ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

桜坂劇場の選択

2005年12月09日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 私は名刺交換をするという機会が少ない。仕事上の付き合いで年に数枚を使う程度である。まれにではあるが、個人的な付き合いで名刺交換する場合もある。古い友人に出会って、「今、何してるんだ?」と訊かれ、「お前こそ何してるんだ」などとなった時、「今、ここにいるよ」と名刺を交換する。そういった時にも職場の名刺は使われる。
 この間、個人の名刺を作った。会社名を「左団扇商会」とし、名前を「島乃ガジ丸」とした。これからは、個人的な付き合いの場合はこの名刺を使うつもりである。私の、職場の名刺には肩書きが書いてある。が、個人である島乃ガジ丸の名詞には肩書きがついていない。考えたが、個人の肩書きというのはなかなか難しい。会社なら担当部署の名前を入れればいいが、個人の自分を「何者である」と自分で判断しなければならない。これがそう簡単では無い。「何者でありたい」というのを肩書きにしていいのであれば、いくらでも思いつく。「生きているだけで幸せを感じている人」などでも良い。
 私の好きなシンガーソングライターの鈴木亜紀にも肩書きがある。彼女のホームページを見ると「自由型ピアノ弾き語り」と書かれてある。「自由型」は水泳の「自由型」を連想し、形が自由なのかという印象を受ける。私なら「自由律ピアノ弾き語り」としたい。「自由律」は俳句の「自由律」を連想し、形にとらわれない感性の自由という印象を受けるからである。まあ、でも、そういったことは個人の自由なので、どっちでもいいのである。
 先週、桜坂劇場でジョイントコンサートがあり、その鈴木亜紀も4組のうちの1組として出演していた。現場仕事の疲れもなんのその、私は出かけた。
 なかなか良い映画を選んで上映している桜坂劇場なので、そこが選ぶジョイントコンサートのメンバーであるならば、鈴木亜紀以外のグループも鈴木亜紀と同類の優れた音楽家か、少なくとも詩人であろう、その作品、または演奏に私は十分期待した。
 ところがどっこい、である。最初のグループは前座ということで、聞き流せたのであったが、鈴木亜紀の後に出てきたグループは二つともいけない。鈴木亜紀の音楽と彼らとのそれでは、その芸術性において雲泥の差があった。独自の音楽とモノマネ音楽という違いもある。桜坂劇場の人たちは誰もそれに気付かなかったのだろうか。それとも、ジョイントのメンバーを選んだ判断材料は、芸術性の似通った者というのでは無く、それぞれのソロライブで、会場の客数が似通っているということから判断したのであろうか。どちらにしろ、である。客は音楽を聴きに来ている。レベルの低いものを後に聴かせられると消化に悪いのである。桜坂劇場の選択に、私ははなはだ疑問を感じたのであった。
 演奏を終えた鈴木亜紀が、私の目の前の席の、一つ隣りに座った。耳障りな音楽を我慢しながら聞きつつ、「よっしゃ!ラッキーだ。帰り際に声を掛けよう。少なくとも数分は話をしてくれるであろう」と思った。ところが、趣味で無い音楽を我慢して聞いていたせいか、途中から頭痛がしだした。頭痛は4組目のバンドの2曲目辺りから酷くなった。これ以上聞くのは辛い状態になり、ちょうど、膀胱も満タンになっていたので、会場を出ることにした。そして、鈴木亜紀に声を掛けようと、席に目を向けた。彼女はいなかった。
 我慢して音楽を聞いている間、私は苦行をする僧のように目を閉じていた。その間に彼女は出て行ったようで、私はそれに気付かなかったみたいである。結局、彼女と一言も口を交わすことなく、頭痛だけを引っさげて、とぼとぼと帰ったのであった。

 記:2005.12.9 ガジ丸

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