ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

八重山オジサン三人旅-前編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

1、いつもこうだから

 「悲しいとき」
 「悲しいとき」
 「擦り傷の跡が1年経っても消えずに、歳だなあーと感じたとき」
 「悲しいとき」
 「悲しいとき」
 「足指の関節の間に縦皺ができて、歳だなあーと感じたとき」
 「悲しいとき」
 「悲しいとき」
 「夕日が沈むとき」
などというネタを持つお笑いコンビは“いつもここから”であるが、私の旅は“いつもこうだから”から始まる。

 「八重山スケッチの旅」の出発の日、朝起きるのに大いに不安があったので、同行の友人Hと、同僚のTにモーニングコールを頼んだ。二人は約束をちゃんと果たしてくれた。であるが、私が那覇空港に着いたのは出発の20分前。搭乗手続きをし、手荷物検査を受け、出発ロビーに着いたのは7、8分前であった。
 既にそこにいたHに、「さすが旅慣れているな。余裕だな。」と言われたが、けして旅慣れているからでは無い。“いつもこうだから”時間ギリギリに慣れているだけである。焦りが顔に出ないだけである。また、けして余裕では無い。家を出て、バスに乗って、モノレールに乗り換えて、空港に着いて、搭乗手続きと手荷物検査を終えるまでは、ずっとハラハラドキドキだったのである。不安でドキドキ、走ってドキドキするから、心臓に悪いことこの上無い。こんなんで、私は我が寿命をいくらか縮めているかもしれない。

 遅れたことの原因はある。3日前の火曜日に伏線はあった。その夜、鶏鍋を作った。家族用の大きな土鍋いっぱい作った。これを3日分の食料とするつもり。翌日の夜、急な飲み会が入った。よって、その夜、鶏鍋は消費されなかった。朝昼の2食分、汁椀2杯分が減っただけ。翌日、急に現場仕事となった。朝も食う時間が無かったので、鶏鍋は夜の1食分が消費されただけ。出発の朝、鶏鍋はまだ、鍋の半分は残っていた。前日の冷ご飯も残っていたので、朝飯を鶏雑炊とした。これが、量が多い上に熱かったもんだから、食うのに時間がかかった。そのせいで、私の出発が遅れたのであった。
 コーヒーを飲む暇はもちろん、髭剃る暇も、雲子する暇も無かった。飛行機の中でずっと我慢していて、石垣島へ着いて私の旅は、雲子から始まったのであった。
      
 記:ガジ丸 2005.11.7



2、史上初の快挙

 石垣島へ向かう飛行機は、朝早い便だというのに満席。機内の雰囲気からその理由が何となく判った。客の多くがたぶん、前日、九州高校野球大会で石垣の八重山商工高校を応援していた人たちなのであった。地元の高校が準優勝したという幸せが、機内に何となく漂っていた。選手の縁者や学校関係者などもいたかもしれない。
 離島の高校が、正式に甲子園出場を果たすのは史上初の快挙らしい。私はスポーツ観戦にはあまり興味が無くて、高校野球のテレビ中継もほとんど観ないのであるが、同行の友人Hはスポーツ大好き人間。サッカー、ゴルフ、格闘技に詳しく、高校野球も大好き。彼の情報によると、八重山商工高校にはリトルリーグから始まる“聞くも涙、語るも涙”のドラマがあったらしい。そのうち、「プロジェクトX」の材となるかもしれない。
 八重山商工高校に行って、甲子園出場おめでとうの横断幕の写真でも撮って、ガジ丸HPに載せようと思った。ホテルについて、受付の人(オジサン1人、お兄さん1人)に場所を訊いた。八重山商工高校の名前を出したとたん、二人の表情が緩んだ。史上初の快挙は石垣島の、ほとんどの人の喜びとなっているんだなあと感じた。
 何だかんだあって、結局、八重山商工高校には行けなかったが、翌日の夜、石垣祭りの出店に八重山商工高校も出店していて、その看板の写真を撮った。
      
 記:ガジ丸 2005.11.8



3、ライバルへ客を送る

 空港から石垣の市街地は近い。ホテルには10時前に着いた。チェックインの時間は午後2時頃だったと思うが、八重山商工高校の準優勝で機嫌が良かったのか、あるいは、元々親切なのか、ホテルの人は、我々をチェックインさせてくれた。

