ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

欲深い信者たち 

2011年05月27日 | ガジ丸通信-社会・生活

 我が家の墓の隣の隣に小屋を建て、十年以上も前から住んでいる自由人がいる。墓参りに行くと、たいてい話しかけてくる。自由人だからといって私は偏見を持たないので、たいてい相手をする。実を言うと、彼の話は私の興味を引くものでは無いので、できたら相手をしたくないのだが、無視するわけにもいかず、渋々相手をしている。
 先日、父の一年忌があった。千葉在住の弟が帰省して、墓参りを手伝ってくれた。前に弟と二人で墓参りをした時もそうであったが、自由人は、弟がいると話しかけてこない。恥ずかしがりやで、知らない人とは話できない、というわけでは無い。
 来世や終末思想などに関心があるという点で、自由人と弟は同じ人種だ。自由人は弟がそうであることを察知しているに違いない。「そうですか」と言うだけの私は楽だが、弟相手では話が面倒になると思っているのだろう、たぶん。

 その日はしかし、彼はずっとしゃべり続けた。会話では無く、一方的に文句を言い続けていた。弟が、彼の大事にしていると思われる薪、弟から見れば、他人の墓に無断で置いてある廃材なのだが、それを放り捨てたから怒ったのだと思われる。
 「お前らがやっているのは邪教だ、親がやっていたから、周りがやっているからと何も考えずに、良いことをしていると思って満足しているだけのことだ。そんなのは何の意味も無い。俺は修行していたから解る。お前らのは邪教だ。」というのが、彼が20分ばかり言い続けた文句の概要。「俺達がやっているのは宗教では無く、沖縄の伝統文化だ。したがって、邪教にはあたらない。」と言ってやりたかったが、「俺は悟っている、お前らは無明だ」と思っている人に何を言っても無駄だと思い、止めた。

  あの世のことに私はあまり関心が無い。死んだ後のことはどうでもいいこと、考えるのは無駄なことだと思っている。もしも、死んだ後、私に意思があったとしても、どうやってその世界で暮らしていくかはその時に考えればいいことだと思っている。
 宗派の名前は覚えていないが、キリスト教の人が布教活動で、私の所へもたまにやってくる。「聖書にはこう書かれてある、人類は目覚めなければならない、無明の人々を救いたい。」などと仰る。墓の自由人も、「お前らみたいに邪教を信じているものは、地獄へ落ちる」などと仰る。どうやら、キリスト教の人も墓の自由人も、「死んだら天国で楽に生きたい」と思っているらしい。何とも欲深い信者たちよ、と私は思う。
          

  もう随分昔、私が小学生か中学生の頃流行った歌に『帰ってきた酔っ払い』というのがあった。「天国良いとこ一度はおいで、酒は旨いし、ネェちゃんはきれいだ。」がサビの部分の歌詞。旨い酒があって、きれいなネェちゃんがいる所なら、一度とは言わず、何度でも行きたいと思うが、行ったっきり帰ってこれないのであれば、旨い酒をたらふく飲んで、きれいなネェちゃんといっぱいお付き合いしてからでも遅くない。この世にだって、旨い酒はいくらでもあり、きれいなネェちゃんはわんさかいる。
 天国や地獄があったとして、そこに楽や苦があったとして、今からそのことを考えなくても、いずれ一度は死ぬ機会を得る。その時にいずれかを経験できるはずだ。焦るこたぁ無ぇのだ。何が出てくるか楽しみにしときゃあいいのだ。なぁ、自由人。
          

 記:2011.5.27 島乃ガジ丸

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