ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

八重山オジサン三人旅-後編

2015年03月06日 | ガジ丸の旅日記

9、気ままな二人と協調O型

 「八重山スケッチの旅」での私の計画は、1日目竹富島、2日目西表島、3日目石垣島をそれぞれ巡ることにし、その旨、同行する友人のH、及び鹿児島から合流する友人のNに伝えてあった。協調性のある血液型といわれているO型の私は、三人で仲良く八重山の旅を楽しもうという気持ちである。ところが、「西表島に俺は興味が無い」とHは言い、初日、竹富島へ来るものと思っていたNは「初日は石垣島にいる」と言う。そのN、二日目の3時以降からはまた単独行動となり、一人で竹富島へ渡った。
 最終日の3日目は、三人でレンタカーを借りて、朝から石垣島周遊をしようとの計画であったが、2日目、西表島の大原港で別れる前、これから竹富島へ向かうというNは「明日はお昼後に石垣島へ戻る」と言う。で、私は計画を一部変更し、私とHの二人でレンタカーを借り、石垣島の西側を午前中で周り、いったん港へ戻って、竹富島から戻ったNを拾い、午後は島の東側を周るということとし、Nとそう約束した。
 一方、2日目は一人で石垣島を周ったHではあったが、その夜は予定通り私と一緒に酒を飲む。で、飲みながら、Nと約束した3日目の計画を話すと、「俺は今日、石垣島を周った。で、石垣島より竹富島の景色が好きだと思った。だから、明日は一緒せず、一人で竹富島へ行くことにする」などとほざくのである。「えーーい!どいつもこいつも、もう勝手にせい!」と憤慨した私は、「Hは明日単独行動するとのこと。よって、明日の石垣島ドライブは無し。君も明日は勝手に行動したまえ」という内容のメールをNに送る。

 後で確認したところ、HとNのどちらも協調性のある私とは違う血液型であった。血液型による性格判断というのも、なかなか当たるものなのである。
 協調O型はまた、臨機応変能力をも持ち合わせているので、計画が急に変わったからといって、困ったという状況に陥ることはあまり無い。Nにメールを送ったときには既に、明日の自分の単独行動の計画は出来上がっていた。それは、なかなか良い計画だと思えたので、私は気分爽快となり、楽しい石垣の夜を過ごせたのであった。
      
 記:ガジ丸 2005.11.13



10、売り子はナイチャー

 沖縄では倭人(生まれが奄美諸島と沖縄県以外の日本人)のことをヤマトゥンチュと呼ぶ。やまとじん(大和人)の沖縄読みである。また、ナイチャーとも呼ぶ。ないちのモノ(内地+er)ということ。この場合モノは人を指す。ナイチャーの方が発音しやすいので一般的に多く使われる。シマナイチャーという言葉もある。島のナイチャーで、沖縄に住む倭人のこと。沖縄に住むといっても、ただ住んだだけではだめで、沖縄人風(どういう風かはそれぞれ)になったとウチナーンチュが認めた場合にそう呼ばれるみたい。

 竹富島の食堂にも、石垣島の飲み屋にも若い従業員のお姉ちゃんがいて、彼女らはナイチャーであった。石垣島のお土産屋さんを何箇所か回ったが、そこにもたくさんの、従業員として働くナイチャーのお姉ちゃんがいた。西表島の浦内川ツアーの従業員にもナイチャーのお姉ちゃん、お兄ちゃんがいっぱい。浦内川入り口にあった喫茶店のお兄ちゃんもナイチャー、そこのママさんもナイチャーであった。全国的には人口減となっている日本国ではあるが、沖縄はずっと増え続けている。それは、出生率が高いということもあるが、他府県からの移入者も多いとのことである。彼らもその仲間ということであろう。
 今回の旅に同行した友人のHによると、ウエイトレスや売り子のお姉ちゃんたちは安い賃金で働いているとのこと。住むところと三食を保障されているので、賃金が安くても働き手は多いとのこと。沖縄に住むということが彼女らにとって別の価値があるのかもしれない。真偽の程は確認していないが、別ソースから後日聞いたところによると、石垣島に住むナイチャーの彼ら、彼女らは、その多くが転入届を出していなくて、住所が石垣にあるナイチャーと彼らを含めた数は、石垣のウチナーンチュの数と同じくらいらしい。

