ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

イチャリバ人間

2005年08月12日 | ガジ丸通信-社会・生活

 イチャリバは出会えばという意。沖縄のことわざ(なのか、あるいは言い回し)に「イチャリバ(イチェーワとも) チョーデー ヌー ヘダティヌ アガ」というのがあり、「出会えば 兄弟 何の 隔てが あろうか」といったような内容。
 旅人が道を歩いていて、土地の人と出会う。一応、会釈する。と、
 「ィヤーヤ、マーンチュガ?(お前は、どこの人か?)」などと訊かれ、それから少し立ち話をし、「イチャリバ チョーデー ヤサ(であるさ) ユクティイケー(休んでいきなさい)」となり、家に呼ばれ、お茶とお菓子をご馳走になり、しばしユンタク(おしゃべり)する。などといったことが昔はあったのかもしれない。今はそんなこと、あまり期待できない。が、きっと、まだ沖縄のどこかで、無いことは無い、と思う。
 「出会えば兄弟」なんて気分でいると、争いごとがなかなかできない。本当の兄弟ならケンカはしょっちゅうだが、義兄弟と思うとケンカのしにくい距離感となる。良い距離を保っての「出会えば兄弟」はまた、相手が自分と同じ人間であることを前提としている。
 今年もまた、8月15日が来る。世界の情勢を見ると平和はまだ遠く感じるが、日本人も朝鮮人も中国人もアメリカ人もインド人もアフガニスタン人もイラン人もイラク人もパレスチナ人もイスラエル人も、その他の国の人々も皆、イチャリバ人間で、お互いがお互いを人間であると認め、理解することが平和への道では無いか、と今考えている。
 戦争をしたがるのは人民では無く、一部の強欲な権力者であると思う。人民は彼らに洗脳されて、扇動されてしまうのであろう。中国の指導部が行った反日教育などもその一種だと思う。もしも、中国の若者たちと日本の若者たちにたくさんの交流があり、お互いがお互いを深く理解しあっていれば、中国の指導者が何と言おうと、
 「それは違う。過去はそうだったとしても、我々は同じ人間として平和に付き合う」などということになる可能性が高いと思うのである。
 尖閣諸島は中国、台湾、日本で共同開発し、そこにいる三方の駐留員たちが月に1度、スポーツや文化で交流する。たまには互いの国から若い人たちを呼んで大合コンをやり、三国一の花嫁選びなどもする。竹島は韓国(できれば北朝鮮も)との共同所有とし、そこでも年に何度かイベントをやる。文化で、スポーツで、人間として交流し、互いの理解の場とする。韓国語を学ぼう、日本語を学ぼうなどという合宿もあって、いつも賑やか。
 このように、争いの種でさえも逆に利用して交流を深める。といったようなことで平和な世の中が築けないものかと、私は思う。「あー、この島があるからこれらの国々は仲が良いんだ。だから東アジアは平和なんだ。」ということになれば、もしかしたら、島に対してノーベル平和賞が与えられるなんて、前代未聞のことが起きるかもしれない。
 まあ、隣のお兄さんが実は殺人鬼であったなんてことが起こる今の世で、判断力の弱った年寄りを騙して金を奪うような今の世で、「出会えば兄弟」などと甘っちょろいことは言っていられないのかもしれないけど、少なくとも、「出会えば殺せ」なんていうような状況にならないような世の中であり続けて欲しいと思う。平和ボケといわれようが。

 記:2005.8.8 ガジ丸

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