ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

未来も平和であるといいね

2015年06月26日 | ガジ丸通信-沖縄関連

 今週火曜日(6月23日)は沖縄の慰霊の日であった。その日は(たぶん今でも)沖縄の学校(たぶん役所関連も)は休みである。休みだが、学校からお達しがあり、正午になると子供達は1分間の黙祷を戦争で犠牲になった人達へ捧げる。私も子供の頃は素直だったので学校のお達しに従い、どこかで遊んでいても黙祷はやった。が、大人になってからはほとんどやっていないと思う。日頃平和を願っているので、それで十分と思って。
 去年の慰霊の日は従姉K子に誘われて、糸満市摩文仁の平和記念公園に出かけた。慰霊の日には毎年そこで沖縄全戦没者追悼式が開かれる。戦争の犠牲になった人々の御魂を慰め、平和を願い、不戦を誓う式典である。私は慰霊の日の摩文仁は初めてであったが、従姉K子はほぼ毎年来て、式典にも参加しているとのこと。彼女と彼女の姪のS子は例年通り式典に参列したが、私は参加せず、正午になって会場の外から手を合わせた。
          

 慰霊の日の平和記念公園はとても混んでいた。そこへ向かう道路も混んでいたが、公園内の駐車場も混んでいて、車を停めるのに難儀した。その日に「これから先、慰霊の日に摩文仁へ行くのは止そうと決めた」ということを覚えていたので、今年の慰霊の日は摩文仁へは行かず、畑の近くにある西原の塔へ出かけた。畑仕事も溜まっていたので朝早くから畑仕事に精を出し、お昼前にはその手を休め、12時5分前には現場へ着いた。
 西原の塔、ちっとも有名では無いので、というか、私もこの近くでハルサー(農夫という意味の沖縄語)をするまでその存在すら知らなかったのだが、ハルサーを始めてまもなく、沖縄戦で亡くなった遺骨が合祀されているということを、西原町民である畑の地主のIさんや、同じく西原町民である近所の大先輩農夫N爺様から聞いていた。
 西原の塔入口に『西原の塔の沿革』と題された看板がある。それによると、「合祀されている英霊の柱数は、1981(昭和56)年以降現在まで7、068柱である」とのこと。ここに書かれてある「現在」は看板の設置された1993年だと思われる。

 12時5分前に着いた私は、ここに収められている英霊の縁故者では無いことに遠慮して、園内には入らず駐車場側で12時になるのを待った。園内には14~5人の大人と、7~8人の子供たちがいた。慰霊の日である、100人ほどの人々が平和を祈りに来ているだろうという私が想像していた景色とは程遠い寂しさだった。あとで気付いたが、『西原の塔の沿革』によると、西原の塔での戦没者追悼式は10月とのこと。
 12時、サイレンが鳴った。私も手を合わせ黙祷。黙祷は普通1分間続けるが、私は30秒で済ませ、カメラを出し、写真を撮った。施設内には平和のモニュメントらしきものと、戦没者の刻銘板がある。摩文仁の平和記念公園にある「平和の礎」と同じだ。子供達はその刻銘板に向かって手を合わせていた。未来も平和であるといいね、と思った。

 摩文仁の沖縄全戦没者追悼式で沖縄県知事は戦没者追悼の他に、普天間基地の辺野古移設反対の意見も述べたらしい。会場からは拍手が起こったらしい。式典には今年も総理が参加し挨拶した。その中に辺野古基地に関する言及は無く、式典後の記者会見で辺野古のことに触れたようだ。「普天間基地の危険性除去は辺野古移設しかない」と相変わらずの答弁、「何で辺野古以外には無いの?」には今回も答えていない。
          

 記:2015.6.26 島乃ガジ丸

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 2015.6.26肩凝り腰痛、体重増 | トップ | ネットハウス作り »

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。