ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

涸れない泉

2012年05月18日 | ガジ丸通信-沖縄関連

 沖縄が自由になったらどうなるだろう、自由ってつまり、独立国になるってことだ。薩摩に侵攻される前の琉球王朝時代のようなもの。その頃だって中国と朝貢貿易をすることによって政治経済が成り立っていた。嘉手苅林昌が歌う『時代の流れ』にある「唐の世」ということ。琉球処分後は「大和の世」、戦後27年間は「アメリカ世」となる。
 「唐の世」の約半分、1609年の薩摩侵攻以後は「薩摩の世」でもあり、薩摩に搾取はされていたが中国も薩摩も沖縄の文化まで侵略することはなかった。薩摩はむしろ、沖縄(琉球)が沖縄らしくあることを望んだ。薩摩にとってそれが好都合であったのだが、お陰で、その時代に沖縄文化はその独自性を強く持ったまま大きく発展した。
 沖縄文化が揺らぎ始めたのはおそらく明治の琉球処分以降だと思う。特に昭和に入ってからは皇民化教育、方言札(方言を使うと罰せられる)などもあって、文化の要、ウチナーグチ(沖縄口)が衰退する。私の世代(昭和30年代)で、那覇(王府の膝元首里は除く)の人だと、互いにウチナーグチで話すことはほとんどなかった。「フラーヒャー」、「ゲレン」、「クスマヤー」とか相手を罵る単語はよく使ったが。
 ※朝貢貿易(広辞苑による)
 中国で、四夷が入貢してきたとき、それに賞賜を与えるという形式の貿易。賞賜の利にひかれ、周辺の国々はすべてこの貿易を行なった。

 今週火曜日(5月15日)は復帰記念日であった。それも40周年という記念の年。復帰とは沖縄が祖国復帰したということだが、沖縄の祖国が日本であるかどうかについては当時から異見があった。当時高校生であった私も疑問を持った一人であった。
 そりゃあ確かに、私はウチナーグチは話せないが日本語は話せる。テレビも6チャンネル(アメリカ放送)はちっとも理解できないが、OHK(沖縄放送局、実質NHK)や8チャンネル(フジテレビ系)、10チャンネル(TBS系)の番組は楽しんで観ることができた。気分的には全く日本人なのである。遺伝子的にも沖縄人は日本人なのであるようだが、しかし、文化的には異なるのだ。言葉も似てはいるが、違うのだ。

  沖縄が自由になったらどうなるだろう、ウチナーンチュの概ねは南国ののんびり気質を持っており、概ねは働き者では無い。沖縄が自由になったら、怠け者はより怠け者になって、沖縄は酷く貧乏になるかもしれない。あんまり貧乏になって発展途上国と見なされるようになるかもしれない。しかしその代わり、衰退していたウチナーグチが復活する。ウチナーグチが復活すれば 沖縄の文化はもっと沖縄になる。いや、独立しなくてもいいのだ。政治経済で頼る相手が唐であれ大和であれアメリカであれ、沖縄の心の自由を許してくれればいいのだ。そうであれば、沖縄の島々、村々にはいつだってウタサンシン(唄三線)が流れるであろう。沖縄の文化はたぶん「涸れない泉」なのである。
 沖縄が祖国(祖国について異論があるが)復帰して40年が経った、40年経ってもウチナーンチュの望んでいた「基地の無い沖縄」が実現する見込みはちっともない。小さな島の思いは大国にとってどうでもいいことのようである。それでもだ、民謡『ひやみかち節』の一節、「ナナクルビクルビ ヒヤミカチウキリ」(七転び転んで(も)えい!と気合を入れて起きよ)のように沖縄は生き続ける。沖縄の文化はきっと涸れない。
          

 記:2012.5.18 島乃ガジ丸

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