 石垣島での暮らしが、彼らに生きる楽しみを教えてくれ、元気になって再び都会の暮らしに戻る力を与えてくれるのであろうか。そうであれば、嬉しいことである。沖縄の価値が青い空や青い海だけでなく、そういったことにもあるということだ。都会の暮らしに疲れて、死にそうになった人向けの沖縄3ヶ月ツアーなどが商品になるかもしれない。
 ちなみに、売り子のお姉ちゃんたちを、私がナイチャーであると判断した基準は、彼らの堀の浅い顔立ちと、しゃべる言葉のイントネーションである。沖縄の訛りは、消そうとしてもなかなか消えない強いものがある。それが無い人は概ねナイチャーである。
      
 記:ガジ丸 2005.11.13



11、売り子は高校生

 高校生が酒を売る、なんてことが社会的にどう判断されるのか、もしかしたら、それは由々しき問題であり、一緒になって酒を売っていた教員が何らかの処分を受けたりするのであろうか、などと私は少し不安に思うので、学校名などは伏せておくことにする。

 「八重山スケッチの旅」二日目の夜、同行のHと飲み屋で軽く飲んだ後、ちょうどその週開催されていた石垣祭りに出かける。祭りの会場は我々の宿泊ホテルからごく近い場所にあった。公園の広場のようなところ。ステージがあって、バンドが何か演奏していて、広場の中央はその観客席となっていて、芝生の上に多くの人が座っていた。
 会場のぐるりをテントが取り巻いている。ざっと5、60張り。それらは祭りの出店。沖縄本島の、那覇などで開催される祭りの場合は出店の多くがプロの業者によるものなのであるが、石垣祭りの出店は、その一角の20張りばかりを見ただけであるが、ほとんどが素人、○○学校○○父母会とか○○学校○○部とかであった。○○学校○○部のいくつかを覗いたら、売り子は女子男子の高校生であり、先生であろうと思われる人が指揮を執っていた。そういったことが、私は悪いことだとはちっとも思わない。むしろ、人間教育としては効果的な良いことだと思っている。彼らは明るいし、幸せそうだし。

 決まりごと(法律など)を守ることは社会生活の上で、人同士の付き合いの上で大切なことだと思うので、まあ、未成年は酒を飲んではいかんという決まりがある以上、私は敢えて高校生に酒を勧めるということはしないが、高校生が酒を飲むことに関しては、それが別に悪いことだとは思っていない。できれば、飲酒に関しては準備期間というのを設けて欲しいものだ。二十歳という歳で飲んでいい、よくないをデジタルのように0か1かで決めるのでは無く、信号の黄色の時間のようなものを設けて欲しいものだ。
 高校時代は社会人になるための準備時間だと思えば、酒を飲むのも、酒を売るのも法律で管理するのでは無く、高校生本人と周りの大人たちの道徳とか良識で判断した方が良かろうと私は思う。自分にとってそれがどう影響するかを正しく判断できる力を、若い頃から訓練する。それはきっと、苦難を乗り越える力にもなれるのではないか、と思う。
      
 記:ガジ丸 2005.11.13



12、沖縄で一番高い山

 気ままな二人のお陰で、予定の消えた私の「八重山スケッチの旅」最終日、那覇へ帰る飛行機の便は午後5時過ぎ、時間はたっぷりある。
 何をするかはすぐに閃いた。第一の目的地は於茂登(おもと)岳。沖縄県内で一番高い山に登ること。沖縄島で一番高い山ではあるが、県内では二番となる与那覇岳には2、3年前に登っている。これで、県内の一番と二番の高さに立つということになる。
 「一番高い山に登ったからといって、それがどうした」と問われれば、「どうもしない」なのではあるが、敢えて言えば、「山の空気を吸い、高い位置の空気を吸えば気分がいいさあ。」ということになる。「道々に面白いこともあるだろうさあ。」でもある。

 車を運転するのは嫌なのでバスを移動手段に使うことにし、バスターミナルへ行き、石垣島全線6日間乗り放題という2000円の切符を買う。それから、バスの時刻表を調べる。海岸沿いを通って観光地川平湾へ向かうバスは1時間半に1本の割合で出ているが、於茂登を通る山越えの川平行きは8時台、9時台、11時台、14時台の4本しかない。細かいことはバスの中で考えようと、9時台のバスに先ずは乗り込む。
 ホテルを出るときに「於茂登岳へ登りたいんですが、時間はどのくらいかかります?」と訊いた。「片道1時間ほど」とのことだった。10時5分に於茂登バス停に着く。反対側のバス停に行って、上りの時刻表を調べる。12時40分のがある。これを逃がすと次の便は2時間後となる。が、2時間35分あれば山へ登って帰るのに十分だ。
      
