ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

出世を望まない侍

2016年05月06日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 2016年3月25日付ガジ丸通信『強い男が目指すもの』で「強くあるということは動物の雄としての本能かもしれない。愛する者がいる場合、それを守りたいという本能かもしれない。」と書いた。書きながらある映画のある場面が脳裏に浮かんだ。

 2003年2月1日、映画『たそがれ清兵衛』を観に行った。その日の日誌に、
 「いい映画だった。幸せとは何かということを考えさせられた。」と書き、その日の友人宛メールに「始まって5分もしないうちに私は涙」と送った。
 「始まって5分もしないうちに涙」の理由を、最近になって解ってきた・・・と、自分勝手な解釈かもしれないが、思うので少し述べたい。

 「始まって5分」は確かでは無く10分か15分くらい過ぎていたかもしれないが、それは、清兵衛が畑を耕しているシーン。そこで私は目が潤んだ。
 「食い物を自分で作る、俺と一緒だぜ、大変だよなぁ、手作業で畑耕すのは」と我が身も振り返り、清兵衛に同情して、目を潤ませた・・・のでは無い。

 『たそがれ清兵衛』については、2004年11月5日付ガジ丸通信『寅さんに培われた人間表現』でも少し触れている。『寅さんに培われた人間表現』は、映画『隠し剣、鬼の爪』を観て後、山田洋次監督作品を主題とした一文、その一文の初めに「純粋に作品の出来栄えだけでメールを書いてまで誉めた映画は、ここ数年間で2作品しかない。その2作品は『千と千尋の神隠し』と『たそがれ清兵衛』。」と書いている。ついでながら、山田洋次監督の時代劇第2弾『隠し剣、鬼の爪』については「私が贔屓目無しに友人たちにメールまで書いて誉める、3本目の映画となった。」と誉めている。

 さて、清兵衛が畑を耕しているシーンに私が目を潤ませたわけ、
 淡々と畑を耕している姿に私は愛を感じた。「家族を守る」ための淡々である。監督の演出が良いのであろう、また、役者(真田広之)の演技が優れているのであろう、清兵衛が子供達を見る表情に優しさを感じ、畑を耕している時の表情に「家族を守ることが我が幸せ」という信念を持っているように私は感じた。
 「家族を守ること」が「我の幸せ」で「我が道である」と信じ、淡々と生きていく男、それが強い男ということではないかとまで私の考えは及んだ。
          

 清兵衛は平役人の貧乏侍だ、なので、少しでも食費を浮かそうと畑仕事もしている。清兵衛は平役人の貧乏侍だが、剣の達人でもある。剣の達人であるならば、その道で出世する方策もあるであろうが、清兵衛は出世を望まない。贅沢をしなければ城に出て働いて、畑を耕していれば家族を守り、生きていけるであろうと思っているようだ。
 「出世を望まない」と書いて、「おー、これだぜ、これが侍だぜ」と私は思った。侍が望んでいるのは家族の幸せであり、その暮らしを守ることで、出世のことが心の多くを占めることはないのだ。剣の達人がその強さを保っているのは、それによって出世を得るということではなく、彼の強さは「家族を守る」ためだけにあるようだ。
          

 記:2016.5.6 島乃ガジ丸

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