ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

立つ鳥二種

2010年05月15日 | ガジ丸通信-社会・生活

 私の住むアパートの隣りの部屋には、可愛い、喩えていうとアキバ系メガネっコの若い娘が住んでいた。今年4月にアパートを引き払い田舎へ帰ったので、「住んでいた」と過去形になる。住んでいた期間は丸4年、その間、顔を合わせたのは3、4度だけ。
 去年の秋、彼女の部屋を覗いたことがある。襲おうと思ったわけでは無い、また、彼女と恋人関係になったというわけでも無い。ある日の朝、彼女の部屋のドアが開いていた。その時は通り過ぎただけだが、昼時、アパートに戻ると同じ状態であった。「もしかして倒れているかも?」と思って、大家を呼んで、一緒に中を覗いた。誰も倒れてはいなかったが、私と大家は大いに驚いた。若い可愛い娘の部屋はゴミの山であった。

  アキバ系メガネっ娘は約1週間かけて部屋の後片付け、掃除をし、4月の初めにはいなくなった。その数日後、主がいなくなった部屋を私は覗いた。あの汚い部屋がどうなっているか興味があったのだ。家財道具やゴミの類はほとんど消えていたが、でも、やはり汚かった。畳がところどころ黒ずんで腐っていた。ゴキブリの屍骸が数匹散らばっていた。押入れの床が腐って穴が開いていた。窓の網戸は大きく破れているし、台所の窓に到っては2年前からガラスが割れっ放しで「ゴキブリさんいらっしゃい」状態になっていたし、いやはや何とも、若い娘がよくもこんな所で暮らせたものだと、感心した。
 その後、大家に会ったので、「酷いですね、あの部屋」と挨拶すると、「全く、あんな酷い状態は珍しいよ。とにかく、出て行ってくれただけで大助かりだ。」とのこと。アキバ系メガネっ娘の可愛い立つ鳥は、跡を大いに濁していったようだ。
          

 私の父は依頼心の強い人である。特に、一緒に暮らしている人への要求が多い。人に何かをして貰うことが大好きみたいである。「そんなことくらい自分でやれよ!」と思うことがたびたびあり、母も私もそんな父の甘えにはうんざりしていた。母は逃げることができなかったが、私は逃げた。逃げてから私は、心安らかな生活となった。
 病床の父を見舞いに岐阜から伯母(父の姉)が来ていたので、その伯母に「父の甘えん坊は姉たちが甘やかしたからじゃないの?」と訊いた。「その通り」と伯母は答えた。4人姉弟の末っ子である父は、3人の姉達に甘やかされて育ったらしい。
 そんな父は、死期が近付いてもあれこれ要求する。あの人に会いたいこの人に会いたいというので、会わせる。そして、我が家で死にたいという要求も叶えた。

  末期ガンの父を、先週金曜日(7日)に退院させた。その時父は「後2日だから」と言った。2日間は在宅介護してくれということだ。父は後2日の覚悟があった。病院からの薬や栄養ドリンクを拒否し、摂取するのは1日ほんの少しの水だけとなった。
 ところが、予定の9日を過ぎても父の意識はしっかりしていた。10日の午後になり、父は「病院へ戻れるか?」と私に訊いた。そして、「早く死にたい」とも言い、自分の手で自分の首を絞める仕草もした。子供たちに糞尿の世話をさせている申し訳なさと、数日間も醜態を晒している惨めさで、悔しい思いをしているに違いない、と私は思った。
 父の精神は「潔く」との思いに違いない。見事な心意気だと思う。ただ、肉体が精神に反して予想外に頑張っているだけなのだ。父の精神は、跡を濁さずビシッと飛び立ったものと認めたい。往生際の悪い肉体だと、息子に思われたのは残念だが。
 父は飛び立った。13日深夜1時30分、静かに眠るように。息子が見送った。
          

 記:2010.5.14 島乃ガジ丸

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