 山へ向かって歩く。バス通りから横へ入った道はアスファルト舗装されていて、山道では無い。まあ、山の麓まではいくらか歩くんだろうと思いつつのんびり先を行く。アスファルトの道は続いた。予想以上に長く歩いた後、於茂登岳と矢印のある看板が立っている脇道があった。そこは土の道。「そうか、ここが山道か、ここから1時間か」と思う。ここまで写真を撮りながらののんびり散歩。時計(携帯の、腕時計を私はもう20年以上持ったことが無い)を見なかったので正確には分らないが、30分ほどはかかっている。
 土の道は車が通れる十分な広さがあり、車が通っている跡もある。しばらく歩くと、ちょっとした広場があって、車が1台停まっていた。「わ」ナンバーだからレンタカーだ。観光客だ。広い土の道はそこで終わっていた。その先は木立に覆われた細い道。進む。
 ところどころ階段などがあって、少し人の手が加わっているが、元は獣道なのだろう、人一人がやっと通れるような箇所も多くある。険しい登り坂も多い。そんな道をひたすら歩いた。途中で下りる人と会う。30代の男性一人、おそらく車を運転してきた人であろう。その人とすれ違って少し登った所に看板があった。もう30分以上は歩いているので、たぶん「頂上へはあと半分」とでも書いた看板に違いないと思いつつ、たっぷりかいた汗を拭い、背中のペットボトルを取り出し、一口飲みながら看板を見た。看板には「頂上まで約40分、標高250m」などと書かれていた。何と、片道1時間の山道は、駐車場のあったあの辺りから計算しての1時間のようであった。これではどう考えても帰りのバスに間に合わない。残念に思いつつも私はそこで引き返したのであった。
 私の沖縄県最高峰踏破は失敗に終わったということになる。が、まあ、私の挑戦はだいたいこんなものなのである。しょうがないのである。
      
 於茂登岳は標高526m、与那覇岳は標高498m。於茂登バス停から川平方面に進むと於茂登トンネルがある。そこは沖縄県で一番長いトンネルとのこと。ちなみに、西表島の、マリユドやカンビレーの滝があった浦内川は沖縄県でもっとも広い川となっている。
      
 記:ガジ丸 2005.11.14



13、生き物たちの楽園

 失敗に終わった沖縄県最高峰踏破、バス停から山道の入口までの時間を計算に入れなかったのが敗因である。が、いずれにせよ、3時間以上はかかる道程である。どんなに早足で歩いたとしても帰りのバスには間に合わなかったのである。
 往復2時間ちょっとであろうと初めは思っていたので、行きのしばらくは景色を眺めながら、動物や植物の写真を撮りながらのんびり歩いていた。蝶の姿を見ては、何かの音を聞いては何度も立ち止まった。その場所の空気を感じることができた。いい時間が過ごせた。山頂に立てなかったのは残念であるが、時間の過ごし方としては上々。満足。
 於茂登岳が沖縄県最高峰の山だとはいっても、それにはあまり観光価値が無いようで、訪問者も少ないようである。於茂登近辺には観光客相手の喫茶店などは言うに及ばず、近辺の住民相手の商店さえ無かった。バス停から於茂登岳の山道入口まで徒歩20分ほどの距離だが、その間には数軒の農家と畑が広がっているだけであった。そんな場所であったからこそ、そのお陰で私は気分の良い時間が過ごせたのだと言える。

 人間が頻繁にはやってこない場所であるということは、そこは、人間を嫌がる生き物たちにとっては安らぎの場所となる。写真に撮れた(ピンボケ無しに)のは7種類であったが、その倍以上の動物が、私の目の前を通り抜けた。私の知らない植物も多くあった。人が来ないということが生き物たちにとって、そこは楽園となるのであろう。地球の多くの生命にとって人間は、幸せに生きるための障害物となっているのではないかと思う。
      
 記:ガジ丸 2005.11.20



14、映画に出てきそうなバス停

 於茂登岳の中腹にあった「頂上まで40分」の看板を見て引き返したのであるが、そこがらは各地点間の時間を計った。すたすた歩けばどのくらいの時間がかかるのか知っておけば、次回の登山挑戦の際に役立つだろうと思ってのこと。

