ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

仏の顔も2度は無し

2009年01月30日 | ガジ丸通信-社会・生活

 猫の寿命は15年位らしいが、人間同様、その寿命を全うするには、死に到る病気や怪我などをせず、生きるのに十分な食料を得続けなければならないだろう。
 野良猫は十分な食料を得続けることが困難な状況にある。生き続けるのは、飼い猫よりはるかに難しい。彼らの平均寿命はいったいどのくらいなんだろう。
 アパートや職場の近辺をうろついている野良猫たちは、私の感覚では3~4年で顔ぶれが代わっている。交通事故にあい、道路の上に屍を横たえている猫も多く見る。その内の1匹となったのか、一年前まで私の部屋の周りを棲家としていたトラ猫は2年ほどで消えている。そういうのを含めると、野良猫の寿命は2~4年位なのかもしれない。

  アパートの、隣の住人が一匹の野良猫に情けをかけて、飼うようになったのは1年ほど前のこと。その猫は、安定的に食料を得ることができる代わりに、外を駆け回る自由を失った。彼の居場所は概ね、風呂場の窓の縁であり、そこに座って、網戸越しに外を見ていた。「出たいなー、走りたいなー。」などと思っていたのかもしれない。
 そしてある日、彼は脱走する。網戸を破って外に出た。破れた網戸からは蚊やゴキブリなどが侵入してくる。隣の住人にとってはエライ損害だ。恩を仇で返されたような、飼い猫に手を噛まれたような気分であっただろう。それでも彼女(隣の住人は若い女性)は猫を許した。風呂場の窓を常時開け放して、猫を出入りさせた。私なら、その裏切り行為を断じて許さないと思う。隣人は仏の心を持った人のようである。
  それからしばらく、隣の風呂場の網戸は上半分破れたまま、時々閉じられ、時々開けられた。食料が供給され、網戸が開けられた時には外を自由に駆け回れる、そんな恵まれた状況に猫はなった。猫はしかし、それに満足しなかった。時々閉じられた網戸をさらに破って、いつでも外に出られるようにした。網戸は上から下まで破られた。
 仏の心を持った隣人であったが、その仏の顔も2度は無いようで、以降、風呂場の窓はピシャっと閉じられた。猫は出入り不可となった。
          
          

 外を自由に歩き回れる代わりに食料を自分で調達しなければならない。家の中に閉じ込められる代わりに食料は安定供給される。人間ならば、どちらが幸せだろうか。難しい選択だ。私なら、と考えてもすぐに答えは出せない。社会が、自力で食料を調達できることが比較的容易で あるという状況なら後者を選ぶが、仕事が簡単に見つからないという今の社会状況なら、不自由を我慢して、人に養われていた方が幸せかもしれない。

 餌を与えられていた猫は、自力で食料を得ることに慣れていない。なので、彼が生き続けることは難しいかもしれない。12月まではアパートの周りをうろちょろしていたが、1月になってからはその姿を見ていない。1月になってからは沖縄もぐっと冷え込んだ。この寒空の下、彼はどこで体を温めているだろうか、飯は調達できているだろうか。
 教訓。ぬるま湯のような環境にいる時でも、自分で自分の食い物は調達できるような力を身に付けておこう。仏に何度も出会えるほど、世の中は甘くないはず。
          

 記:2009.1.30 島乃ガジ丸

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