されているうちに、なんとなくわかるようになった(読解力の芽生え)」、そして「さらに難しいものに進むことができた(学習の次のステップ)」、それによって、5・6歳という幼い時に「学習することの意味やわかるおもしろさを手に入れた」・「難しいことが分かる自信が身についた」という「学習の王道」が広がったことも大きかったのでしょう。つまり、何より大切な「学習姿勢の習得」、「学体力」の定着です
 すらすら読んでいる「本読み」は、まったく知らない字や言葉が続いているわけではなく、ただすらすらと読めるまで「数回」繰り返しているだけです。もちろん読解力があって気持ちを込めたりできる子もいるとは思いますが、「何十回・何百回」と毎日同じ「読めない(!)漢文」を読み続ける素読とは、練習量と学習対象に大きな差があります。

 「本読み」のみに終わらず、「読むことがおもしろくなる読解力」の養成や、逆に「ひとりでは読み切れないような難しいものにチャレンジする読解力の育成方法」つまり学体力の養成も兼ねた宿題や学習法の検討・開発にも「銀の匙」による橋本先生の指導法はとても参考になるのではないでしょうか。ヒントにあふれています。次週です。 

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