ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

墓参り

2014年03月28日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 日常で会う機会の多い親戚、父方の従姉2家族、母方の従妹1家族には口頭で、訪ねると不在だった叔父にはメモで、会うことの少ない父方の別の従姉にはメールで、普段は顔を合わせることは無いが、盆正月には仏前を拝みに来る親戚の2家族と、滅多に会えない千葉の弟、東京の叔父、岐阜の伯母には手紙で、我が家のトートーメー(位牌)をお寺に預けたことをそれぞれ報告した。ちなみに、手紙の内容は写真を添えて、

 家の財産処理が無事終了しました。
 「三年忌が済んだら家を処分して兄弟3人で財産を分けなさい」という父の遺言をその通り執行するため動いたのは一昨年10月でしたので、1年4ヶ月もかかってしまいました。だいぶ疲れましたが、今は気分晴れ晴れです。
 トートーメー(位牌)については寺に預けました。
 場所は首里観音堂、〒903-0825 那覇市首里山川町3-1 です。

 この中で最も大事な情報は、トートーメーを預けたこと、寺の名前、場所であるが、私が最も言いたかったことは、「今は気分晴れ晴れ」であった。

 トートーメーについては既に紹介済みで、その説明文を要約すると以下。
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 トートーメーは「祖先の位牌」のことで、『沖縄大百科』によると「尊いお方を意味する尊御前が訛ったもの」と説明されている。トウトウイオマエからトートーメーということ。トートーメーは「祖先の位牌」のことであるが、それは別称であり、位牌のことはイフェーと言うのが普通らしい。私の周りではトートーメーという言葉を多く聞く。
 仏壇の上段正面に屏位(へいい)と呼ばれる上下二段の位牌を収める木製の棚のようなものがある。屏位に祖先の位牌が並べられている。上段が男性の位牌、下段が女性の位牌と決まっていて、位牌は縦8センチ、横2センチほどの長方形の薄い板で、朱漆を塗られている。表面に戒名、裏面に俗名、享年などが墨、または金泥で書かれてある。 
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 トートーメーは家督を継ぐ際に重要なアイテムとなる。というか、トートーメーを継ぐものが家督を継ぐものとおよそ決まっている。なので、トートーメーというと、一つ一つの位牌ではなく、たいていは、祖先の位牌を全て収めた屏位のことを指している。

  家督を継ぐ際に重要なアイテムとなるトートーメーであるが、私はそれをさほど重要視してはいない。祈る対象の便宜的な「形」と捉えている。以前、ある霊園の管理者から聞いたが、「トートーメーはお墓の代理みたいなものです。いちいちお墓へ行くことを簡略化するためにお墓の形を模したものを家に置いて、家で墓参りができるようにしたものです」といった内容であった。私もかねてからそう認識している。
 私が「トートーメーは寺に預ける」旨のメールを姉に送った時、姉から「トートーメーを寺に預けることは父が反対していた、T(姉の次男)に継がせるべきだ、あなたは親不孝者だ」といった内容の返信があった。「父が反対していた」については確かに、まだ倒れる前にそう言っていたのを私も聞いている。が、死期を悟って遺言を残す頃には、その処分を含めトートーメーは私に任すとなっていた。それはともかく、「親不孝者」については「何を言ってやがる」というのが私の思いだ、再返信はしなかったが。
 姉は年に1~2回帰省していた。姉の夫や息子も年に1回は沖縄にやってきた。息子は私が墓に連れて行ったことが数度あるが、姉もその夫も、一度だって墓参りをしたことがない。自ら墓参りをせず、その夫に「沖縄に行ったら私の代わりに墓参りをして」と頼むこともしない。そんな人に「親不孝者」と言われても「何言ってやがる」なのだ。
     

 墓参り、倭国の風習では「彼岸参り」というのがあり、春秋の彼岸の際に「彼岸会の7日中に寺院や先祖の墓にまいる」(広辞苑)とのこと。映画やテレビドラマでそういったシーンを何度か見ている。『フーテンの寅さん』でよく観たと思う。倭国ではまた、故郷に帰省した折に墓参りしたりする。それも映画やテレビドラマからの情報。
  沖縄の彼岸では、少なくとも沖縄島中南部の風習では「彼岸の墓参り」というのはないようだ。トートーメーに御馳走を供えるくらいで済ませるみたいである。
 沖縄の風習で「グソー(後生)の正月」となっているジュウルクニチ(旧一月十六日)では、清明祭の盛んな首里や那覇では墓参りなどせず、彼岸とほぼ同じくトートーメーに御馳走を供えるくらいだが、清明祭の盛んでない先島やその他の地域では重箱にご馳走を詰め、家族親族揃って墓参りをし、三線弾いて、歌って、賑やかに祝うらしい。
 墓参り、首里や那覇を含めた沖縄島の中南部では年に2回ある。清明祭が最も大きな行事で、ジュウルクニチの先島などと同じように重箱にご馳走を詰め、家族親族揃って墓参りをし、賑やかに祝う。三線弾いて歌う家もたぶんあるだろう。

 私が子供の頃は我が家のシーミー(清明祭)も賑やかだった。母方の叔父家族が来て、従弟妹たち4人、父方の伯母家族が来て、従姉妹たち3~4人、我が家の子供3人も合わせて10~11人の子供が集まり、賑やかに騒いで遊んだ。別の日(清明祭は二十四節季の清明の期間に行われる)に叔父の家の墓、伯母の家の墓でも集まって遊んだ。
  シーミーは母が死んだあと、父が死んだあとも続いている。シーミーをやる日を従姉たちと相談して決め、その前に私一人で墓掃除をし、当日に備えている。
 墓掃除をする日が年にもう一回ある。旧暦の七夕(7月7日)、この日もたいてい私一人で墓に出向き、掃除をしている。ということで、私は年に少なくともシーミー前の掃除とシーミー、七夕の掃除で3回は墓参りをしている。シーミーでは御馳走を供えるが、掃除の時は、掃除前に手を合わせ、掃除後にお茶と菓子と花を供え線香を点てるだけ。
 墓の中には先祖の骨壺が収められている。骨壷の中にはもちろん遺骨がある。その遺骨に対し手を合わせるわけである。なので、私に言わせれば、トートーメー(尊い御前)の本体は墓に眠っている。よって、位牌よりはこっちが大事と思うわけである。
     
     

 記:2014.3.27 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行

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