ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

玉陵

2010年12月31日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 中学の頃、周りに不良がいっぱいいた。同級生の不良たちは顔馴染みでもあったので、私に対して悪いことをするなんてことはそう無かったが、先輩の不良の中には、「えっ!何で殴るんだ」といった理不尽な行為をするような人がいた。中学の外に出て、他所の中学の縄張りに入ったりすると危険はもっとずっと増した。どこの中学にも悪い奴はいくらでもいて、顔なじみでは無い彼らは、まったくもって理不尽なのであった。
 高校は、私は進学校である首里高校に入った。首里高校の前身は県立一中である。卒業生にはあの山之口獏もいる。まあ、とりあえず名門なのである。そんな名門校には、よもや不良などというものはいるまいと私は思い、少なくとも校内や学校周辺では理不尽な行為を受けることはあるまいと思い、平和な3年間が送れると期待したのであった。

 入学してそう日の経たないある日、校外の食堂で昼飯を食った後、学校へ向かって一人で歩いていたら、いきなり後から肩を抱かれた。制服からして首里高生ではあるが、知らない男であった。「ちょっとつきあってくれ」と言う。男は私より背が低く、強そうな顔でもない。私は肩にかかっていた男の手を振りほどいて、彼の言葉を無視し、何事も無いかのようにゆったりと歩き続けた。後から何人かの走る足音が聞こえ、そして、「ちょっと待て!」と言う声と共に肩を掴まれた。5人の男に囲まれた。先輩のようであった。
 「ちょっと来い!」とリーダーらしき男が言う。5人が相手では逃げるのは無理。観念して付いて行く。先頭にリーダーが立ち、両側に1人ずつ、後に2人が続いた。
  彼らは玉陵へ入って行った。最初の建造物を越えて、次の建造物の中まで進む。ここはもう外からは見えない。おそらく大声上げても外へは届かない。「やられるのか」と思いつつ、名門首里高にまでこんな奴らがいるのかとも思い、少し腹が立つ。リーダーは私の前にいて石の上に腰掛けている。彼の両サイドに1人ずつ立ち、残りの2人は相変わらず私の後にいる。「俺たちは首里高校応援団だ」とリーダーが言った。
 私の学生服が他と少し違うことが気に食わなかったらしい。そのことや、また別のいろんなことについて団長がグダグダ言っているのを聞きながら、「しょうがない、久々に殴られるか」と考え、「でも、少しは抵抗してやろう」と考える。後の2人に一発ずつ、リーダーの顔面に蹴りを入れたら、後は殴られ放題になるか、などと考える。いやいや、ひょっとしたら、リーダーへの蹴りが上手く決まったら逃げられるかもしれないぞ、とまで考えた。が、そのすぐ後、私は平謝りすることになる。
 5人だけかと思った彼らのグループ、応援団とその取り巻きは、ふと気付くと、玉陵の建造物の上にずらっと並んで、30人ばかりの人数であった。
     

 玉陵
 「たまうどぅん」と読む。琉球国第二尚氏王統の陵墓。沖縄独特の破風墓で3基が連なっている。1501年に尚円王の遺骨改葬のために、息子の尚真王によって作られた。
 上記の話の頃はまだ史跡として、観光名所として整備されてはいなかった。尚家の墓なので、その縁の人が訪れるくらいであった。現在は入場料が必要だが、当時はただ。応援団の溜り場にもなったわけだ。私には楽しくない思い出の場所である。

 記:ガジ丸 2006.7.19 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行

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