 そこからすぐに竹富島へ渡る。竹富島へは船で15分。港から集落のある場所へ向かって、オジサン二人ブラブラ歩く。同行の友人Hは景色を、私は動植物の写真を撮りながらだから、ホントにブラブラという言葉がピッタリののんびり散歩となった。
 休み無しで3時間あまり島内を散策した後、腹減ったので昼食を取ることにした。時間は2時前となっていた。集落の中心近くにある“なごみの塔”に登って、竹富島の景色を俯瞰(高いところから見下ろすこと。鳥瞰とも言う。ガジ丸は日本語の勉強にもなる。)した後で、そこからすぐ近くにあった食堂へ入る。食堂は満員だった。
 運良く、すぐに席が空いたが、座ると、「30分以上待つことになりますが、よろしいですか?」と店のお姉ちゃんが言う。30分以上待つのは嫌だったので、「ビールだけでいいや」と生ビールを注文する。生ビール一杯とタバコを2本吸う。その間、客が十数人食事を終えて出て行ったが、新しい客が十数人次々と入ってきて、席は常に8割がたは埋まっていた。お姉ちゃんに訊くと、「今日は特別忙しいです」とのことだった。
 厨房を見ると、料理人はオジサン一人。あまりにも忙しかったのだろう、オジサンは客からの注文を聞くたびに怒ったような顔になった。たぶん、「嬉しい悲鳴をあげる」というレベルを超えていたのである。「冗談にも程がある」という気分だ。

 その店を出て、数分も歩くと別の食堂があった。そこは客が少なかった。竹富島は道が分かり辛い。どの道にも石積みの塀と赤瓦の家があって、どこも似たような景色であるからだ。その中で、“なごみの塔”は目立ち、そのすぐ近くにある食堂も目立つ。他の店を知らない客はそこを選ぶ。で、そこだけが満杯となる、ということかもしれない。
 店の壁に、「近くには別の○○という食堂があります」という張り紙をして、地図も添えておけば、客も喜ぶし、他の店も喜ぶであろう。「ライバルに客を送る」なんて、「敵に塩を送る」みたいなこと、なかなかできないことではあるが。
      
 記:ガジ丸 2005.11.8



4、ゆっくり散歩でたくさん

 今回の八重山の旅には「八重山スケッチの旅」という名前を付けた。同行の友人Hは商売人であるが、絵描きでもある。彼がかねてから竹富島旅行を望んでいたので、今回の計画となった。スケッチといっても、スケッチブックに絵を描くわけでは無い。主にカメラでスケッチし、目でも見て、心にもスケッチするということである。

 竹富島に上陸して5分後にはHがカメラを構える。その2、3分後には私がカメラを構える。Hの対象は建物や道を含めた景色、私の対象は動物や植物。それぞれ立ち止まる場所が違うものだから、とてもゆっくりした散歩となった。
 港から集落へは徒歩10分くらいだろうか、それを、我々は倍以上かかっている。その道中で私は、スジグロカバマダラ、シロオビアゲハ八重山亜種、クマバチ八重山亜種、ハシブトガラス、ショウジョウソウ、オオバイヌビワなどの写真が撮れた。
 集落に入ってからはHの方が多く立ち止まる。彼が描きたいと思う景色があちらこちらにあったようだ。途中、ビールを一杯飲み、さらに歩いて、2時間後にまた、同じ食堂に戻って私はビールを飲み、画家は八重山そばを食い、その後、港へ向かいながら写真を撮りつつ、夕方5時半頃に竹富島を離れた。約7時間の竹富島散策であった。
      
 7時間のゆっくり散歩で我々はたくさんの写真を撮った。画家は約200枚、私は約150枚、画家も大満足していたが、私の方もベニモンアゲハ、カラスアゲハ、タテハモドキ、リュウキュウアサギマダラ、クビワオオコウモリなどの動物、ハネセンナ、フトボナガボソウ、ノゲイトウなどの植物など、まだ調べの終わっていないものも含めて50枚ほど、ガジ丸で紹介できる写真が撮れた。紹介するまでには時間がかかりそうだが。
       
 記:ガジ丸 2005.11.8



5、探せないライブハウス

 竹富島から石垣島へ戻ったのは6時頃、ホテルへは寄らずに、すぐに飲み屋を探す。旅するピアノ弾きの鈴木亜紀がライブをやったという店を探す。9月に那覇でライブがあったときに、「どんな店ですか?」と訊いたら、彼女は「いい店ですよ。」と答えた。愛する人が「いい店」と言うのであれば、ぜひ行ってみようと思ったのである。
 確か、そのライブハウスは石垣のもっとも賑やかな商店街の中にあると言っていた。アーケードのある辺りだ。で、その辺りを探すことにする。が、私は店の名前を覚えていなかった。それでも、沖縄の暢気なオジサンは、看板を見れば思い出すかもしれないと甘い見通しなのである。Hを連れてアーケードの近くに向かう。するとすぐに、あっと思う看板が目に入った。南風と書いてパイカジと読む看板。パイカジは、鈴木亜紀のホームページに記述があったことを覚えている。が、ライブハウスの名前であったという確信はまったく無い。しかし、歩き回るのも面倒だったので自分自身に妥協し、中へ入る。その日、別便で鹿児島から来ている友人のNも合流し、三人で楽しい夜を過ごした。

