ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

酒造りの野望その1

2014年02月18日 | ガジ丸の日常

 今(2014年)から約35年前、私は学生で、東京都国分寺市恋ヶ窪に住んでいた。1Kのアパートに一人暮らし。その頃の思い出に強烈なものが一つある。夕方、大学からの帰りの中央線各駅停車の中でのこと。吊革に掴まって立っている私の隣には、制服姿の女子高生が二人、同じく吊革に掴まって立っていた。その内のすぐ隣にいた女子高生が私の傍にぐっと近寄ってきて、私の耳元に囁くように言った。「遊ばない?」と。まさかのあり得ない状況に驚いて、私は彼女の顔を見た。「不良?スケ番?」かと思いきや、普通のまともそうな、しかも、可愛い系の少女であった。
 今の、というか、オジサンとなった私なら「大人が女子高生と遊ぶと罪になるんだよ」と優しく諭して、コーヒーくらいは奢って帰すのだが、当時の私は下半身は元気だし、大学生が女子高生と遊んだからといって罪になるとは思っていなかった。ではあったが、まさかのあり得ない状況に驚天動地した私は、思わず首を横に振ったのであった。今から思えば、とても残念なことをしたと、思い出すたんびに後悔する。

 同じ頃の年末、同じく恋ヶ窪に住んでいた頃、当時は犯罪とされていることを私は、そうと知っていて(つまり確信犯)やった。何か?というと、酒造り。
 現在は自分で勝手に酒を作っても罪にはならない。当時は酒税法というのがあって罪になった。自分で勝手に造る、それを飲む、市販の酒は買わない、となると国に税金が入らない、よって、罰する。つまり、税金を払わずに酒を飲んでいる罪ということだ。
 税金を払いたくないから自分で酒を作ったわけでは無い。私の酒造りは純粋で情熱的な理由があった。「本物の旨い酒が飲みたい」という理由。造った酒は日本酒、どぶろくからにごり酒、清酒に至るまでの日本酒。米と米麹による純粋な日本酒。

 高校の頃、同級生が集まって酒を飲んで(これも法律違反だが)いた。十数人がメンバーのグループがあり、これには養老会という名もついていた。全国チェーンの居酒屋「養老の滝」でよく集まったからその名になった。
 高校生たちは親の金を使い、生意気にもビールを飲んで、焼き鳥を食い、酒(ウイスキーとか泡盛とか日本酒)を飲み、カキ鍋などを食った。
 日本酒を我々は熱燗で飲んだ。テレビなどから得られる情報では、日本酒は燗をして飲むということになっていたからだが、私はそれが苦手であった。甘ったるかった。口の周りも口の中も、手につくと手も、こぼれたテーブルの上もべたべたした。

 べたべたも嫌だったが、そもそも甘ったるい味が嫌であった。えぐ味があった。なわけ で、「昔の人が酒は旨ぇと言ったのは嘘かなぁ」と思っていた。大学生になって東京暮らしとなって、沖縄では飲めなかった辛口の旨い日本酒が飲めるようになったが、それでもまだ不満が残る。「今の酒は不純物が多く混ざっているので不味いんだ、糖類を混ぜてあるからべたべたするんだ」ということを誰かから聞いていた。そんな時、『どぶろくを作ろう』という本に出会う。そのタイトルを見て迷わず購入。で、早速造ってみた。
 自作の酒はどぶろく、布で濾して濁り酒、上澄みだけを掬って清酒まで試した。いずれも旨い酒だと思った。米と米麹と水から 造ったものは確かに発酵してアルコールを発生させ、旨味成分を出し、米から造り出される自然の柔らかい甘味も出した。が、アルコールはすぐに酢と変化してしまい、酒として飲めたのは数日間だけであった。

 日本酒は自分で作れるし、まあまあ旨いものができるという確信は持てたのであるが、それ以来、酒造り(アルコール醸造)はやっていなかった。沖縄は冬でも暖かく、日本酒造りには気候が合わないと思っていたからだが、2013年12月16日、約35年ぶりの酒造りに挑んだ。前年のお歳暮に頂いた白米が多く残っていたのと、実家にほとんど空の冷蔵庫があって、温度管理もそれを使えば問題無いと判断したからである。
 今季の冬は沖縄も寒くて、結果的には冷蔵庫を使う必要は無かった。米と米麹と水は順調に発酵し、アルコールを発生した。12日後にはどぶろくと呼んでもいい出来栄えとなった。味見すると十分のアルコール量を私の舌と胃袋は感じた。
 大みそか、蕎麦と漬けものを肴に少々飲んだ。35年前の味をはっきり覚えているわけでは無いが、その時のものに比べると甘味が少ない。フルーティーな香りも少ない。それはおそらく水のせいと思われる。東京の軟水に比べ、沖縄の水は超硬水だ、それで甘味も香りも少ないのだと思われる。私はし かし、味はいけていると思う。
     
     
     

 正月二日の朝、どぶろくを布で濾し、4合ほどを濁り酒にした。その日の昼、蕎麦を茹で、先ずは仏前に供え、うーとーとぅ(祈りの言葉)して、線香が燃え尽きる頃にうさんでー(お相伴しますといったような意)して、蕎麦を肴に濁り酒を飲んだ。これもまたどぶろくと同じく、35年前に比べ甘味も香りも少ない。でも、味はまあまあ。
 正月二日には親戚たちが集まってちょっとしたパーティーがある。実家が売れて、今月末頃には引渡しになる。よって、実家のサヨ ナラパーティーを、正月に集まるならついでにやろうということになったのである。そのパーティーで自作の日本酒を味わって貰おうと思い、両方別々に瓶詰した。瓶は市販の日本酒を飲み干した四合瓶だ。
 どぶろくも濁り酒のどちらも時間が経てば固形物と水分が分離する。濁り酒は布で濾 してあるので固形物といっても乾かせば粉になるもの。一方、どぶろくは米の滓で、布の目を通り抜けることのできない塊を含んでいる。その塊(概ね米粒大)には水より軽いものも多くあり、分離した水は上澄みとはならず、たいてい真ん中に水が集まる。濁り酒の 方はそれと違い、布の目を通り抜けた細かい固形物はほぼ全てが下に沈む。私の濁り酒も徐々に上澄みができて行き、数時間後には瓶の半分が上澄みとなった。この上澄みが清酒となる。試にちょいと飲んでみる。濁り酒にあった雑味が減って、旨かった。

 「酒造りは成功といって良い」と私は自己満足に浸った。次は芋酒造り、ワイン造り、焼酎造りと夢は広がる。酒造りの野望はしかし、それだけが目的では無い。自分が食うもの、自分が飲むものは概ね自分で作りたいという計画の一部でしかない。生きるに必要なもの、衣食住のほぼ全てを自力で賄うという壮大な夢がそこには含まれている。
     
     
     
     
     

 記:2014.1.3 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« やっと辿り着いた八合目 | トップ | 実家の想い出 »

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。