ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

世界のウチナーンチュ大会

2010年12月31日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 1、世界のウチナーンチュ大会

 『世界のウチナーンチュ大会』という催し物が5年に1回沖縄で開かれている。今年はその5年に1回という年に当たり、第4回目ということである。
 ウチナーンチュではあるが訳あって他国で暮らしている人、先祖はウチナーンチュだが訳(概ね移民)あって、今は他国の籍となっている人などがあちこちの国から集まってくる。新聞の記事によると、「世界二十八カ国から約四千七百人余が参加」とのこと。
 中国には華僑がいて、「中国本土から海外に移住した中国人およびその子孫。東南アジアを中心に、全世界に散在する。牢固たる経済的勢力を形成し・・・後略」(広辞苑)とのことで、現在でも大きな力を持っているようである。世界のウチナーンチュには華僑ほどの力は無い。経済的政治的にに何か成し遂げようとかという気分はたぶん無い。ただ集まって、飲んで、食って、歌って、踊って、「楽しいねー」と思うだけの(たぶん)集まりである。経済交流なども少しはあるかもしれないが、『世界のウチナーンチュ大会』のそのほとんどは文化交流となっている。さすが、サンシン(三線)の島なのである。

 2、心はウチナーンチュ

  『2006年第4回世界のウチナーンチュ大会』は10月12日から15日までの日程で行われた。文化交流と人間交流が中心の祭りは、このHPでぜひ紹介しなければと思っていた。幸いに、義兄がアメリカ代表として参加するので、彼にくっついていって、あれこれ取材しようと考えていた。ところが、何かの間違い(何かは不明)で、10月11日から15日までを私は北海道旅行にしてしまったのであった。よって、何の取材もできないまま、大会が終わった翌日の夜、アメリカ代表として参加し、伊江島へ文化交流もしてきたという義兄から、「面白かったよ」という感想を聞いただけであった。
  その義兄、彼はヤマトゥー(大和人)のくせして、アメリカ合衆国のウチナーンチュ代表である。ほり浅く、色白く、体毛も薄い彼はどう見たってウチナーンチュには見えないのだが、「俺の故郷はここだ」とばかりに、『世界のウチナーンチュ大会』には前回も代表で来ていた。「アンタの生まれ育った静岡の立場が無いじゃないか。ちょっと可哀想じゃないか。」と私は思うのだが、義兄はゴーヤーやナーベーラーを食い、泡盛を飲み、三線(サンシン)を弾く。眉毛は薄くても、心はウチナーンチュらしい。 
 『世界のウチナーンチュ大会』をHPで紹介したかったのだが、今回の『世界のウチナーンチュ大会』で私は何も観なかったし、聴きもしなかった。次回、2011年までは待てない。何しろ生きているかどうかも危うい。というわけで、前回2001年の大会のことを、義兄についていってあれこれ見聞きしたことが記録にあるので紹介したい。
     
     
     

 3、2001年世界のウチナーンチュ大会

 11月3日土曜日の午後、「世界のウチーナーンチュ大会」の会場へ行った。ヤマトゥンチューのくせして、アメリカ合衆国のウチナーンチュ代表である義兄のAと一緒。会場は“沖縄コンベンションセンター”と、その周りにある体育館や広場などで、スコールのような雨が降ったり止んだりする中を、中年男二人はブラブラと散策した。
 沖縄民謡が聞こえてくる広場へ向かった。そこにはたくさんのテントが張られてあり、沖縄やブラジルやペルーやメキシコや、その他、数多くの国々の特産品が売られていた。中でも、南米の屋台の食い物は旨そうなものが多かったのだが、昼飯を食ったばかりだったので、食い物は後回しにして、先ずはペルーのワインを頂く。オジサン二人、まっ昼間からの一杯のワインで、ちょいと良い気分になって、さらにブラブラを続ける。
  コンベンションセンターに隣接する体育館の中へ入った。体育館の中でも沖縄および各国の物産が陳列され、販売されていた。入口から入ってすぐに、ビデオだったか本だったかよく覚えていないが、沖縄の何かを紹介している一角があって、そこに若い女が一人立っていた。一瞬だったが目が合った。美人だった。「こんにちは」と挨拶された。義兄が私の前を歩いて、さっさと先に進んで行くので、つられて私もさっさと彼女の前を通り過ぎて、挨拶を返すこともできなかったが、通り過ぎてすぐに、あっと思った。見たことのある美人だった。誰だったか、何処で会ったのか、名前は何だったか、思い出そうとしたのだが、義兄の足が速く、ついていくのに精一杯の私は、そのうちに、美人のことも、名前を思い出そうとしていたこともすっかり忘れてしまった。
 そのすぐ後、同じ体育館の出口近くにあるNTTの主催するインターネットの無料体験コーナーで、アメリカにいる、Aの息子たちへメールを送り、それからまた、食い物や飲み物の屋台がたくさんある、賑やかな広場へ戻った。

