『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

「過保護」を超克する学体力①

2013年05月18日 | 学ぶ

子どもたちには何を教えるべきか?
          ー「ふつうのことができるように育てる」のが、子育ての基本です
                                            (先週告知したタイトル名を変更しました)
 前回まで、子どもたちの現在の学習環境の問題点について触れてきました。

 有名校進学という目標に特化した、いわゆる「教育ママゴン」的子育ては、相変わらず偏差値の上下や合格のためだけに多くの労力や神経が使われている。その陰には忘れられ、ないがしろにされてしまっているものがたくさんあるのではないか。

 つまり、「受験や進学準備に忙しく」、素直さ・やさしさをはじめとする人間性や人となりに目を向け、子どもたちの全体像・将来のイメージを思い描くという視点をもつ余裕がなくなっているのではないか。子育ての基本とも言うべきたいせつなことが二の次になっているのではないか。今の世の中を見ていて、そんな気がするのです
 そんなことは、「学習」や「学力」とは関係ないと思う人がいるかもしれません。しかし、「学習や学力だけの脳」が存在するわけではありません。ぼくたちの考え方や行動のすべてを支配する脳はひとつしかありません。学習や学力に、そのバランスが影響しないわけがありません。
 たとえば「素直さ」や「人の話を聞く姿勢」が「学力の定着や伸び」にも大きく影響するという事実は、子どもたちをきちんと見ながら学習指導している先生方なら日々実見しているはずです
 幼児から「ガンガンに」小学受験準備塾や幼児教室に通わせているお母さんに、「どんな子に育てたいのか」と聞くと、あっけらかんと「ふつうに結婚してくれればいいわ」という返事をしたといいます。
 「わがまま、人の話を落ち着いて聞けない、自分勝手」。育っているその姿を見て、「子どもにとって何がたいせつなのか、わかってるのかな」と聞いたお母さんは思ったそうです。
 それぞれの親には「受験」の前にまず、社会を構成するひとりの人間を育てているという責任があるはずです。子どもはみんな、やがて社会に出て行きます。「当たり前のことが当たり前にできるようになることが大人になること」、それが一市民、ひとりの社会人としての前提です。
 「ふつうに結婚してくれればいい」のであれば、「人の話を聴ける、つまりきちんとコミュニケーションがとれる」、また「自分勝手ではなく、他人を思いやれる」という、「ふつうのこと」がきちんとできるように育てることが、親になった人の義務であり、責任ではないでしょうか。

「自己満足」で終わる子育て
 ずいぶん前のことになります。考えてみていただきたい例をあげます。

 団では紹介のように、指導の柱として毎年一連の課外学習や野外活動を取り入れています。指導の様子・指導に対する理解を深めてもらうために、腕白ゼミの二・三年生や、入団後一定期間には、課外学習への保護者の同行をお願いしています。
 かつて、「中学受験用」私立小学校へ入学したばかりの女の子とお母さんが、体験入団で「トレジャーハンティング」に参加しました。お母さんは「幼時からバリバリの受験指導をしている」という噂がぼくの耳にも届いていました。
 「トレジャーハンティング」。とある小さな川で川底の砂を浚え、アルミのお盆などで「パンニング」をくり返すと、小さなガーネットやジルコン・石英・サファイアなどを集めることができました。宝石ではなく、小さくきれいな石ころでも子どもたちは夢中になります。「環覚」を育てるには絶好の学習対象です。
 ちなみに、この課外学習の実施は、まず石や鉱物に関心をもち、最終的には「地球のなりたち」また「地球の歴史」や、「岩石サイクル」にまで興味を広げてほしいという意図からです。決して「宝石を見つけるため」ではありません。探してほしいのは「心のなかの宝物」です

 さて、パンニングの要領を説明し、それぞれ親子や友だち同士で作業をはじめました。
 しばらくして一人だけつまらなそうに、ぼーっと立っている子に気づきました。件のお母さんの近くです。不思議に思って観察すると、そのわけがよくわかりました。
 準備よく半ズボンに着替えたお母さんが、「子どもそっちのけ」で銀盆をもち、目の色を変えて夢中でパンニングをくり返しています。「自分の道具がなく、つまらない」女の子がお母さんに話しかけても、うるさそうに、「あっちに行ってみんなと一緒にやってなさい」。自己満足でしかありません。
 一事が万事。お母さんの「母親としての気の使い方」がどこまでか。
 だれの受験か? 何のための受験か? 受験や受験勉強の前に忘れられている、もっとたいせつなことはないでしょうか?
 「慈愛」。
 ぼくはそのとき、受験には合格したけれど、子育てでいちばんたいせつな「母親の無条件の愛」を知らないで育ってしまうだろう、と心配になりました。受験も子育ても「自らの満足感を満たすためだけ」におこなわれているようすが想像できたからです
 もうひとつの例です。
 有名私立中学で新入生の合宿の際、用意された夕食に手をつけない子がいるので先生が問いかけると、「いつもお母さんに食べさせてもらっているから」。当該の学校関係者に聞いた話ですから実話です。「超保護」で「受験勉強だけさせられた」子が一流校に進学しているのです。

 園児にさえ、早く一人で食べられるようにと考え、指導するのがふつうです。「大きくなったときどうなるのか」というイメージや、「どう育てるのか」という基準やルールのないまま、子育てが進んでいます。
 ここに見られるのも自己満足です。あたかも「ままごと」でもしているような、「信じられない子育てが一部で始まっている」と思うのですが、いかがでしょうか。

 学力や高い能力を身につけるのは何のためなのか。高い能力には自主性・高い見識や実行力がともなってこそ大きな意味があります。「優秀さ」はそれらがともなうことによって人生でも社会でも有効に機能します
 子どもを「教え育てる」はずの「教育」、その「教育」は今文字通りの「教育」として成立しているでしょうか? このような教育環境・学習環境を「異常だ、たいへんだ」と考えられる人がどれだけいるか? 風潮の危うさに気がつく人が一人でも多いことを祈らざるを得ません。
 先に話した福井博士や湯川三兄弟のお母さんのエピソードと比べてください。今回のお母さんたちの「愛情」と「母としてのまなざしの行方」、みなさんはどう感じられましたか?

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 教育ママゴン脱出作戦 ④ | トップ | 「過保護」を超克する学体力② »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

関連するみんなの記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。