 翌日、Hとは朝から、Nとは午後3時から別行動だったので、夕方、一人でライブハウスを探す。名前はずっと思い出せないまま。大きな土産物屋に入って、そこの従業員である若い女性に、「市内のライブハウスを探している。名前が思い出せない。いくつかライブハウスの名前を言ってくれたら思い出すかもしれない。」と頼んだら、「オールディーズの店なら知っています」と言って、場所を教えてくれた。
 鈴木亜紀はジャズであり、ブルースであり、フォークであり、民謡でもあるのだが、オールディーズというジャンルの音楽とは違うだろうと思いつつ、教えられた場所へ行く。が、そこでは無かった。結局、その日もライブハウスは探せなかった。
 旅を終えて、翌日出勤して、職場のパソコンで確認する。ライブハウスはアーケードの通りにあった。公設市場の真ん前、公設市場へ私は数回行っている。その前も数回通っている。公設市場から出た時、目の前の店の看板を、私は1度も見なかったようだ。
      
 記:ガジ丸 2005.11.8



6、点から点の行動

 鈴木亜紀の名前を前頁で出したが、彼女の作品の中に「私たち点と点だね」というフレーズがある。点と点、ポツンとポツン、二人でいても淋しい。

 「八重山スケッチの旅」二日目は、朝早くから鹿児島の友人Nと(画家のHはこの日別行動)西表へ渡り、ジャングル体験をした。25年ほど前、大学生の頃に私は西表ジャングル散策を一度経験している。25年も前のことなので、記憶に西表の景色はほとんど残っていなかったが、そうきつい山登りでは無かったことは覚えている。
 浦内川の下流からボートに乗って途中まで行き、そこから岸に上がって、歩いてマリユドゥの滝、さらにその上のカンビレーの滝まで登って、ボート乗り場に戻ってくる。「12時に迎えに来ます。それまでにこの船着場までに帰ってきてください。」と船の操縦士は言う。12時までには約2時間半ある。「のんびり歩けるな」と私は予想する。
 船には我々2人を含め20人ほどの客がいた。若い人だけでなく、中年以上、年配の方も多くいた。私はのんびり歩きたかったので、最後尾を行く。途中、何人かを抜くこともあったが、30分後位からはずっと最後尾。そんな私に友人のNも付き合ってくれた。
 カンビレーの滝の手前にあるマリユドゥの滝の、その手前で、既に帰り道の数人とすれ違った。「速いなあ」と思う。歩くとき、彼らは景色を観ていないのだろうか、と思う。歩くとき、彼らはそこにいる生き物たちに目が行かないのだろうか、と思う。歩くとき、彼らはそこの匂いや、音や、空気を味わうことをしないのだろうか、と思う。

 出発点は点、目的地も点、点から点への移動をし、点を観ることだけを目的とすると、その途中の楽しみが消えてしまうのでは無いかと私は思うのである。
 旅先で、私はなるべく歩くようにしている。歩いていると多くのものが目に入る。多くの音が耳に聞こえる。車を運転しての旅を、私は苦手にしている。運転していると、その間に感じられることが少なくなるからだ。遠い距離だと電車やバスを利用する。電車やバスでも、いくらか景色や音を感じることができる。線を味わいたいと私は思っている。
      
 記:ガジ丸 2005.11.9



7、登山申請の必要な横断道

 浦内川でのマリユド(マリユドゥとも)、カンビレーの滝散策を終えて、ジャングルツアー入り口にあるバス停へ戻る。そこで、大原港行きのバスを待つ。
 西表島には客船の出入りする港が3つある。島の北側にある上原港、船浦港(この2つはごく近い)と南側にある大原港。我々は、石垣島から西表島への往路を浦内川に近い船浦港とし、復路を大原港とした。浦内川入り口のバス停から大原港までは1時間ほどの行程。島の中心から見ると、北西の端から真裏の南東の端へ海岸沿いを走る道。島の景色をのんびり眺めながらバスに揺られてみようとの計画。

 バスの時間まではだいぶ間があったので、昼飯を食うことにする。近くに喫茶店があったので入る。喫茶店なので、その土地独特の飲み物(マンゴーとかパイナップルのジュース)はあったが、その土地独特の食い物は無い。で、私と同行の友人のNは生ビールだけとした。飲みながら、その風貌からおそらく倭人の兄ちゃんに訊く。
 「浦内川の案内チラシを見ると、カンビレーの滝からまだ先に道があって、島の中心辺りを通って大原の部落に抜けることができるみたいだけど、行けるんですか?」
 「行けますよ。さっさと歩いて8時間、休み休みだと10時間ほどかかります。早い時間に出発しないと暗くなるまでに大原へ着きません。」
 「それじゃ、野宿の準備もしていった方がいいですね。」
 「いや、野宿は厳しいですね。ハブは出るし、ヒルもいるし、蚊は多いし。それに、暗くなると道に迷うこともあります。そうなると危険です。」
 確認はしていないが、西表島の山は標高400mあるかないかの高さであろう。ちょっとした丘越えの散歩道と私は甘くみていたが、さすがジャングルなのであった。その西表横断道、渡る際には登山申請をする必要があるということであった。
      
