ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

農連

2010年08月06日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 農連、「のうれん」と倭人なら発音するだろうが、ウチナーンチュは「ノーレン」と発音する。ノーレンと言えば、オジサンオバサン以上の年齢の人ならそれが何を指すかすぐに判り、那覇近辺の人なら「あーあそこ」と場所もすぐに思い浮かぶはず。
 農連は、『沖縄大百科事典』によると「琉球農業協同組合連合会(現経済連)」の略語となっている。ただし、我々庶民が「ノーレン」と呼ぶのは「農連市場」のこと。オジサンオバサン以上の人に、少なくともその名はよく親しまれている市場。

 「農連市場」も『沖縄大百科事典』に記載がある。要約すると以下。

 1953年、琉球農業協同組合連合会によって那覇市与儀に開設された。
 当初の広さは330㎡、1962年に495㎡に拡張。
 生産者と消費者間の相対取引(セリ市場では無いということ)
 本土並みのセリ売買にしようと試み、
 1973年、那覇市古波蔵にセリ市場を開設した。
 しかし、市場の多くは元の場所に残り、現在でも相対取引が続いている。

  農連市場は上述のように生産者と消費者間の相対取引なので、一般客も買いに来る。ではあるが、農産物(だけでなく、その他の食料品、日常雑貨もある)の集まる場所なのでやはり客は小売業の人々が中心となる。沖縄の小売業はマチヤグヮーと呼ばれる住宅地に点在する雑貨店(今のコンビニのようなもの、食料品、日用雑貨品が揃っている)で、現在では、その数はだいぶ減っていて、実家のある那覇市泊にはもう無い。
 私の住む(現在リフォーム中の)アパートは那覇市首里石嶺にあり、那覇市泊に比べると同じ那覇市でありながらずっと田舎である。石嶺に限らず、田舎にはまだマチヤグヮーがいくつも残っている。マチヤグヮーは概ね近所の年配者たちが利用する。
 アパートから徒歩20分ほどの場所、那覇市首里汀良町に、高校2年から3年間ほど私は住んでいた。私の住まいの斜め向かいには伯父の家があり、家の前の、道に面した一部がマチヤグヮーとなっていて、伯母が経営していた。

  伯母のマチヤグヮー、毎日朝早く暗いうちから出かけ、野菜の全てと雑貨の一部を農連市場から仕入れていた。普段はそれを従姉(伯母の娘)が手伝っていたが、盆正月前になって、大量に商品を揃えないといけない時は、男手が必要となった。
 「明日ノーレン行くから手伝ってね」と伯母に頼まれ、私も何度か手伝った。伯母は私に優しい人で私は好きであったが、その手伝いは嫌であった。朝早いのである。まだ夜の明けぬ4時頃には出るのである。寝坊の私には早起きが辛かったのである。
 その頃は伯母もまだ若かった(50代)ので、彼女が車を運転した。農連近くの道端に車を停め、「荷物が運ばれてくるから、あんたここで待ってて」と言い残し、伯母は市場の中へ入っていった。しばらくすると、オジサンたちが次々に荷物を乗せた台車を押してやってきて、「○○の車だよね」と私に確認し、車に荷物を入れた。荷物は食料品から雑貨までいろいろあったと思うが、スイカやパイナップルなどの果物が目立った。伯母の車は普通乗用車であったが、トランクも後部座席も荷物でいっぱいになった。

  それから10年か15年ほど後、私が東京の大学生活から沖縄へ帰り、アルバイトで何とか小遣いを稼いでいる頃、「今度ノーレン行くから手伝ってね」と伯母に頼まれ、何度か手伝った。その頃私は、実家の泊に住んでいて、伯母の店からは少々離れている。であるが、その頃私は、軽トラックを所持していた。軽トラックが荷物を運ぶのに便利なので借り出されたわけである。朝が辛いので、数年の内、何回かは伯母の頼みを断ったと記憶している。私に優しかった伯母だ、私も優しくすれば良かったと今は後悔している。
 私が車を運転し、農連へ行き、ほぼいつもの場所に車を停め、いつものように荷物が運ばれてくるのを待つのだが、2、3度、買い物する伯母に付いて行ったことがある。
 まだ暗いうちから市場はとても賑やかだった。伯母は馴染みの店をいくつか回り、次々と商品を注文していく。店の人とのやり取りも道端で伯母に声をかける人達との会話も概ねウチナーグチ(沖縄口)であったので、全ては聞き取れなかったが、商売とは関係ない日常の話も多くあり、伯母が農連の古い客であることがよく解った。
 「○○店の前、ナンバーは○○○○」と商品を買った店で伯母は車とその位置を教えていた。車の傍に誰もいなくても、商品は勝手に車に積まれていくのであった。

 途中で、「コーラ飲むねぇ、天ぷら食べるねぇ、チキアギー食べるねぇ。」などと伯母は私に訊き、雑貨屋でコーラを買い、総菜屋で天ぷらやチキアギー(揚げ蒲鉾)を買ったりした。農連の天ぷらやチキアギーは美味しかったと記憶している。
 最近何度か農連を訪れているが、伯母が買ってくれた天ぷらやチキアギーの店がどこにあるのか思い出せなかった。何しろ人で混んでいたし、暗かったし。ただ、農連の全体の雰囲気は今もその頃と変わっていない。おそらく建物も替わっていないと思う。
     
     
     

 写真はどれも農連市場の午後の風景、朝は賑やかだが、午後はこんな感じ。

 記:2010.7.26 ガジ丸 →沖縄の生活目次

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