『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

勉強のできる子を育てるには③

2016年11月26日 | 学ぶ

ぼくが「飛鳥 学」です
 スッポンの「学」君の報告です。稲刈りの時に団の仲間になり、もう一月余り、今までシジミしか食べなかったのですが、昨日、急に何を思ったのか、カワニナを「狂ったように」食べ始めました(10匹以上!)。目の前でものを食べるのを見ることができたのは初めてで、子どもたちも興味津々でした。

 その食べ方ですが、写真のように、カワニナを吸い込むように口に入れ、口の中で転がしながら奥歯でバリバリ音を立てて噛み砕きます。細かくなった貝殻はうまく口の端からこぼし、身だけを飲み込みます。何とも豪快です。わかりやすく言うと、犬が骨や硬いものを齧るとき、口の中で位置を変えながら何度も噛み砕こうとしますね、あれと同じです。

 愉快な姿をいろいろ見せてくれて、今も、またタニシに顔に乗られて、怖い顔をしながら両手(前足)で叩き落とそうとしています。「バカにするのもいい加減にしろ!?」というわけですね、ハハ。

「学校選び」より「受験生本人」
 (この項に登場する合格写真は、本文とは関係ありません)
 中学受験生は残すところ約50日、本番間近です。
 この時期になると、受験先がまだ決まっていないお父さん・お母さんは大わらわだと思います。どこへ行けば? 大学進学には? 等、次から次へと気になる問題が浮上し、情報に目移りし、なかなか決められない・・・。そんなお父さん・お母さんに一言。

 掲示の団OBの進学中学とその後の合格大学をご覧ください(なお、少人数ですから受験生が毎年いるとは限りません)。OB教室を卒業した諸君が、進学中学にかかわらず、それぞれ素晴らしい大学に合格していることがわかると思います。どうしてこういう結果が生まれるのか? それは「『ほとんどのお父さん・お母さんが忘れていること(?)』を忘れないようにしていること」につきます。「『学習を進める、学力を上げる』のは、進学塾や進学中学ではなく、当の本人である」というごく当たり前の事実の確認です。「そのためにはどうすべきか?」「当の本人の指導やしつけや教育はどうあるべきか?」をいつも考えています。

 世間では相変わらず、まず子どもに向かって自らの眼で「きちんと」見て考えたり、判断することが少なく、「誇大な広告(一面的進学実績のみ)」や「個人的で根拠のない情報」・「見栄」で受験塾(学習塾)を選び、そのコースに任せたまま進学中学まで選ぶ、という百年(!)一律の受験スタイルが続いています。
 推薦された、あるいは定評ある(?!)進学中学が、その後の学習や成長にかけがえがなく、確実にプラスになるという保証はどこにあるでしょうか? そんなものより、何はさておき、当人の人格や学ぶ姿勢が大前提ではないでしょうか? いちばん信頼でき、もっともかけがえのないものは本人の努力と努力による成長です。それ以外に何があるでしょう。たとえばテストでも、点数は二の次です。答案内容です。それをきちんと注視していくことです
 今まで「頼りになるのは自分」というぼくのアドバイスを無視して進学した中学に合わず、あるいはなじめず、思わしい結果が出なかった子もたくさんいます。学校側に説明会だけでは分からない歪や問題点が潜んでいたり、あるいは先生の指導力が足りなかったり、同級生の質が問題だったり、というのが原因です。

