ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

近所付合い

2014年02月13日 | ガジ丸通信-政治・経済

 今住んでいるアパートの住人で親しく話をする人はいない。大学の近くにあるワンルームのアパートなので学生が多く、彼ら(主に男子学生)は階段ですれ違っても、目を合わせようともしない。社会人らしき人も数人いて、彼ら(男も女も)はたいてい挨拶する。が、挨拶だけ。大家さんがアパートの隣にいて、彼とはたまに世間話をする。
  前に住んでいた首里石嶺のアパートでは近所付き合いがあった。アパートは4世帯しかなく、もう名前は忘れてしまったが、隣の部屋のバツ一、2人の娘と3人暮らしの家族とはよく声を交わし、階下の若い夫婦、その後のグラマラスな女性、その後のバツ一、娘1人のお母さん、などとは良く話をした。アパートの住人だけでなく、向かいの婆さん、後ろの婆さん、斜向かいのおばさん、新聞配達の婆さんなど、私がアパートの庭にある畑で作業をしているとよく声を掛けてきた。そのアパートの大家さんも隣に住んでいて、夫婦ともに親しく付き合ってくれた。奥さんのサーターアンダギーは美味しかった。
          

 もう既に他人の物となった実家。祖父母、父母、子供3人、従姉、伯母(戦争未亡人)の9人でその土地に住み始めたのは50年ほど前のことだ。隣近所には子供がたくさんいた。謂わば私の幼馴染たち。北隣の家に2人、少し離れてエイカーという名のハーフ、南隣には兄妹の2人、少し離れて兄弟の2人、向かいにも2人いて、その北隣はアパートになっていて、そこにはジョナサンというアメリカ人の少年がいた。そのアパートの隣はユーフルヤー(湯風呂屋、銭湯のこと)があって、そこには兄弟の2人がいた。
 母の葬式の時、弟が久々に帰省して、「誰か会いたい人はいるか?」と訊いたら「ユーフルヤーのミンルーには会ってみたい」と答えた。ミンルーとはみのるの愛称、弟と同級生だった。上に挙げた子供たちの中で私の同級生はハーフのエイカーだけ。貧しい家で、エイカーもあまり活発ではなく、一緒に遊んだ記憶はほとんど無い。
 道を1つ2つ3つ離れた近所には何人もの同級生がいたので、私の遊び相手は概ね彼らであったが、上に挙げた同じ通り沿いの子供たちと遊ぶことも時々あった。空き地で幽霊屋敷大会みたいなことをみんなでやったことを覚えている。

  一緒に遊んだ幼馴染たち、今でも同じ場所に住んでいるのは南隣りのIさん、数軒隣のMさんだけとなっている。Iさんは私より1つ上、Mさんは1つ下。Mさんとはなかなか会えないが、Iさんとは今でも気軽に会話ができる。幼馴染ではないが、向かいのM婆様や2軒隣の畳屋Iさんとも親しく話ができている。私の両親やそれと同世代の大人たちがそうしてきたからだと思うが、実家の近所はお互い平和な付合いができている。隣同士、近所同士で何か諍いがあったという噂は微塵も聞かない。幸せなことだと思う。
          

 何か諍いの種があった時、お互いに幸せな気分のまま平和的に解決できるのは、たぶん互いに信頼関係が構築できていればこそであろう。相手の気に障ることをしておきながら「我々は門戸を開いている、いつでも話し合いましょう」というのは順序が逆だと思う。相手の気に障ることであれば、いくら自分の信条であったとしてもそれを我慢し、話し合いの機会を得ることが先。話し合って、「私の本意はこうです」と相手の理解を得る努力をするのが先。そこから互いの信頼が生まれ、それから・・・と私は思う。

 記:2014.2.13 島乃ガジ丸

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