ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

自由が目指すもの

2014年08月08日 | ガジ丸通信-社会・生活

 先月8日の台風8号による畑の被害は酷く、その修復には約一ヶ月を要し、数万円の費用も費やした。野菜を作っているのにその野菜が収穫できず、他所から買わなければならなかったのでそれに要した金もある。金が無けりゃ生きていけない身の上だ。

 自由の好きな私は、他所から食料を得なくても生きていける自由を望んで自給自足を目指しているわけだが、海へ行って魚を釣り、畑の大豆で豆腐を作ってそれらが蛋白質。畑の芋(甘藷)が炭水化物、ビタミンは野菜から、油も畑のゴマや大豆から取り、食い物全てを自産したい。そして、(私が)生きるに必要な酒類も自産自作したい。
 他所から電気を買わなくても電気が使えるようにしたいため、今、風力発電機作りにも少しずつだが努力している。住むところも財産と呼べるような家では無く、粗末な、建築現場のプレハブの、それも6畳1間位の小さなものでいいから、それを畑の傍に置き、独りのんびりと生活できたらいいと思っている。誰にも邪魔されない自由がそこにある。住む場所と畑が近ければ車が要らない。ガソリンを使わない生活ができる。ということはつまり、石油からも自由になれるわけだ。煮炊きの火は薪を使えばいいのだ。
 できれば、着るもの(葉っぱでは無く、布製の、いちおう社会に出て、見られても指を指されない程度のもの)も自産自作したい。それらができたらいいなぁと願っている。まあ無理だとは思うが、それはつまり、金が無くても生きていける自由ということ。

  もしも私が仙人になれるのなら、なりたい。何でも、仙人は霞を食って生きていけるらしい。そうなれば、物を食わなくていい。食料が必要無い。食べることから自由になれるわけだ。スーパーに食料を買いに行かなくてもいい、畑で野菜を作らなくていい、料理しなくていい、などといった自由はまた、スーパーに食料を買い(金が必要となるが)に行ってもいいし、畑で野菜を作ってもいいし、料理してもいいという自由でもある。
 もしも仙人になれたら、着るものも布一枚でいい。何でも、仙人は暑さ寒さに強いらしい。であれば、裸で生活してもいいわけだが、裸だと猥褻物陳列罪で御用になる恐れがあるので、やはり、布一枚くらいは身に着けることにしよう。
          

  もしも仙人になれたら、私は完全なる自由を得ることになるが、仙人になることはきっと難しい、というか、無理。であれば、上記した通り、食料や衣類、電気も自産し、畑の近くに住処があって、ガソリンを使わない生活を目指すのが次善の策。あと10年生きるか、20年生きるか、30年生きるか、あるいは、来年ポックリ逝くかもしれないが、とりあえず「これが私の生きる道」と歌いながら歩いて行こうと思う。
 ただ、食料や衣類や電気を自給自足できたとしても、それで、「私は完全なる自由を得た」などとは思わない。私は実は、多くの籠の中にいて、それらに守られて生きている。多くの籠とは、例えば国であり、県であり、市町村であり、大元の憲法であり、法律などである。まとめて言えば社会である。社会に守られて私は生きている。
 社会と離れて、山奥で一人生きていくことはできるかもしれない。食料を自産し、食って旨いと思う。酒を自産し、飲んで旨いと思う。だけど、それはだけでは楽しく無い。人との関わりが必要だ。私の自由が目指すものは、楽しく生きるということである。
          

 記:2014.8.8 島乃ガジ丸

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