ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

さすらうオジサン

2016年12月02日 | ガジ丸の日常

 私の祖先は下級武士で、現在の那覇市泊(当時は泊村)が島(古里)であり、先祖代々そこを住処としていたが、私の爺さんが放蕩もので身上を潰し、田舎の南風原村にまで落ち、そこで小作農をして糊口を凌いだと聞いている。しかし、そこで私の父と母(まあまあ金持ちの家)は出会い、恋をし、結婚したのだから、私の爺さんが放蕩もので身上を潰し、零落れなければ私も生まれなかったことになるのだから、運命は面白い。
 私が産まれたのは母親の里である南風原村(今は町)と聞いている。出産のために母が里に帰っていたのかと思ったが、父の自伝で確認すると、私が産まれた年はまだ南風原村に住んでいたようだ。翌年、一家は那覇市崇元寺の貸家に移り住んでいる。
 その後、那覇市三原に移り住んだが、私が幼稚園生の頃、父母と私と弟はコザ市(現沖縄市)にいた。これも父の自伝で確認すると、コザ市に住んでいたという記述はあるが、いつなのかは書かれていない。私の記憶は不正確だが、おそらく2~3年はコザ市に住んでいたと思う。私が小学校に入学する時、祖父母のいる那覇市三原に戻っている。
 那覇市三原の家は借家であった。努力家の父と頑張り屋の母が捩じり鉢巻きしてたくさんの汗をかいて、私が小学校2年生の時、父母はマイホームを建てた。場所は元々の島である那覇市泊。父にとっては先祖伝来の土地に戻ってきて嬉しかったであろう。というのに、そういうことも知っていたのに、私はその家土地を売っ払った。親不孝者。
     

 先祖伝来の土地、那覇市泊にしばらく住んだ後、私は高校2年から浪人1年まで那覇市首里に一人住まいをしていた。大学に入ると、東京都武蔵野市、同小金井市、同国分寺市と転々と居を替えた。大学を卒業し沖縄に帰って、しばらくは実家に住んだが、
 23年前の1993年、その年、私は実家を出て首里石嶺に引っ越している。その数年後、恋をして、振られ、生きることに弱きになって、結婚でもするかと思って、若い可愛い女性と付き合って、やはり結婚は嫌だと思って、別れてもらって、滅多に見ない美女と出会って、惚れて、振られて、母が死んで、父が死んで、姉夫婦との財産相続争いやアパートにシロアリ発生があり、といった激動の18年間をそのアパートで暮らした。
 2011年、首里石嶺から現在のアパートに越してからも、会社からしばらく休んでくれと言われ、農夫になって、親の残した家土地を売り払って、などがあった。
 首里石嶺に住んだ頃からの23年間、悪いことばかり書いてしまったが、もちろん、良いこともあった。例えば、2度も恋をした。恋は楽しい、2度とも振られたけれど、恋をしたこと自体は良いことだ。若い美女と付き合えたけれど結果上手くいかなかった。上手く行かなかったことは悲しいが、付き合っている間は楽しかった、これも良いことだ。ガジ丸HP及びブログを始めた、これはとても良いこと、お陰で暇を感じることが無い。
 ここ数年は遠ざかっているが、若い頃やっていた唄作りやお絵描きも始めた。これらはやっている間夢中になり、とても楽しかった。畑仕事は上手く行っていない。貧乏がますます貧乏になって行く。これは悲しいことだが、畑仕事そのものは楽しい。作物が育って実ってからの収穫はもっと楽しい。収穫したものを料理して食べて美味しくて酒も美味くて、さらに楽しい。なわけで、畑仕事を始めたことも「楽しい」の部類に入る。
     

 そして、2016年12月1日、私はまたも住処を替えた。生まれた時から数えると15回目の引っ越し14ヶ所目の住まいとなる。さすらうオジサンなのである。
 新しい住まいには昨日(12月1日)から住んでいる。昨夜は初シャワーを浴び、初晩酌をし、初睡眠をし、今朝は初朝飯をし、初雲子もやった。まだ1泊だけだし、荷物の多くはまだ前のアパートや畑小屋にあり、引っ越しが完了するのは明後日くらいの予定。なので、新居の住み心地は?と訊かれても今はまだ何とも言えない。住み心地はまた、家の中だけでなく、家の周りの環境、近所の人たちとの付き合いなども含まれる。これから先の数ヶ月、どんなものを見るか、どんな人に会えるか、とても楽しみにしている。
 新居も、早ければ5年後、遅くとも10年後くらいには去る予定でいる。私の次の住処はおそらく終(つい)の棲家となる。そこでさすらいも終わる?かというとそうではないはず。私はきっと散歩するはず。散歩が転じて徘徊老人になっているかもしれない。
     
     

 低い山あり浅い谷ありのこれまでの人生だったが、過ぎてしまえばあっという間という気分。それから考えると、この先10年(生きていればの話)なんてのもあっという間にやってくるだろう。毎日畑に通い、淡々と働き、飲みにもあまり行かず、デートもあまりせず、低い山や浅い谷が少しずつあって、独り静かに時を消費していくだろう。
 10年後、さすらうオジサンはさすらうジイサンになり、10坪程度の畑を借りて、毎日のんびり野良仕事をし、まだ元気なら自作の野菜を肴に酒を飲んでいるだろう。

 記:2016.12.2 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次

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