ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

仲良し隣人

2016年01月01日 | ガジ丸通信-社会・生活

 大学の5年間(1年留年)を私は4つのアパートで暮らしている。最寄り駅名でいうと最初は吉祥寺、次は武蔵境、3番目は東小金井、最後は恋ヶ窪。恋ヶ窪は住み心地が良く幸せな1年余であった。東小金井は姉と同居で苦痛の1年。1つ飛ばして吉祥寺は、住み心地としては良くなかったが、上の部屋に同級生がいて、他の同級生もたびたび集まって賑やかな日々であった。大家とも親しくさせてもらい、幸せな1年余であった。
 1つ飛ばした武蔵境、そのアパートは小さな部屋で、もちろん風呂などついていない。でも、隣の部屋に新婚さんが住んでいて、その若妻が美人で、しかも、「こんなの作ってみたけれど食べてみて」とたまに手料理を持ってきてくれる優しい人であった。その美貌と優しさに私の下半身は疼いたのだが、「耐えろ俺、こんな善い人を襲ったりしたら地獄に落ちるぞ」と叱り、何とか耐えて良い関係を保つことができた。姉とその恋人が押しかけ、強引に住み着くまでの1年弱、武蔵境は大学の5年間で最も幸せであった。
          
 東小金井のアパートと恋ヶ窪のアパートでは隣人との付き合いは無かった。沖縄に帰って、首里石嶺の4世帯だけの小さな安アパートで暮らしていた時は、アパートの他の住人たちと声を交わす機会は多かった。私の部屋は2階の奥にあり、越してきた当初の真下の部屋には30前後の夫婦が住んでいて、隣にはもっと若い夫婦が住んでいた。若夫婦はすぐに越していって、その後にバツイチらしきお母さんと娘2人が住むようになり、下の部屋は30前後の夫婦が出て行ったあと、マリリンモンローのようなグラマラスな体をした若い女性が住み、その人が出て行ったあとはバツイチらしき若い女性が住んだ。それらの人たちとは多少の付き合いがあった。特に、バツイチらしき若い女性は可愛い女性で、この人とはよくユンタク(おしゃべり)した。今は誰一人その名を思い出せないが、日記を見ればその名も判明するはず。名前を認識して会話するほどの付き合いであった。

 付き合いはアパートの住人だけではない。アパートとは別棟だが、すぐ隣に住んでいた大家さんとはもっと親しく、その名もNさんと記憶に刻まれている。向かいのAおばさんも名前と共によく覚えている。名前は思い出せないが隣の一軒家に住むおばさん、新聞配達のおばさんなどともよくユンタクし、親しくさせてもらった。
 親しくさせてもらった人たちはみな「いちゃりばチョーデー(出会えば兄弟という意の沖縄語)」といったウチナーンチュらしい雰囲気を持っていて、私も話しやすかった。今住んでいるアパートは20世帯ある。その内ユンタクする人は一人もいない。挨拶を交わす人も社会人らしき数人だけ、住んでいるのは若い人(近所に琉大があり、その学生)が多く、彼らはすれ違っても、目を合わせようともしない。倭国には「他人を見たら泥棒と思え」なんていう言い回しもある。沖縄の「いちゃりばチョーデー」とは真逆だ。アパートの若い人たちは私のことを泥棒と思っているのかもしれない。
          
 年末、「韓国と和解・・・」なんて嬉しいニュースがあった。和解して仲良くなったらもっと嬉しい。隣人が仲良しであったなら、こんな幸せなことは無い。ただ、その和解が両首脳の手柄にするためのもの、ではないことを願う。傷を受けた当事者たちのための和解であって欲しいと願う。ついでに、2016年が良い年になることも願おう。

 記:2016.1.1 島乃ガジ丸

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