 4、私は見た!衝撃の一瞬

 広場にはアイスクリームの屋台、サンドイッチの屋台、ミートパイの屋台など食い物の屋台が多くあった。それらは眺めるだけにして、飲兵衛のオジサン二人はメキシコのビールを飲もうと、その屋台へ向かう。その途中、私は衝撃!の一瞬を見た。
 メキシコの手前にはブラジルの屋台があり、そこでは牛肉のグリルが売られていた。私たちが、そこを通り過ぎるとき、ちょうど一枚の牛肉が焼きあがり、そこの主人らしき親父が、客の目の前にある皿の上で、肉を一口大に切っていた。皿の上には、すでに3、4切れの牛肉がのっかっていた。それは確かに、スーパーマーケットの、試食コーナーの皿のようにも見えたのではあるが、義兄は、その店の前を通り過ぎる時、親父と客の間にある皿の上に、さっと手を伸ばし、牛肉の一切れをひょいとつまみあげ、自分の口の中に入れたのだ。指を舐めながら、「美味い!」とも言ったのだ。そこはしかし、スーパーマーケットの試食コーナーではなかった。義兄は気付いていないが・・・私は見た。親父が、ものすごい形相で、彼の後姿を睨み付けていたのを。肉は客の物のようであった。

 5、ビバ オキナワ ラティーナ

 スペイン語で、“ビバ”は“万歳”、“ラティーナ”は“ラテンの”といった意味。
 世界のウチナーンチュ大会のメイン会場で夕方からコンサートがあった。コンサートには4組のバンドが出て、それぞれ楽しい音楽を聴かせてくれた。
 1組目は、サルサ、マンボ、チャチャチャなどのラテンミュージック。リズミカルな明るい音楽が始まると、30余カ国から集まってきたという世界のウチナーンチュたちや、ウチナーンチュではないが沖縄に縁のあるいろいろな国の、いろいろな人種の人たちが熱狂した。若い人や、東洋系では無いと思われる人種の人たちは、立ち上がってステージの前まで行き、さらにはステージにまで上がって、踊った。
 2組目は、ペルーで活躍している日(沖縄)系人バンド、これもラテンミュージック。リズミカルな明るい音楽が始まると・・・以下、同文。
 3組目は、ブラジル在住の沖縄人パーカッショニストが組んだジャズバンド。曲は、ジャズがほとんどで、ノリノリには遠かったが、それでも、ラテンのリズムがあって、リズミカルな明るい音楽が始まると・・・以下、同文。
 4組目は、ご存知ディアマンテス(ご存じなければ、今日からでも存じてください)。前の3組が、リズミカルで明るいとはいえ、踊っている人は全体の20分の1(100人程度)くらいで、曲によっては、立っている人が1人もいないこともあった。しかし、さすがディアマンテスは違った。紹介されて、灯りがつき、ドラムが最初の音を叩こうとした瞬間には、前の席の人たちが立ち始め、曲が始まった頃には、全員が立っていた。1曲目から全開だった。手を振り、腰を振り、これは踊りにくいだろうというリズムの曲になっても、座ることはなかった。音楽を聴きに来ているのか、踊りに来ているのか、わけのわからない状態が続いて、「何だか、グローバル」と私は思ったり、「沖縄の心はラテンのリズムに通じているのかな」とも思ったりして平和を感じていたのだが、元より、静かなのが好きな私は、音楽はじっくりと聴くのが好きな私は、会場の空調が冷えすぎているせいもあり、自身が熱狂していないせいもあり、風邪をひきそうなくらい寒さを感じて、フィナーレまではまだ1時間近くあったのだが、外に出た。
 10分ほどして、義兄も出てきた。
 「寒かったねぇ」
 「上手なバンドだったねぇ」
 「ディアマンテスは、さすがに人気があるねぇ」
 「あんまり熱狂されると、音楽が聴けないねぇ」
 「でも、なんだか平和だねぇ」
 「ああやって、日本語や英語やスペイン語やポルトガル語やウチナーグチ(沖縄語)が飛び交っていると、世界の平和はここにあり、なんて思うねぇ」などと二人で話し合いながら、会場を後にしたのだった。

 6、ラテンもいいけどカデカルリンショウ

 ウチナーンチュ大会の翌日、部屋の中で、私は酒を飲みながら嘉手苅林昌(カデカルリンショウ)を聴いた。嘉手苅林昌は2年前(注、1999年)に亡くなってしまったが、私の最も好きな沖縄民謡の唄者(ウタシャー)である。彼はボソボソと声を出し、淡々と唄う。それで、確かな情が伝わる。見事なのだ。日曜日の夕刻を私は林昌に浸った。
 ふと、前日、体育館で挨拶された美人のことを思い出す。何処の誰かは思い出せない。挨拶したのに無視されたんだ、今度会ったときは知らんぷりされるだろうなあ、と残念な気分になり、ちょっと悲しい気分になり、林昌の唄が心に染み入るのであった。
     

 以上、世界のウチナーンチュ大会の話でした。

 記:ガジ丸 2006.11.3 →沖縄の生活目次

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