ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

自殺する自由

2016年07月01日 | ガジ丸通信-社会・生活

 友人のK子は、今は週一のアルバイト的勤務だが、デイサービスの職員として以前は毎日お年寄りたちの相手をしていた。その頃、彼女が口にしていた言葉「ピンコロ」。
 「何だそれ、ピンキリの親戚か?」
 「はっさ、最近テレビでもよく話題になっているさぁ、知らないの?」
 「テレビは観ない、新聞も雑誌も読まない世捨て人だ俺は。」
 「バッカみたい。ピンコロはピンピンしていてコロッと死ぬってことよ。」
 「それって、つまり、寝たきりにはならないってことか。」
 「そう、施設のお年寄りたちには元気な人もいるけど、ほとんど寝たきりの人もいるのよ。そういう人達を見てるとさぁ、私はピンコロがいいなぁと思う訳よ。」

 そのK子、「私はいつも毒を持ち歩いて、いざとなったらそれを飲んでコロっと逝きたいなぁ。あんた、あんたの畑に毒草を栽培しておいてよ。いつか私が使うから。」とも言う。死ぬ時は自殺したいということだ。さすが男前(彼女はそんな性格)。
 自殺、私はそれをちっとも否定しない。自分の意思に関係なくある日突然生まれてきたのだ。「なんだなんだ!ここはどこだ?俺は誰だ?」と訳も分からずこの世に出て来て、少年になり青年になりオジサンになり爺さんになる。その長い人生で培ってきた知恵によって、いかに死ぬか、いつ死ぬかは自身で決めても良いような気がする。
 「毒草、薬事法に触れない物を探して、その内植えておくよ。」と答えた。実際に、まだ調べていないが、そういう植物があればそうしたいと思っている。

 自殺は悪いことと一般的には捉えられているようだが、「ホントに悪いことか?」と私はかねてから疑問を持っていた。「せっかく頂いた命を何で粗末に扱うのよ。」とある宗教の信者から聞いたこともあるが、それについても、「せっかく頂いた大事な命だ、それを自分が納得して自分で終止符を打つことは、けして命を粗末にするものではない。」となる。生きている間を十分楽しむことが命を大事にすることであり、「生きていることは不幸である」と思いながら生きることが命を粗末に扱うことだとも思う訳である。
 安楽死を広辞苑で調べてみた。「助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること」とのこと。尊厳死というのもあった。「一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、あるいは迎えさせること」とのこと。尊厳死、良い考え方だと私は思う。尊厳死は法律的にも認めて良いものだと思う。

 バカなことを言って世間を賑わすことの多い元総理の現財務相がまたバカなことを言ったという噂を聞いて、ネットの新聞記事で確認した。以下、そこから抜粋。
 「17日、北海道小樽市での自民党支部大会の講演中、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『おまえいつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と言ってのけたのだ。」とのこと。
 ピンコロには賛成する私だが、彼のその考えには賛成できない。死ぬのも自由だが生きるのも自由、90過ぎようが、その人が生きたいと思うのなら生かして欲しいと思う。もしかしたら、阿呆だろう財務相は90歳になったら自殺する覚悟かもしれない。
          
          
          
          
          

 記:2016.7.1 島乃ガジ丸

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