ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

自由人と野生人

2016年05月13日 | ガジ丸通信-社会・生活

 我が家の墓の隣に住む浮浪者のことを、私は浮浪者ではなく自由人と呼んでいる。その理由については先週の『沖縄の生活』の記事『沖縄の浮浪者』で書いた通りだが、記事を書いている最中、「浮浪者って何?」などと疑問を持ち、改めて広辞苑で確認した。
 浮浪者は「一定の住居や職をもたず、方々をうろつく者」、ホームレスは「住む家のない路上生活者」、宿無しは「一定の住家のないこと。また、その人」、物貰いは「食物などを人からもらって生活する者」、乞食は「食物や金銭を恵んでもらって生活する者」、広辞苑ではそれぞれをそのように定義してある。墓に住む自由人は墓という住む場所があり、食物は拾っていて、空き缶集めなどをして現金を得ているらしいので以上のどれにも当てはまらない、というわけもあって、彼のことは自由人と呼んでいる。
          
 私はもちろん、浮浪者でもホームレスでも宿無しでも物貰いでも乞食でも無いが、収入がほとんど無い(去年の野菜の売上げは1万円程、その他バイトで数万円稼いだだけ)。それでも生命保険を解約したお金が貯金としてまだ残っており、今のような質素な生活を続けていればあと2年ほどは浮浪者にも乞食にもならないで済むはず。
 記事『沖縄の浮浪者』で私が書いた自由人の定義とは、「金を稼がなければならない、働かなければならない、結婚し、子孫を残さなければならない、家を建て、家族を守らなければならないといった決まりから自由である」となっている。その定義から言えば、私はまた、自由人とも呼べない。後半はともかく、私はまだまだ働かなければならない。
          
 雨の降っていない日は毎日8時間ていど畑仕事という肉体労働に汗をかいている、収入にはほとんどなっていないが、私が食べる分の、野菜はほぼ全て、穀物は約3分の1を得ているので、それは働いているといっても差支えなかろう。今はまだできていないが、畑から生活費も得るつもりでいる。現金収入がないとこの世で生きていけない。
 私はこの先も「金を稼がなければならない、働かなければならない」人間である。というわけで、私は自由人にはなれない。すると私は何になるのか?あるいは、自給自足芋生活を目指している私は、この先何になろうとしているのか?と考えてみた。
 私は日常、人と会って話をするという機会が少ない、平均して月に数時間しか人と話をしない、なので、隠者、世捨て人などという言葉が浮かんだ。広辞苑によると、
 隠者は「俗人との交際を絶って山野などにひっそりと隠れ住む人」で、世捨て人は「世の中を見捨てて隠遁または出家した人」のこと。それだと、私はそのどちらでもない。私はいったい何なんだとさらに考えて、そして閃いた。自給自足芋生活が成功した暁には、私は自然の恵みで生きる人、それは「野生人」と言ってもいいのではないかと。
          
 話変わるが、ホームレスやら浮浪者やら乞食などのことを広辞苑で調べていたら、「乞食の断食」という言い回しを見つけた。「乞食の断食」とは、例えば私のような者の場合なら「貧乏人の芋食生活」と言い換えても良い。「健康のことを心掛けて俺は芋食にしているのだ」と私が言ったなら、「何を言っていやがる、お前の芋食は乞食の断食じゃねーか」と罵ることができる。「乞食の断食」とは「止むを得ずしている事を、ことさらに心掛けたように殊勝げに見せかけることのたとえ」(広辞苑)という意味。

 記:2016.5.13 島乃ガジ丸

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