ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

チム、ククル、ショー

2016年04月08日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 チムは「肝が据わっている」の肝、肝を沖縄語ではチムと発音する。ククルは心の沖縄語発音、ショーは「性悪女」の性、性を沖縄語ではショーと発音する。ちなみに、ショーについては既に2010年3月2日付記事『ウフソーとソーヌガー』で紹介していて、その中で「ソーは性のウチナー読み」と私は書いている。その通り、私が子供の頃から実際に耳にしている発音はほぼソーに近いのだが、沖縄語辞典の発音記号を見るとショーとなっている。正式(首里方言)にはショーと発音されるのだと思われる。

 チム、ククル、ショー、人間を肉体と精神に分ければ、いずれも精神に含まれるもの、それぞれどういう意味を持っているのかを調べてみた。
 和語でも「肝に銘ずる」や「肝に染みる」とあるように肝は心の意味でも使われるが、それは沖縄語でも同じ。性は「性が合う」とあるように性格のことを言うが、それも和語と沖縄語は同じ。ん?ならば、心と性はどう違うのかと疑問を持つ。で、広辞苑。
 心は「知識・感情・意志の総体。「からだ」に対する。」で、
 性は「先天的な性質。うまれつき。性状。」とあった。テレビに喩えて私なりに解釈すると、「テレビ局から放送される電波を受信して映像を画面に映し、音声をスピーカーから流す」のがテレビの性で、「番組(映される映像と流される音声)そのものが心」となる。これが正しい喩えかどうかについては不明。私がそう捉えたということ。

 肝と心とに違いはないのかと思って、これも広辞苑を引く。
 肝は「精神。気力。胆力。」とあり、その中にある「精神」の第2義に「知性的・理性的な、能動的・目的意識的な心の働き。根気。気力。」とあった。これから考えると、肝は「知識・感情・意志の総体」である心の中の「感情の一部と意志」のようである。
 心と肝をテレビに喩えたなら、全ての番組が心であり、「正しい放送であること、公平な放送であること」という放送局の姿勢が肝であると言えるかもしれない。これが正しい喩えかどうかについては不明。私がそう捉えたということ。
 例えば、「肝に銘ずる」や「肝に染みる」を「心に銘ずる」や「心に染みる」と言い換えて、両者を比較した場合、肝は心より強く銘じられ、肝は心より深く染みるように感じられる。肝は心の深い所にあるもののようだ。
     
 チムグクルという言葉がラジオから流れるのを私は何度か聞いている。漢字にすると肝心になると思われるが、私の聞いた限りでは「同情する心」といった風な意味で使われているようである。ところがチムグクル、沖縄語辞典には記載がない。どうやら造語のようである。肝心はしかし、広辞苑にはある。カンジンと読み「大切」といった意。
 「同情する心」といった意味では他にもっと美しいウチナーグチがある。チムグリシャンである。漢字にすると「肝苦しゃん」、沖縄語辞典では「不憫である かわいそうである」と訳されている。字から想像すれば、肝(心の深い所)が苦しくなる程同情するということになる、美しい言葉だと思う。他人のことを自分のことのように感じればチムグリシャンという感情にもなるのだろう。沖縄にはそういう心があったようである。
 私にそのような美しい心はないし、友人達の誰にも持っている人はいないので「あったようである」と過去形にしたが、沖縄にはまだそのような美しい心を持った人がいるかもしれない。金欲物欲まみれの今の世で、そういう人は生き難いかもしれないが。
     

 記:2016.3.19 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行

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