 「40分」の看板から細い山道の入口まで20分であった。山頂まで片道1時間というのは正しかったわけだ。山道の入口から車が通れる土の道の始まりの地点まで10分。そこから於茂登バス停まで25分かかった。つまり、バス停から「40分」の看板までスタスタ歩いて55分かかるということ。バス停にはバスの時間の20分前に着いた。そういったことから逆算すると、バス停を出発して「40分」の看板までの往路を、私は1時間20分かけたということになる。まあ、それだけのんびり歩いたということ。そんなのんびり歩いているから頂上まで行けなかったんだな、などと後悔することは、もちろん、私には無い。歩いている間楽しかったのである。それで十分である
 バス停に戻ったのは前述した通り、予定の時刻の20分前。バスは元来た道を戻る上りのバス。それを待っている20分間、私はノートに旅の記録を書いていたが、その間に目の前を通り過ぎた車は、上りが4台、下りが2台、下りにはもう1台別に、トラクターがのんびり走っていった。鳥の声や蝉の声もなんだかのんびり聞こえる。太陽は暑かったが木陰は涼しい。風は優しく吹いている。時間がゆっくりと流れていた。

 於茂登バス停は真っ直ぐな舗装道路の中にポツンと立っている。20歳くらいの、涼しげなワンピースを着て、リボンのついた麦藁帽子をかぶった、宮崎駿の映画に出てきそうなカワイイ女性がポツンと立っている。女性は正面にある於茂登岳の頂上辺りを眺めながらバスを待っている。バスは空港へ繋がり、飛行機は都会へと繋がっている。都会には自分を待っている恋人がいる。於茂登バス停は、映画に出てきそうなバス停であった。
      
 記:ガジ丸 2005.11.20



15、木陰の無いバス停

 於茂登岳へ向かうバスに乗った際、「兄さん、飲み水は持っているねぇ。於茂登の辺りは何も無いよー。」とバスの運転手が訊くので、
 「500ミリのペットボトルを1本持っています」と答えた。
 「山登りするのに1本じゃあ足りないさあ。もう1本買っておいた方がいいよー。販売機のあるところでバスを停めるから買ったらいいさあ。」と運転手は言い、その通りにしてくれた。ありがたいことである。私のためにバスを停めてくれた親切よりも、「時間はあるさあ」といったのんびり気分を味わわせてくれたことが嬉しかった。

 於茂登からの帰りのバスも同じ運転手であった。
 「ここから白保へ行きたいんだけど、どこでバスを乗り換えたらいいですか?」と訊くと、サンエー(スーパーの名前)で降りて、同じ場所で待てばすぐに白保行きバスが来るよ、と教えてくれた。親切な運転手である。言われた通りにする。
 ところが、南の島の人の言う「すぐに」は、同じ南でも那覇市という都会に住んでいる私の認識する「すぐに」とは、どうやら時間の感覚が違ったみたいである。白保行きのバスが来るまでに私は30分近く待った。ここでものんびり気分を味わうことになったのであるが、その時はまったく、ありがたいとは思わなかった。

 石垣島は暑かった。半そでTシャツの姿でも汗ばむくらいの暑さ。日向にいると頭頂部が熱くなる暑さ。サンエー前バス停の近辺に、人が隠れることのできる日陰はまったく無かった。街路樹の1本さえ無かった。私は30分近くの間、太陽の光にさらされた。
 11月でこの暑さ、夏はとんでもなく厳しかろう。石垣の人たちはそんな厳しさも我慢するのであろうか。「バス停に木陰を作れ!」などと石垣市役所に注文する市民はいないのだろうか。皆が、「なるようになるさあ」というのんびり気分なのであろうか。
 髪の薄くなった頭頂部を30分近く太陽に照らされて、おそらく頭頂部を日焼けした私は、のんびり気分をたっぷり味わって白保行きのバスに乗り込んだのであった。
      
 記:ガジ丸 2005.11.20



16、意味のある海岸

 白保の部落(この言葉、沖縄では差別用語では全然無い)は、新石垣空港建設で有名になった白保は、観光地では無かった。行き交う車も(於茂登の数倍はあったが)少なく、道行く人もほとんどいない(日曜日だからということもある)静かな村。
 ここでの私の目的は海を見ること。心ある人々が必死になって守り抜いた白保の海。当初の計画では、新石垣島空港はこの白保海岸を埋め立てて建設することとなっていた。近辺住民にとっては大切な海、埋め立てなんてとんでもない話である。反対運動となる。世界中の環境保護を願う人々にとっても白保海岸埋め立ては重大事であったらしく、島の内外、国の内外からたくさんの応援者が現れ、ついに、白保海岸埋め立ては阻止された。新石垣空港の建設場所は、白保から少し離れたカラ岳の辺りに計画変更された。