 記:ガジ丸 2005.11.12



8、人の手も借りて

 船浦からバスに約1時間揺られて大原港に着いた。バスに揺られてのんびりと西表の景色を眺めるはずであったが、山歩きの疲れとビールの酔いもあって、その間、私は大方寝ていた。夏のような日差しの下で、南の青い海がちらちら輝き、街路樹のところどころにフヨウの白い花が満開であったのを覚えているくらいであった。
 大原港には海中遊覧船なるものがあった。沖縄にはよくあるグラスボートのようなものであろうと思われた。海底の状況、とりわけサンゴの生育状況については興味があったので、1時間の遊覧で3000円は「ちと高けぇなー」と思ったが、私はそれに乗ることにした。同行のNは少し悩んでいたが、海底観測には参加せず、先に石垣へ帰った。

 遊覧船は思っていたよりも倍くらいの大きさの船。デッキで夕日を眺めながらビールを飲むのが似合いそうな船。グラスボートとはだいぶ違う。乗ると、案内のお兄さんは船底のある船室では無く、上部のデッキへ上がるよう指示した。「ん?海底を観るんでは無いかいな?」と私は疑問に思いつつ言われた通りにする。デッキに上がるとすぐに説明があって、サンゴの群落のあるポイントに着くまではクルージングを楽しんでくださいとのことであった。きれいな景色と潮風、ビールを持ってくりゃ良かったと、私は後悔した。
 25年前に私は西表島を訪れている。その時には、西表の海はサンゴだらけであった。だらけという形容詞はオーバーな言い方では無い。釣りをしようと、泊まっていた家の近くの浜に出た。潮が引いていたのでリーフの辺りまで歩くことにした。浜からリーフまではいくつもある潮溜まりの箇所を除いては、そのほとんどがサンゴで覆われていた。サンゴを踏まなければ歩けないのであった。「ごめんね、ごめんね」と私はサンゴを踏み潰しながら歩いたのだが、さすがに良心の呵責に耐えかねて、途中で引き返したのである。

 20分ほどのクルージングの後、船はポイントに着いた。客(5人)は船室に案内された。船室の底にはガラス貼りの部分は無くて、そこは腰掛ける場所となっている。壁が、前面と両側面、大きなガラス窓となっている。「ほほう」と思っていると案の定、船室の部分だけが降下した。ガラス窓の上端までが海底に沈んだ。西表の海底がそこにパノラマとなって現れた。本土からの観光客の4人が歓声をあげる。
 確かにきれいな景色。歓声はもっとも。さまざまな形のサンゴが辺りを覆い、さまざまな種類の熱帯魚たちが辺りを泳いでいた。しかし、生きたサンゴの下には白化したサンゴの死骸も目立った。25年前にはほとんど気付かなかったサンゴの死骸。私は歓声を上げる気にはまったくならなかった。そもそも、20分も船で移動しなければサンゴの群落が見られないなんてことだけでも、私はいくらか気分が沈んでいたのだ。

 海底観測が終わって、再びデッキに上がる。案内のお兄さんに尋ねる。
 「私が前に見たときより、サンゴの死骸がずいぶん目立つんだけど?」
 「お客さんが前にいらしたのは何年前ですか?」
 「25年ほど前」
 「25年前は、サンゴは昔のままだったのです。ちょうど今から20年前に激変したのです。サンゴがほぼ壊滅状態となりました。原因はオニヒトデです。でも、この20年でだいぶ回復しています。あれでも見違えるほどなのです。」
 確かに、観たポイントも死んだサンゴの上を生きたサンゴが8割がた埋めていた。回復は順調のようであった。それは行政の力だけでは無く、ダイバーたちのボランティアによるオニヒトデ駆除活動が大きな力となったらしい。オニヒトデの異常発生も、元はと言えば人間による地球温暖化が原因と言われている。人間のせいで滅びそうになったのだ。ここは人の力も借りて回復するのに遠慮は要らない。私はオニヒトデ駆除などできないが、環境問題に関心を持つということで遠巻きながら応援する。サンゴの繁栄を祈る。
      
 記:ガジ丸 2005.11.12 →ガジ丸の旅日記目次

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