ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

泡盛

2011年03月26日 | 沖縄の飲食:飲物・酒肴・嗜好品

 昔ながらの匂い

 古い水彩絵の具と、古いパレット、古い絵筆を抽斗から出して、去年の6月頃から私は絵も描いている。このHPを見ている人なら判ると思うが、さほど上手では無い。ではあるが、その辺りにいるオジサン100人を適当に集めて、絵を描かせ、それらを比較したならば、トップ20位に入る程度には上手なのではないかと自分では思っている。
 古い水彩絵の具や古いパレット、古い絵筆が部屋にあることからも察しがつくように、私はこれまで全く絵に係わってこなかったわけでは無い。高校生の時、ほんの1年間であったが美術クラブに私は所属していた。1年のうちのほとんどを陶芸に時間を使っていたが、油絵を2枚、水彩画を10数枚は描いている。描いた絵についてはあんまり褒められた記憶も無く、自分で気に入ったものも無かったので、即座に処分している。
 ある日、顧問の先生が「うちには轆轤もあるし、楽焼できる窯もあるよ。」と言い、それらを出してくれた。それから私は粘土遊びをするようになる。私の絵を褒めることはこれっぽっちもしなかったA先生であったが、私が轆轤を回して作った碗や壷のことはえらく褒めてくれた。粘土代も援助してくれた。焼く時はつきっきりで見てくれた。お陰で私は、以降、陶芸に熱中し、絵を描くことはほとんど無くなったのであった。

 A先生には、確か5、6年前に、美術クラブの先輩がやっている飲み屋でお目にかかっている。もう既に定年退職したであろうが、元気そうであった。以来私は、その飲み屋に顔を出していないが、先生が今も元気であることは風の噂で聞いている。
 A先生で思い出すのは、先ず陶芸のことである。それは前述の理由から。その次に思い出すのは、たびたび臭かったことである。オジサン臭い(加齢臭)ということでは無い。先生は酒飲みだったのである。前夜たくさん飲んだんだなと判るくらいに、酒の匂いをぷんぷんさせることがたびたびあったのである。先生が飲んだのは泡盛だな、ともすぐに判った。今でこそ爽やかな匂いの泡盛だが、当時の泡盛は臭かったのである。

 浪人の頃、予備校にI先生という人がいた。この人も酒飲みであった。で、この人もまた、たびたび臭い匂いを発していた。当時、授業が終わっても私は、予備校の遊び仲間たちと学校の前でキャッチボールしたり、おしゃべりなどをしてすぐには帰らなかった。夕方暗くなっても、その辺にたむろしていた。そんな時、担当の授業を終えたI先生に呼ばれてお使いをしたことが数回ある。泡盛を買いに行かされたのである。

 などということがある前から、泡盛は臭いものという認識を私は持っていた。祖父も酒飲みだったし、父も酒飲みだったし、何人かいる叔父、伯父たちも皆酒飲みだったからである。彼らが飲む泡盛はすべからく臭かった。
  臭くない泡盛が出だしたのはいつ頃からだろうか。昔、バーやスナックの酒はウィスキーが主流で、泡盛を置いてある店はほとんど無かったはず。それが25年位前(正確ではない)から、そのような店でも泡盛が多くを占めるようになった。ということは、その頃から泡盛が臭くなくなって、多くの人に好まれるようになったのかもしれない。

 去年、ある飲み屋で、昔ながらの製法で作った泡盛というのがあった。飲んでみた。祖父の顔を思い出し、A先生やI先生の顔が浮かんだ。感動した私は、店の人にその酒の銘柄を訊き、後日、酒屋でそれを手に入れて、友人のH夫婦に味見させた。女房のE子が感想を述べた。「フクターカジャがする」とのことであった。タンスの中に長い間しまっておいた服の匂いということである。昔ながらの泡盛は、そんな匂いがした。
      
 記:ガジ丸 2007.2.25 →沖縄の飲食目次

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