 「有名私立一貫校にもかかわらず、大学受験のための学習指導力不足という進学先」はもってのほかですが、何より大切なことは、進学する当の本人に、「学体力」がきちんと備わっているか、中学生としての「人格」が備わっているか、社会常識に目覚めているか、ということです(「学体力」とは、機会あるごとに展開していますが、ぼくの造語です。不明の方は一度過去のブログを参照してください)。学体力が伴わないままでは、どこの中学に行こうが、大した結果は生まれません。どうして気がつかない(?)人が多いのでしょう。なぜ、いちばん大切なことを忘れているのでしょう。
 日ごろから、「どういうことに注意するか」、「何を叱るのか」などの「子育ての基本」をないがしろにして、おべっかを使い、おだてながら難関塾に通わせても、やがてどこかで挫折するし、目標の(見え)ない進学では意味がありません。そのまま社会に出ても、往々にして「人的成長!」が未発達ゆえ、あちこち迷惑をかけ続けるだけで、十分活躍できる人材に育つことは期待薄ではないでしょうか? もうそろそろ真剣に学習や子育ての意味・本質を一から冷静に問い直す時期が来ていると思うのですが?
 

団OBの進学中学、進学先をよくご覧ください。成人する時期になっての爆発力と成長ぶりが伺えると思います。子どもの成長を含めた「進学事情」をもう一度振り返り、進学先ではなく(!)、あくまでも「子どもたちの心身ともの健やかな成長が基本」である、その視点があれば、素晴らしい子に育つ「王道」が見通せます
 さて、その指導の初歩です。「学習ができない子」、また「人間的成長のともなわない子」、「進学先の不如意や進学後の成績がもう一つの子」すべてに共通している欠点は、「時間に対するルーズさ」です。

 課外学習の時間や授業時間に平気で遅れたり、無断で休んだり、というパターンです。「特別の事情がない限り、授業の始まる10分前には登団していること」という団の約束ごとがありますが彼らはそれを守れません。
 「10分前に」という約束には三つのたいせつな意味があります。
 まず一つ目。注意をしていてもぼくたちには忘れ物や見落としがつきものです。あるいは自らの意志ではどうにもならないハプニングもあります。
 忘れ物をした場合に、その時間で準備したり、近くであれば取りに帰れます。「きちんと準備と心の用意が整って授業や活動に入ることができる」わけです。「ハレの日」や入試当日、忘れ物をすれば平常心で事に当たれません。全力でのパフォーマンスができません。心の余裕がありません。それでは最良の結果は得られません。

 二つ目。社会生活をしている以上、「決まった時間に遅れるということは、他のみんなに迷惑をかける」ということです。授業であれば先生やクラスメイトをイライラさせたり、たいせつな授業時間がそれによって削られたり…という迷惑です。その時点で、社会人としても失格です。信頼はおけません。
 三つめは、時間を守れないで、果たして充実した時間や人生を送ることができるのか、という懸念です。目標は決めても結果が出るとは思えません。また、時間を守ることできちんと仕事や学習ができるばかりではなく、ふだん時間を守っているからこそ、休日の自由な時間は「よりリラックス」できます。メリハリがあるわけです。
 いつも時間が守れなければ、それは中身もなく、気分転換もできず、ただ「ボーっと」しているだけの時間です。いつも疲れて、一生「ボーっと」しているだけです。これを「時間性痴呆症!」と呼びます。「『けじめ』あっての物種」です。
 最近時間を(さえ)守らないヒト(守れないヒト)が増えてきましたが、単に「時間を意識できない」というルーズさが、子どもの指導や学習にこれだけ大きな影響を与えます。日ごろの小さな習慣から、幼い子どもの教育やしつけが始まっているわけです。積み重なれば、子どもの学習や受験はもちろん、性格形成にも大きな影響が出ます、知らないうちに。

 さて、次は「困ったちゃん」の「おとぎ話」(創作)です。いくら叱っても、言うことを聞かない、直らない、という話を時々聞きますが、それはどうしてか? わがままで自己中心、問題多発の子どもの「しつけ」や『指導』がうまくできない人は、ぜひM先生のアドバイスを参考にしてください。

「モンスター・ペアレンツ生産工場」の閉鎖を
 「『躾や指導がうまくいかない原因』は大きく分けて四つあります」と、M先生は言います。以下、先生からうかがったアドバイスをそのまま伝えます。

