ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

サンキューが支える平和

2009年09月11日 | ガジ丸通信-社会・生活

 先週土曜日、米軍基地内で行われたワイン試飲会、正式名称Okinapa Wine Festivalなるものに出かけた。同行者は私を含めたオジサン4人と若いM嬢の、合わせて5人。
 Okinapa Wine Festivalについての詳しいことは、別項『基地の中のワイン祭り』に譲るとして、ここでは昼間から酒飲んでる陽気な人々についての感想。

  会場は基地の中なので当然、軍関係のアメリカ人がほとんどだが、基地雇用者(施設の従業員など)の日本人(見た目の判断だが、ほとんどがウチナーンチュ)や中国人(たぶん、ほとんどが台湾人)やフィリピン人と思われる人たちがいて、そして、フェンスの向こうからやってきた一般人のウチナーンチュ(私達のことだが)たちも少なからずいた。
 会場内(広いレストランだが)は多くの人でとても混んでいた。なので、互いにぶつかったりする。ソーリーという声を何度か聞いた。食べ物を取ろうと並んでいると、前に寄って場所を開けてくれたりする。サンキューという声を何度か聞いた。英語の苦手な私だが、そんな私でもソーリーを1回、サンキューを3回発した。
 飲食が一段落して、外のテラスに出る。たくさんあるテーブル席はほぼ埋まっていたので、私は壁沿いに並んでいるビーチチェアに腰掛けた。アメリカ人のカップルがやってきて私の前で止まり、私の隣のビーチチェアを見ている。空いているかどうかを確認しているのだろうと思ったので、私は手で「どうぞ」と合図する。サンキューと言われる。その時、「ユーアーカム」と返さなければならなかったのだろうが、忘れた。ちなみにユーアーカム、ユーアーウエルカムのこと、ユーアーカムでだいたい通じる。

  「すみません」、「ありがとう」、「なんのなんの」などを普通に言えると、何となく平和な気分になる。よく考えるとそれらの言葉、自分と相手は同等で、切れば赤い血の出る同じ人間であるという意識があるから言えるのではないだろうか。相手を虫けらのように思っていると、なかなかサンキューなどという言葉は出てこないかもしれない。
          
          

 世界のどの国の人とも普通にサンキューが言い合える時代になれば、世界も平和になるに違いない、などと、のんびり甘い夢みたいなことを考えていたら、同僚の若いMから電話があった。「月曜日、朝早く出勤してくれませんか?」と言う。「何で?」と訊く。
 「役所へ書類を提出する前に現場を一緒に見ておきたいんです。」
 「それなら、社長と行けばいいじゃないか?」
 「社長は動かないです。お願いします。」とのこと。動かない社長と、頼んでもどうせ動くはずは無いと思っているMのことを考えると、同じウチナーンチュでありながら、経営者と従業員との間には深い溝があるんだなあ、と思った。
 Mからの電話のすぐ後、今度は従姉から電話があった。「あんた、私の言うこと聞かなかったね。覚えておきなさい!」と脅す。彼女の息子家族がウークイの夜、私の実家を訪ねるかもしれないからご飯を3合炊いておいて、というのを私が忘れたのだ。たったそれだけのことで、どんな報復が待っているのかと、私は今針のむしろに立たされている。たいしたことじゃないと思う男の感性と、大事なことと思う女の感性の違いなのか。同じウチナーンチュでありながら、いやはや、男と女の間にはとても深い溝がある。

 記:2009.9.11 島乃ガジ丸

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