ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

役者の力

2005年10月30日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 小栗康平監督の『埋もれ木』を観て、理解できずにいたモヤモヤを引きずったまま、その5日後の木曜日(10月27日)に、またも映画を観に行った。映画は久茂地のパレット市民劇場で1日限りの上映であり、時間も最終が6時半ということで、その前日に、明日は残業が無いということを確認してから近くのプレイスポットで前売り券を買った。当日、家に帰って着替える時間的余裕は無い。昼後、作業着からジーパン姿になって、午後の作業をこなし、職場から直接、パレットへ向かった。
 映画は『父と暮らせば』という題。監督は黒木和雄という名で、有名な監督らしいが、私はまったく知らない人。これもまた、だいぶ前に映画のチラシを見た。私は映画を観る前にはたいていその映画を紹介しているチラシを見ているが、チラシの内容をほとんど読んではいない。特に、あらすじやら評論家による映画の評価などはまったく読まない。映画の題、キャッチコピー、出演者、そして監督名などを主に見ている。
 チラシの上半分に主役の宮沢りえの写真と、キャッチコピーとして使われている彼女のセリフが書かれている。セリフは「おとったん、ありがとありました。」
 この舌足らずと思われるようなセリフから私は、この映画は知能障害を持つ年頃の娘と、それを優しく見守り、深く愛し続けた父親の話かと想像した。知能障害に加え、何か不治の病にも冒された娘がいよいよ死ぬ間際になって、深く愛し続けてくれた父親に対し最後に言った言葉が、「おとったん、ありがとありました。」なのかと想像した。数日前に、たまたま会った友人から「広島の原爆被害の話みたいだよ」と聞いて、原爆で言語障害になったか、白血病で死ぬのかと、さらに我が想像を確信した。
 映画が始まってからすぐに、宮沢りえと原田芳雄のセリフから「おとったん、ありがとありました。」が舌足らずなのでは無く、広島弁だということが判った。もちろん、宮沢りえが知能障害ではないこともすぐに判った。しばらくして、宮沢りえが不治の病に冒された年頃の娘では無く、恋が始まったばかりの、その恋に戸惑う年頃の娘であることが判った。そして、存在感のある原田芳雄が幽霊であることも判った。
 映画は、私の心を鷲掴みにし、ぐいぐいと引き込んだ。宮沢りえも原田芳雄も、元より私の好きな役者なのではあるが、その演技は、「見事!」という外無い。井上ひさしの原作の力もあろうが、黒木和雄監督の力もあろうが、この映画、二人の主役の言葉、表情、所作だけで十分に悲しみと愛情を含んだ空気を表現していた。良い映画であった。私が今年観た映画ではダントツの一位と評価したい。
 じつは、この映画は、反戦反基地運動の一環として沖縄の女性団体が主催したものであった。上映の前に、その女性団体と同様の主張を持っているという人がミニコンサートをやった。彼はリズムのはっきりした曲を大音響で5、6曲歌った。映画の前に、戦争の悲惨を深く感じ、深く考えようと心の準備をしていた私は驚いた。驚いて、そして腹立って「歌っている歌詞は、そりゃ平和を望むような内容かもしれないが、あんまり煩くて歌詞が聞こえないじゃないか。何より、大音響で、ドラムの激しいリズムを聞かされたら、これから戦いに行くぞーって気分になるじゃないか。平和は戦って勝ち取るものという主張なのか。」ということを私はアンケート用紙に書いた。が、映画を観終わって、無上の満足感を味わった私は優しくなっていた。アンケートは出さずに、破り捨てたのであった。
 なお念のため、ミニコンサートをやった彼の音楽を私は好まなかったが、地道に平和運動をやっている尊敬すべき人らしい。私の隣の隣の席のオバサンが、私との間の席に大きなバッグを置いていて、そこからケンタッキーフライドチキンの匂いがプンプンするのも気になって、大音響への腹立ちが倍になったのかもしれない。

 記:2005.10.29 ガジ丸

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