 まず、周囲が「子どもをちゃんと見ることができていないこと」。二つ目は、「叱る基準がわからない(なっていない)こと」。三つめは、「叱るタイミングがわからないこと」。最後は「叱り方がわからないこと」。
指導」や「躾」が機能しないのは、多くの場合、この四つの条件が混在し、重複していることがほとんどです。代表的な例、課外学習の展開に即して説明します。なお、「躾」は、ご覧のように、「身を美しく!」と書きます。その意味をよく味わってください

 子どもたちの楽しい課外学習のエピローグで、事件は起きました。
 M先生は子どもたちの安全と安心、指導の充実のために、必ず現地にお世話になる知人や友人を用意しています。というより実際は、長年の活動で、M先生の指導方法を十分理解して、応援してくれるようになった人たちです。強い味方であり、強固な信頼関係が成立しています。
 課外学習が一段落して、雨模様になり、お世話になっているKさんに挨拶して、Kさんの大きな田舎家の軒下で、M先生とみんなが雨宿りをしていました。Kさんはいつも子どもたちのことを考え、時期にあわせてブルーベリーやキウイなど、自家栽培のお土産を用意してくれます。
 

今回は自宅の畑で栽培している富有柿を持ち帰りしてください、ということです。「ひとり一個ずつ。自由にとって持ち帰ってください」。カキの摘み取りなど、ふだんはほとんどできないので、子どもたちもみんな大喜びです。
 カキの生っている小高くなった畑では、他の野菜を栽培していることもあります。M先生が気をつけて登るよう注意しようとすると、その注意も聞かないで、われ先に走る子がいます。いつもの「困ったちゃん」です。元に戻して、改めて「カキ一個の約束と畑の注意」を確認します。
 「困ったちゃん」は、今日は「付き添い」が来ているのですが、朝から相変わらず、指示を守れず、自己中心、周りが見えず、注意を聞こうとしません。その日も「道行き指導」にもほとんど注意を払わず、自分のことしか考えない有様でした。
 山道をKさんちの軒下まで戻る途中も、傍にあった古い竹竿を振り回すので、先生が捨てるよう注意をしました。すると、道横の植え込みにポンと放っておく始末。もはや限界寸前です。

 そして、「カキ」です。子どもたちみんなでカキをもいでいると、上級生が「A(困ったちゃん)が2個取っています」。またもや、ルール無視、気遣いゼロのふるまいです。
 M先生は叱って一個取りあげ、サポーターの保護者が待っている軒下に戻って、「困ったちゃん」の「付き添い」にわかるように、「カキ一個の約束だったのですが、二個取ったので・・・」と朝からの行状もふくめて、説明と注意を始めようとすると、
 「私に言わないで、母親に言ってくださいよッ。何も今、みんなの前で言わなくても!私が言っても聞かないから、母親に言ってくださいよ…本当に二個取ったんですかっ!」。
 すごい剣幕です。それに「自分は、『困ったちゃん』の身うちじゃないみたい」な言い方です。
 「困ったちゃん」はどこの家の子ですか? M先生は他の保護者のことを考え、楽しい一日を不意にしたくなかったので、その時はそのままにしました。

 この「困ったちゃん」のサポーターの行動に、「子どもが言うことを聞くようにならない」すべての条件が含まれていることがわかりますか?
 まず大きな問題は、「子どもをきちんと見ることができていない」ということです
 その日の「困ったちゃん」の行状は一緒にいて注意深く観察をしていれば、すべて姿が見え声も聞こえる場所でのことですからわからないはずはありません。「そのようすをまったく見ていない」、あるいは「見ようとしていない」、「子どもが注意されている意味が分からない」。そのいずれかです。見ていなければ指導やしつけはできません
 また、「みんな一個ずつ持ち帰ってよい」というKさんの好意を違えて二個取れば、それは「泥棒」です。そこに善悪と倫理観の判断基準の大きな分岐点があります。どちらを選ぶかで、天と地の差です。それがわからないのは、「叱る基準がまったくわからない」ということです。そこの基準があやふやであれば、子どもに善悪の分別を要求したり、子どもの正しい判断力を培うことはできません。
 また、日ごろから当人の行動にしっかり目を走らせていれば、自分が仮にその場を見ていなくても、「やったかどうか」の判断はそれなりにできるはずです。そしてもっとも忘れてならないことは、「指導する側に対する信頼のなさ(かわいさのあまり?)」です。それがなければ指導や教育は成立しません。直せるものも治りません。