 バス通りから海岸へ向かう。目測で約200m(不正確です)の距離、その間は部落の住宅地で、民家ばかりが並ぶ。まっすぐ海へは行かず、部落内を少し散策する。30分ばかりブラブラしたが、やはり民家ばかり。コンクリートブロック塀に囲まれたコンクリートの家が多かった。昔ながらの石垣と赤瓦の家は少しだけ、まあ、これが普通の、飾らない現代の家並みであろう。石垣と赤瓦が建ち並ぶ竹富島の方がかえって不自然なのだ。バス通りには1軒の喫茶店、1軒の食堂があったが、ここには店舗らしきものは無い。観光客が訪れることもあまり無いのであろう。沖縄の、普通の田舎の景色。
 観光客が来ない?なんてことは無かろうと思い直す。なんたって白保海岸は有名な海岸であるはず。白保の海を見に来る人は多かろう。海岸の傍には洒落たカフェとか、郷土料理の美味い食堂とかがあるはず。と思いつつ海岸に着く。
 白保の海岸は、何も無い海岸であった。コンクリートの護岸があり、その向こうは石の多い浜があり、八重山の海がある。そうきれいとは言えない景色があって、護岸のこちら側に観光客向けの施設は何も無い。民家と原っぱだけ。
 浜辺は石が多く転がっていて、海水浴に適した砂浜では無い。海も岩が多そうで、こちらも海水浴、海洋レジャーなどには向きそうも無い。なるほど、これでは観光客は呼べないであろうと納得する。白保海岸は金儲けには不向きな海岸なのであった。

 金儲けに不向きであるということは、人間の手によって加工されずに済む海岸ということになる。自然が創り出して、長い年月をかけ少しずつ変化してきた海岸である。地球自身がこうありたいと思う海岸である。そこに生きている人々は、地球が望む形の海と調和して暮らしている。金儲けに不向きな白保海岸は、観光施設も何も無い海岸ではあるが、海と人間との関わりにおいては、意味のある海岸なのであった。
      
 記:ガジ丸 2005.11.21



17、観光案内の無い観光地

 「八重山スケッチの旅」初日、石垣空港に着いてすぐ、私はトイレに一目散し、用を足すことから始まった。サッパリして外に出るが、その後の計画は大雑把で、1日目竹富島、2日目西表島、3日目石垣島を巡るとだけ計画し、細かいことはほとんど何も考えていなかった。ガイドブックも持っていなかったし、事前に読んでもいなかった。

 石垣空港で、先ず観光案内所を探した。石垣島や竹富島の観光地図を貰うためである。見当たらないので、空港職員の人に訊いた。「そんなものありません」との答えだった。「えーっ!八重山は観光地だろう。石垣空港はその玄関だろう。なんだってそこに観光案内所が無いんだ。ふざけてんじゃねーの!」と、もちろん口にも顔にも出さない。
 石垣島から竹富島、西表島、小浜島、黒島、波照間島などの各離島へ渡る船は石垣港から出ている。近年、観光地として沖縄県は人気があり、八重山も人気はぐんと上昇しているらしい。各離島へ渡る客も増えているという。たくさんの客を捌くためには当然、港には大きな乗船ターミナルがあって、そこには観光案内所もあるだろうと私は予想していた。が、無い。各船会社の建物で乗船受付をし、客の相談を聞いている。船会社によって行き先が違うので、行き場所がいくつかあるといちいち別の建物に行って、話を聞かなければならない。各建物に1つ2つのベンチはあったが、広い待合所も無い。「えーっ!石垣港は八重山観光の重要な拠点だろう。なんだってそこに乗船ターミナルも待合所も観光案内所も無いんだ。ふざけてんじゃねーの!」と、もちろん口にも顔にも出さない。

 まあ、石垣港も大きな乗船ターミナルを造ろうとの計画はあるのだろう。なんだかんだと問題があって、今、それらの障害を一つ一つ乗り越えている最中なのであろう。竹富島と西表島には新しい立派な乗船ターミナルができていた。中には広い待合所があり、ちょっとした観光案内所や売店もあった。きっと石垣港にも、これらのような、いや、これらよりもっとずっと立派な乗船ターミナルが近い将来、建てられるであろう。
 石垣島は現在のところ、観光案内の無い観光地であった。それは“至れり尽くせり”に慣れっこになっている現代の日本人にとっては不便なことかもしれないが、“至らない尽くさない”場所でも十分観光を楽しめるような知恵と努力が、じつは、生きる上では大切なことではないだろうか。「ふざけてんじゃねーの!」と心の中で2回も思った私は、そう反省した。反省しつつ、「また近いうちに遊びに来るからね」と石垣を発った。

 八重山の旅は以上でおしまい。
      
 記:ガジ丸 2005.11.21 →ガジ丸の旅日記目次

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