ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

懸命の仕事

2011年03月25日 | ガジ丸通信-社会・生活

 「一所懸命働きなさい」などと、よく耳にする「懸命」、その文字を見ると、「命を懸ける」となっている。「あー、そういうことだったか」と改めて思い、であれば、そう簡単に使える言葉では無いなと思う。「命を懸けて働く」なんてそう簡単では無い。
 南の島でのんびり育ってきた呑気者の私は、生まれてこのかた、懸命の経験は無い。懸命に勉強したことも、懸命に働いたことも、懸命に遊んだことも無い。趣味としていたギターもテニスも太極拳もお茶も、みなテキトーである。現在、命の糧としている芋作りの畑仕事も「懸命」にはやっていない。「へとへと」になるまでもやらない。せいぜい1日4、5時間の作業で切り上げる。それで収穫できる分が私の食糧だ。「ないるうっぴどぅないる」とは伝統的沖縄精神の一つ、「できる分しかできない」ということ。

  今勤めている職場に、私は命を懸ける気は全く無いのだが、そういう状況に追い込まれそうになることが以前はよくあった。まだ体重が今より10キロも多かった頃、ひどい肩凝りに悩まされていた頃、私はあまり健康的な肉体では無かったと思う。そんな時、真夏の炎天下での肉体労働はとてもきつかった。したたか汗をかき、息を切らし、頭がボーっとして、周りの景色がぼんやりうす暗くなるようなこともあった。
 私は命を懸ける気は全く無いのだが、社長命令でそういう状況に追い込まれていた。もちろん、社長が悪いのでは無く、健康管理のできていない自分が悪いのである。
 仕事に命を懸ける気なんかさらさら無く、また、その能力も無い私は、仕事も遊びも腹六分、努力も苦労も腹六分で生きている。オジサンの日常は芋作って、芋掘って、芋食って、屁をこいているだけ。そんなオジサンの話は、今、どうでもいい。

 私は、原子力発電所の構造についてほとんど知らない。ウランを核反応させて、熱を発生させて、その熱で蒸気を発生させて、蒸気で電気を発生させる、などという当たっているのかどうかもあやふやな、大雑把な認識しか無い。
  原子力発電所がどのようにその安全性を保っているのかもよく知らないのだが、いったん事故が起きると大惨事になる可能性があるってことは、チェルノブイリやスリーマイル島の事故を、当時のテレビの報道で観て知っている。チェルノブイリは大惨劇で、漏れた放射能も大量で、多くの人々が被爆し、現在でもなお苦しんでいる人々が多いと聞く。なので、福島の原発事故もすごく気になっている。その収束を強く願っている。
 その収束に、まさに命を懸けて挑んでいる人々がいる。東京電力の職員たちも、消防隊員たちも、自衛隊員たちも皆、懸命の仕事をしている。彼らの働きを観、彼らの話を聞いていると胸がキュンとなる。私が少女だったら、きっと彼らに恋をしたであろう。

 他方、今回の事故で、原子力安全・保安院なる組織があることを私は知った。原子力の安全、保安においては最も中心的な役割を持つ役所なのであろうと、その名前から想像された。ところが、記者会見で事故について説明をしていた最初の頃の担当者には、責任感がまるで感じられなかった。「こんな重大事においてもお役所仕事かよ!」と自分のことは棚に上げて、私はムカついていた。原子力安全・保安院は「原子力安全・不安因」と改名したら良かろうと思った。無駄な役所であることが一目で判る。蓮舫の出番だ。
         
         

 記:2011.3.25 島乃ガジ丸

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