ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

命どぅ宝

2010年12月17日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 15世紀の始め頃に統一され琉球王朝時代に入った沖縄は、15世紀の半ば過ぎには第二尚氏の治世となり、16世紀になると貿易もいっそう盛んとなって、王朝の黄金時代となる。その頃には、武器によって争いごとを治めるということも無くなり、サムレー(武士)は床の間に刀では無く、三線を飾り、剣の技よりも唄三線(ウタサンシンと言い、踊り等も含めた芸能一般を指す)に励んだ。剣の替わりとして空手が生まれた。これも、相手を完膚なきまで叩きのめすということをしないテーゲーの表れかもしれない。
 外国との付き合いにおいても、既にその頃、日本国憲法の前文を先取りしていた。当時の沖縄には武力でもって他国と対峙するという思想は無く、自らの平和はもっぱら外交に頼っていたのだ。で、何とか上手くやっていた。ちっぽけな王国だから、そうするしかなかったのだろうが、しかし、まあ、それで暫くは平和にやっていた。
 17世紀始め、薩摩が侵攻してきた時は、だから、王様も家来も驚いた。何でまた、武器も持たずに平和で、おとなしく、幸せに暮らしている島を薩摩は襲うんだい?今までアンタとも仲良くやっていたじゃないか。何故?と思ったのだ。武器が十分に無いから、戦っても勝てようはずは無い。できる限りの抵抗はしたが、やはり無理だった。

  「命どぅ宝」という言葉は、ナイチャー(内地人、倭国の人)でもご存知の方が多いかもしれない。数年前のテレビドラマ『ちゅらさん』で、平良トミ扮するオバーがよく口にしていた言葉だ。明石家さんまがたびたび口にする、また、今の朝ドラで南田洋子扮する婆さんの口癖でもある「人生、生きているだけで丸儲け」に似ている。「生きるということが最も大切なこと」となる。似てはいるが、「命どぅ宝」には深い歴史がある。
 薩摩の侵攻後、わずか10日で敗れ首里城を明け渡す。その際に尚泰王が詠んだとされる琉歌(和歌とは違い8、8、8、6という字数、リズムに柔らかさがある)がある。
 いくさゆ(戦世) ん(も) すまち(済ませ)
 みるくゆ(弥勒世) ん(も) やがてぃ(やがて)
 なぎくなよ(嘆くなよ) しんか(臣下)
 ぬち(命) どぅ(こそ) 宝
戦世も終わって、平和(弥勒菩薩が平和をもたらすという仏教思想に基づく)がやがて来る。(戦に負けて、城を明け渡したからといって)嘆くなよみんな(臣下は家来のこと)、生きているということが大事なのさ。といった意味。
 戦いがわずか10日だったのは、むろん武器の足りなさから抵抗にも限りがあったのだろうが、勝てぬ戦ならば早々と諦めた方が、その分、民や家来の命を無駄にせずに済む。王は人質として薩摩へ連れて行かれる身でありながら、皆の命を大切に思ったのだ。
     

 記:ガジ丸 2005.2.11 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行

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