 三つめの「叱るタイミングがわからない」。この事例には、それも含まれています。
 ドッグトレーナーが犬をしつけるとき、「その場できちんと叱る」のが鉄則です。もちろん、犬と子どもがまったく同じというわけでは決してありません。
 しかし、まだ「年端もいかず判断力が備わっていない子ども」が悪いことをしたときには、「その場で叱らないと、叱られている意味がよく分からないし効果もありません」。「その場で叱る」から、「やってよいことと悪いことの判断ができ、それ以降やらなくなったり(することを控えたり)、判断力がつく」のです。それは「判断の基準が理解、認識できるから」です。
 「人前で叱ること」を控える方法は、「小さいころ叱られて既に判断力がついている大人向けの約束事」です。人前で叱る(叱られる)のが嫌なら、叱らなくてもよいように、ふだんから家庭でしっかり躾しておくべきです。そうでなければ、その子の教育は永遠に成立しません。
 最近は、「叱られないまま」育って「善悪」の基準や「是非」の判断力がなく、反省もできない人が増えているようですが、それがモンスター・ペアレンツの温床になっていると考えられませんか? 子どもはひとりで育つわけではありません。 
 最後のポイント。叱り方がわからない(わかっていない)。
 「困ったちゃん」の場合、悪癖が直らないもう一つの大きな原因は、「叱り方の問題」です。M先生がふだんのようすを見ていますが、「叱られていない」のです。
 「叱った後(それも、物わかりのよい良くできた大人に言い聞かせるような様子で)、すぐベタベタ抱き合っている」という具合です。それは「叱る」とは言いません

 M先生は、教室の上級生に、よくお母さんの「しかり方」を尋ねますが、「言うことや注意を素直に聞く」子のお母さんは、「叱れば、二日も三日も口をきかないし、おやつなんかも、その間食べさせないことがある」ようです。そうして初めて、子どもは反省します。だから「言うことを聞くようになる」のです。
 「お母さんは、それからどうするの?」とM先生が尋ねると、「そのうち忘れてしまう」と子どもは言います。しかし、先生はそうじゃないと考えています。「彼は注意を守れるように育ってきている」からです。
 M先生は、「お母さんは、『彼が、お母さんの言うことを理解して、本当に反省しているか』を見きわめているはずだ」と言うのです。だから「未だわかっていない」と思うと許さない。彼のお母さんは、「『わかった?』、『わかった』」ということばだけで済ませていません
 こういうふうに家庭と先生が指導法を理解し合い、指導方針が整ってはじめて、「注意を守れる・言うことを素直に聞く」子が育ちます。
 M先生の塾生の一人、京大へ進んだAR君のお母さんが、「小さいころ、可哀そうなくらい叱った、それでよかったのでしょうか? 」とM先生に問いかけたことがありました。
 「最高です」。先生の答えです。先生は続いて、あるエピソードをAR君のお母さんに伝えました。
 AR君の進学校にM先生が挨拶に行かれた時、その学校の先生の中に、M先生のことを知らない人がいたようで、旧知の先生に尋ねました。尋ねられた先生の紹介セリフは、「あの、AR君を育てたM先生だよ」。彼は500人以上いる学校で、先生方の間で「あのAR君」で通用するのです
 指導者と保護者相互の理解と協力と信頼がなければ、悪い癖や習慣は絶対直せません。治りません。学力(学体力)は実につきません。M先生の結論です。

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