ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

悟り

2007年11月02日 | ガジ丸通信-その他・雑感

 母が病院通いをしていることを2月に聞く。通院がしばらく続いて、4月には入院することになった。母は他人のためによく働く。自身が78歳という年寄りのくせに、近所の年寄りの面倒を見たり、車を運転して、詩吟、長寿大学、清掃ボランティアなどの仲間たちの送り迎えなどをやっている。むろん、父の面倒もみている。そういったことの疲れが溜まって体調を崩したのであろうと、初め私は思っていたが、入院と聞いて、何か別の病気かと心配になった。4月20日、母の主治医に面会する。

 母の病名は強皮症。強皮症は膠原病(こうげんびょう)の一種で、簡単に言えば、「膠原繊維が変化し、皮膚が硬くなる病気」となる。
 母が強皮症を発症したのは48歳の時だったらしい。その時、3ヶ月もの入院生活を送ったのだが、彼女が強皮症であることは身内の誰も、父でさえも知らずにいた。
 退院してからもずっと、彼女は一人で強皮症と戦っていたようだ。誰にも気付かれなかったのは、病気との闘いでずっと優勢だったのであろう。それから30年が経って、体力が落ちて、病気の方が優勢になったということなのであろう。
 膠原病は不治の病であり、母の病状はかなり進行しているということも聞く。

 4月に入院した母だが、6月までは2、3度の入退院を繰り返した。退院して数日は家で過ごすことがあり、入院している間も週に2日ばかりは外出し、所属するサークルの会合に出たり、買い物をして、父の食事の面倒を見たりしていた。
 7月からは外出を控えるようになる。7月下旬、軽い脳梗塞を起こし、言語障害がちょっと出る。9月中旬からは一人で歩くこともできなくなってしまった。
 その9月中旬、「ノートの後のページを読みなさい」と母が私に言う。ノートは、言語障害のある母と意思疎通を確実にするために私が用意したもの。時々、言葉を思い出せない母であったが、書道の師範でもあることから文字には慣れ親しんでいる。文字を書くことには少し障害があるが、読む分には普通に解るのであった。
 
  ノートの後のページには、死を覚悟したような内容が書かれてあった。そういえば、その少し前から、「守護霊が毎日来てくれて、ベッドのゴミを払ってくれたりしている」なんていうことを言っていた。その守護霊に諭されたのだと思う。母は自分の死ぬ日を予知し、それをノートに記し、その日が来るのを静かに待つ覚悟のようであった。
 10月に入ると、母はしゃべることも少なくなり、ノートに書くことも無くなった。12日頃からはほぼ寝たきりとなる。そして、母が自らの死を予知した日、
 不届き者の息子はすっかりその日を失念していた。前夜、携帯電話をドライブモードにしたまま寝ていたため、従姉たちや姉からかかってくる電話にも全く気付かず熟睡していた。10月18日、予知した日、その通り母は後生へ旅立った。

 母が自分の死を覚悟して書きとめた文章は9ページほどある。そこには、自分の死に対する心構えが書かれてあり、また、神への感謝、周りの人たちへの感謝がより多く書かれてあった。それを読むと、他人のために懸命に働いてきた人は、人生に悔いなく、悟りを得ることができるんだなと思う。母の死顔はとても安らかであった。
          

 記:2007.11.2 島乃ガジ丸

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