ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

心の鍛え方

2008年06月20日 | ガジ丸通信-社会・生活

 6月8日、日曜日の午後、久々に友人Tの店にお邪魔した。そこのパソコンを使って調べ物をしている時、テレビを観ていた女房のE子が声をあげた。「ねー、ねー、秋葉原で大変なことがあったみたいよ、無差別殺人事件だってよ。」
 「ねー、ねー、1分以内に沖縄を地震が襲うってよ。」では無い。遠い秋葉原の話だ。我が身に直接関与しない。なので、E子の声を無視して、私は私の作業を続け、しばらくしてからネットのニュースを見る。
 ある日の昼間、人通りの多い道を歩いていると、見ず知らずの人に突然刺される。そういう世の中になったのか、と思う。

 家に帰って、テレビのニュースを観る。突然ナイフで刺されるっていうのも怖いが、車が、殺す目的で突っ込んでくるというのはなお怖い。それは防ぎようが無い。
 自由競争社会で負け続けていると思い、誰からも無視されていると感じている人は多くいるだろう。そういった人たちはこれからも増えるだろう。沖縄にも現れるであろう。そういう世の中になっているのだ。私の住む街も車の往来は多い。その中の1台が突然、散歩している私を轢き殺そうとする。そんなことが起きるかもしれない。
 そういう世の中になっている、沖縄もそうなりつつあると考えれば、秋葉原の事件は我が身に直接関与している。私も同じ社会に生きているのだ。これからは、心に余裕があれば、できるだけ人には親切にしようと思った。誰かに親切にされたという小さな幸福が、疎外感を感じている人の心の慰めになるかもしれない。

  負け続けていると言えば、大学を卒業して長くフリーター生活だった私も、常にアルバイトがあったわけでは無いので、平均すると常に極貧であった。極貧はデートもできなかった。元々モテルわけでは無いので、恋人もできなかった。お陰さまでオジサンは、金も無い、女房もいない、子供もいない、今の社会で言う負け組みとなっている。
 であるが、ところが私は、負け組みなどとはちっとも思っていない。幸せな人間だと思っている。付き合ってくれる友人は多いし、ごくまれにだが、デートする機会もある。それは、極貧だった頃も多少余裕のある現在も変わっていない。

  秋葉原の犯人は、恋人ができないことを心の鬱屈の原因としていた。その気分は、恋人のいない期間が人生の大半を占める私にはよーーーく理解できる。理解はできるが、私の鬱屈はしかし、外への攻撃には繋がらなかった。それは、正しく生きたいという意志が、彼より私の方が少々強いからだと思う。ただ、私は強い意志を持つために自らを鍛えた覚えは無い。心の鍛え方は難しい。自分の力だけではなかなか困難なことであろう。
 心を鍛えるには他人の力が必要だと思う。他人と関わることによって心は鍛えられると思う。だから、関わってくれる友人知人が多くいる私は、ある程度鍛えられているのだろう。だが、誰からも相手にされていないと感じている犯人は、心を鍛える機会も得なかったことになる。ホントはだけど、彼の周りにも多くの誰かがいたはずだ。彼が1歩前に踏み出せば、誰かは彼に関心を持ったかもしれない。1歩の勇気、それもまた、バーチャル世界で遊ぶのに慣れた若者の中には、持てない人がいるのかもしれない。
          
          

 記:2008.6.20 島乃ガジ丸

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 見聞録021 有機冷暖房 | トップ | 瓦版061 南の島の魔女 »

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。